二の段其の幕間 真贋判定と採用試験
二の段其の幕間 真贋判定と採用試験
術符、
そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。
科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていたそれらの神秘は、唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。
今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。
奇跡を巻き起こす物質的存在は、科学による検証と情報操作により迷信とトリックに分類され、それ以外の存在を闇へと抹消していった。
一般人でもかつては身近に感じられたそれらの器物は現在では、国家機密や巨大な陰謀の闇に隠され、触れるだけで命の危険を伴うものに変わり、巷に溢れるのは詐欺の道具だけになってしまっている。
前世界では存在を虚構の中に沈めて久しいそれらの器物だが、この世界においては未だ現実の中にあり、数多の偽物のなかに稀に見ることができた。
しかしそんな奇貨を量産し世に広める人々が、日本と未だ呼ばれる事のない列島諸国に現れる。
その名は農協技術会。
今はまだ、久遠の操る‘式貴’によって構成された組織に過ぎず、久遠と美亜と‘式樹’群によって動かせされるものでしかなかったが、いずれは人によって運営される為に、人材を育成中であった。
日本各地の村に自らの技術を伝えに現れる農協。
その現地採用試験が行われると聞きつけ、ここ堺の地で多くの商人達が集まっていた。
堺の町から一里ほども離れた場所に一夜にして現れたテントは巨大サーカスを思わせるものだ。
その威容を見て武士達が駆けつけても可笑しくはないのだが、その気配は感じられなかった。
こんなものをどうやって張ったのだと思いながら、喜作は案内されるままにその内へと入っていった。
案内人はタイ無しの黒いスーツ姿だが、喜作は僧侶の着る作務衣の一種のようだと考えていた。
テントの内には更に幾つもの小さなテントが並び、これならば大きなテントはいらないのではと一瞬考えたが、これも農協の技術を知らしめる為のものなのだろうと思い直す。
その立ち並ぶテントの一つに案内人に連れられた夫婦連れが入っていく。
喜作の前に案内された商人だった。
農協の職員募集は家族持ちならば家族全員で試験を行うという現代なら在りえないものだが、この時代にあっては一家で奉公にでることは珍しくもない。
農協は土地を失った百姓にもその門戸を開いているが、この地での募集は商人へのものであった。
それでも少なくない食い詰めもの達が集まっていたが、そんな者達は別のテントで先ず食事を与えられている。
それだけの気前の良さもだが、あらかじめそのような用意がされていることも喜作には驚きであった。
「なんとも徳の高いことよ」
喜作のそのつぶやきが聞こえたのか、案内人が立ち止まる。
「どうぞこちらへ」
しかし、思っていたような理由ではなく、既にテントの前についていたために、案内人は立ち止まっただけであった。
「御案内かたじけのう御座います」
つぶやきを聞かれたわけではなかったのかと、なんとなくほっとしながら喜作は一礼してテントへと入る。
テントのうちには地面の上にパイプ椅子と折りたたみの長テーブルが置かれ、その向こうに案内人と同じ黒スーツの一人の男が同じパイプ椅子に座っている。
案内人に促され喜作は見慣れない椅子に戸惑いながらも座り、案内人はそこで退室していった。
「お初にお目見えします。 喜作と申します」
腰掛けたまま座礼をして喜作は目の前の男を見る。
「試験官を勤める
男はそういうと柔和な笑みを浮かべ喜作を見返す。
「それではまずこちらの腕輪と帽子をつけてもらえますか?」
そう言って男が差し示したのは、テーブルに置かれた腕時計のようなセラミック製の環と平兜のような同じくセラミック製の帽子だった。
「これは……?」
「それは嘘発見機とでもいいましょうか。 つけたものの嘘を暴く道具です」
見慣れないものに問い返す喜作に男が衝撃的な台詞を口にする。
現代ではほとんど誤魔化すことのできない精度があるのに、公の場で自らに使われることを恐れた権力者の都合で人道的でないというレッテルが貼られた機械だが、プライヴァシーという概念が存在しないこの時代において、その公私混同した理屈は通用しない。
更に、脳の活動野を調べる事で訓練された人間のつく嘘も暗示による無自覚な嘘さえも久遠の作った装置は見抜くことが出来た。
その為、農協の試験や業務でこの装置は使われるのがあたりまえになっている。
契約や商談の場で嘘をつけなくすることは、非人道的でもなければプライヴァシーを侵すものでもないというのが農協という組織の基本的な考え方であった。
現代なら人を疑うのかと開き直って怒鳴ることもできるが、それは武家と宗教が結びつく事で生れた‘ 疑う事が罪悪という聖書宗教の一派による洗脳教育の価値観 ’でしかなく、この時代の農家には存在しないものだ。
