二の段其の六幕 逆兵糧攻めと国崩し
二の段其の六幕 逆兵糧攻めと国崩し
天道歴0005。
久遠による豊後を初めとする日本の国々の攻略は深く静かに潜むように行われていた。
後に現れる大砲につけられた大げさな名を体現するようなこの計画は、武士達に知られる事はなくとも確実にその生命線を削っている。
‘国崩し’ その名を冠する兵器を後に持つはずの国は、その武器を使った戦いを始めることもなく、徐々に崩れ去ろうとしていた。
「また逃散じゃと!? なぜこう次々と!!」
府内城下大友館の二階、前世界では後に暗殺劇の舞台となる場に館の主の怒声が響いた。
主、義鑑の怒りに、その報せを届けた朽網鑑康はその問いに答えることもできず、ただ平伏したままだった。
それは主の勘気を恐れたためではなく、彼にも何故その様な事が起きたのか判らなかったからだ。
彼の知る百姓というものは、土地に根付く蟲や獣のようなもので自らが危なくなってもよほどのことがなければその場所を離れようとはしないものだった。
土地を貰って生きる下級の武士達である土豪もそうだが、戦う事を恐れる百姓どもは生かしておきさえすれば、自分達の為に糧を貢ぎ続けて死ぬまで働き続けるもので、村ごと滅びるほどの災害や戦火などがなければ大人しい家畜である。
それが彼にとってのいや、この国の多くの武士達の共通認識だ。
冷害や旱魃などの天災による不作が報告されたわけでも、生きていけないほどの年貢を課されたわけでもないのに幾つもの村が消えるなどという事はありえないはずであった。
主もありえない事が起きていてそれにどう対処していいのか判らないから苛立っているのだと解りすぎるほど解るから、鑑康はただ平伏するしかなかった。
これが一つの村だけなら他の村から移住者を募ればよいのだが、すでに領内では少なくない数の村が消え去り、人手が不足していた。
いくら土地があろうとも他国から人を集めるのは自ら敵を懐に招き入れるようなものだ。
武将や兵を土地を餌に集めるなどというのはそう簡単にできることではない。
もしこの調子で村から百姓が消えていけば早晩この国を支えるだけの収穫が得られなくなるだろう。
何かとんでもない事が起こっているのではないかという漠然とした不安を胸に叱責と忍従という役割を演じる主従を天井に張り付いた小さな羽虫がただ見続けていた。
「検地役人と細作の記憶操作を五十六人分。 なんとかそれだけで済んだみたいね」
‘先視’から伝えられる情報を幻視しながら、そうつぶやいたのは大魔女メイアの生霊だ。
いや、命衣のといったほうがいいだろうか。
彼女自身の銘名によりメイアの生まれ変わりは、表向き美亜が名付け親を名乗りでることで、そう名付けられた。
その命衣も暦の改定と0を含む算用数字の導入で変更された満年齢で、すでに二歳をすぎている。
その間に農協の影響力は豊後だけでなく日本全土に広まり、妖怪騒ぎのあった村のように直接支配することになった
「戦わずして勝つというのが彼ら武士達の理想らしいからね。 その理想に負けるのなら彼らも本望だろう」
本気なのか皮肉なのか判らない台詞を、いかにも誠実そのものといった表情と口調で 孫子が聞けば苦笑いを浮かべそうな
「わたしの知る範囲ではこれは戦略というものじゃないわよ」
しかし、そう応える命衣の顔は、どこか物憂げだった。
確かに征服統治されている人を離反させるのではなく、土地ごと隠して独立させるなど戦略といえるものではない。
二次大戦後の植民地の独立以上に大きな世界構造の変革と言えるその計画が成功したのは、徐々に村々に浸透していった農協の技術に対する信頼と、奇跡を目に前にした人々の信仰心のせいだ。
これが神々や怪異を迷信と切って捨てた近代ならば、こうはいかなかったかもしれない。
だが、この世は未だ人々の心に自然への畏怖や崇拝が残る時代だ。
その想いを深く喚起させる久遠の起こした奇跡は、本来なら不可能な農家の武家からの独立という奇跡をもなしとげた。
半内部循環型アーコロジーとして機能する
それは、武家に服従せず生きる道を選ばせるのに充分すぎる理由になった。
「とりあえず順調に進んでいるようだが、君は浮かない顔だね」
メイアの姿をした命衣の生霊とは対照的に、久遠は悠然と笑いかける。
「当然よ。 まったく……これから先のことを考えたらぞっとしてくるわ」
命衣がそういったのも無理はない。
餓死者がでそうな村や流行病のでた村など苦しい生活を送る村を中心に、十四の
一つの
いくら大魔女の生まれ変わりだとはいえ命衣にも限界はある。
計画ではこの先、直接管理する
更に居住地域のみでなく地下にあるとはいえ広範囲に渡る上下水道施設や地下鉄網を敷く計画も進んでいて、それをカバーし続けるのはどう考えても不可能に近い。
大勢の人間を匿う事の困難さは前世界でナチス相手に経験している為、命衣は決して楽観できなかった。
「大丈夫。 そこまで君に頼るのでは君の弟子として過ごした日々は無駄だということになる」
だが、同じように数多くのユダヤ人や
「あら大きく出たわね。 あなたに私以上のことができると?」
師を越えたともとれる久遠の台詞に、挑発的な言葉を返しながらも命衣の顔には言葉とは裏腹の楽しそうな笑みが浮かんでいた。
久遠がこういった芝居がかった台詞を口にするときは、驚くような何かを見せてくれるのを知っているからだ。
「もちろん、魔術の技量では君に劣っている私には無理だ」
あっさりと前言を翻したかにみえた久遠だが続いた台詞は、命衣の期待を裏切らないものだった。
「だから、君の能力を増幅複製して自動実行できる装置を開発している」
「自動実行プログラムのように命衣様の能力を使い、単純な暗示として働くルーチンを設定する事で命衣様自身の負担を軽減するための魔術装置です」
解り易く説明しようと‘式樹’がそれを補足するが、20世紀半ばを待たずして前世界を去った命衣には反って判りづらくなるだけだ。
「それはつまり、‘ルルドの聖杯’と
命衣は自分なりの解釈で久遠の仙術科学の成果を理解する。
持つ者に無限の魔力を与える聖杯と精霊を操作する腕輪。
それは、聖杯伝説やソロモンの指輪あるいは
「若干、意味合いは違うがかなり近いものだよ。 詳しい理論は仮想書庫に纏めているのでよければ読んで欲しい」
「そうするわ」
そう弾んだ声で言うと、命衣は艶やかな笑みを浮かべて続ける。
「やっぱり、貴方は最高よ。 わたしの体がまだ子供なのが残念だわ」
おもちゃを与えられた子供のような喜びようで自らを子供と認める魔女の幻像は、その言葉と同時にくちづけるように久遠に姿を重ねると、うきうきと書庫のあるほうへと消えていく。
魔術に仙術と違いはあれどお互いを師として弟子とするこの二人は研究者としては似たもの同士のようだった。
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