それ故に、久遠の理念に基づいたこの考えは、抵抗無く農家の人々に受け入れられていった。
不信が組織の和を乱すのは確かだが、人は間違う
疑問を封殺するということは、発展や協調を源とする生産的共存社会の否定なのだ。
だからこそ潔白を常時証明することが当然であるという社会ならば、人はそれを不快とは思わなくなる。
無条件に人が人を信頼する社会とは決して理想的な社会ではなく、魂の牢獄ともいえるディストピアであるというのが久遠の考えだ。
それ故にスパイ対策としてだけでなく、裏切りや騙しあいが当然という武家社会の理念に対する公然たる反論の一つとして、久遠はこの装置を普及させていた。
「もちろん、つけることを強制はしませんので、この場で返ってもらってもかまいません」
笑顔でそういう
「あの喜作って、堺の商人の送り込んできた男よね?」
その光景を‘先視’の眼を通して手見ていた命衣は、一緒にそれを見ているはずの美亜に聞く。
「肯定します。 監視レベル3の監視対象です」
だが逸早くそれに答えたのは‘式樹’であった。
昼時で久遠は食事の為に、父母の住む屋敷にでている為に、久遠の研究室には二人しかいない。
だが、二人は向かい合っているわけではないので自分に向けての問いと判断したのだろう。
「ああ、そういえばお前もいたのね」
黒猫の上で浮かぶメイアの影が面白そうに笑う。
「──そうですね。 堺の自治組織、納屋衆の息がかかった商人ですね」
子供達にだした宿題の採点と個々人へのコメント記述をしながら美亜は、‘式樹’の判り難い答えを翻訳する。
「それでも、合格したら
農協の宣伝なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、内部にまで入れるのは問題ではないかという
「久遠様の御指示ですから、合格するなら」
命衣の心配に対して、美亜の答えはあっさりとしたものだ。
「寝返るような相手、信用できるの?」
美亜が久遠に盲目的に従う存在ではないと、既に気づいている命衣は、なぜ久遠がそう指示したのか解っているだろうと、問いを重ねる。
試験の内容に誰かの指示で試験を受けに来たのかの確認があるのは知っていたから、裏切らせようというのだろうが、久遠の生き方を知っている命衣には、それが不自然に思えたからだ。
「嘘をつけない状態での人格判断が質問内容に入っていますから」
美亜の短い答えを補足しようと‘式樹’の無機質な声が続ける。
「脳心理学、及び社会心理学に基づく人格判断のための設問が7214問。 各種技能度判定のための能力把握のための設問が、各数百問になっています」
「能力は合格した後の配置のためのもので、合否判定は、人格判断で行っていますけどね」
あえて、言わないでもいい事をいって混乱を招く相変わらずの‘式樹’に対し、美亜は嫌な顔もせずフォローする。
「……それって合格の可能性あるの?」
そこまで聞いて命衣は久遠が望んでいるものが裏切りなどではないことを半ば確信して最後の問いを口にした。
「ほとんど、ありません」
その答えは命衣の予想通りのものだった。
「それでも、やるのね。 久遠らしいわ」
そうつぶやく命衣のくちびるにはどこか誇らしげな笑みが浮かんでいる。
「わずかな可能性を否定するのは──」
その笑みを見て、美亜の口から懐かしい台詞が出るのをきいて命衣は声を重ねた。
「人の未来を狭めるようなものだ、ね」
二人は久遠の口癖の一つを同時に口にすると、またそれぞれの仕事へと戻る。
久遠が帰って来たのはそれから数分もしないうちのことだったが、このことが三人の間で話題に上る事は無かった。
用語解説 マスコミのマインドコントロールを見抜くための50の方法(民明書房刊)より抜粋
公私混同した理屈:
プライヴァシーとは私事に対しての概念でしかなく、公私を分かつために公務に携わる人間には本来適用されるべき概念ではないが、その理念は個人情報保護法のように曖昧化される。
個人情報保護法のように曖昧化:
公私混同に対する明確な区分をつけず曖昧にしたままで可決されたため、歪められた理屈が政官の場で使われるようになり、結果、政治不信を助長し同時に国民のモラルを低下させた。
疑う事が罪悪:
本来、疑問を持つというのは、正常で健康な精神活動でそれを咎めるのは、人間の奴隷化であり、効率的に破壊を行うための軍事的価値観に基づくものでしかない。
聖書宗教の一派による洗脳教育:
ユダヤ教時は、流浪の民を統率する為の教育理念として教義が改変される。
キリスト教はそれを本来の形にもどそうとするユダヤ教の一派であったが、軍事国家ローマの国教として成立する過程で洗脳による統率を重視する派閥が力を持つ事でユダヤ教と同じ道を辿ることになる。
洗脳による統率を重視する派閥が力を持つ:
ローマ国教やイスラム教は、軍国主義と結びつくことで、本来の教義や神の解釈に人為的な改変と編集が行われ歪められ、反対する勢力を暴力で駆逐する事で聖書宗教組織は成立した。
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