二の段其の参幕 ‘道理’と‘式樹’






「みあさま。わるいことはリクツぬきでわるいってとうちゃんはいってたよ」

 美亜が‘道理’の授業をしているとき、そう言ったのは、今年7歳になる女の子だった。


 ‘道理’とはその名の通り、物事を筋道をたてて考えることで、人として護るべき道理を学ぶ教科で、理科や数学といった教科の基礎となる論理的思考を、道徳とともに学ばせるという学園の基幹となる信念を体現したものだった。


 師が弟子に教え授けるといった形で行われる定型的な授業と違い、生徒に自分で考え意見を論理的に組み立てさせる事で、意志を持つということを教えると同時に人として絶対に忘れてはならないものを教える。


 個性と絶対性という短絡的に見れば相反するものを、同時に育てる教育は、効率や社会システムの維持と個人の幸福が両立できることを子供に教えることでもあった。


「そうね。悪いことは悪い。それは間違っていないわね」


 父親を尊敬している為か、普段はあまり積極的に自分の意見を述べない子がそう言うのを微笑ましく想いながら、美亜は女の子の言葉を肯定した。


「えー? でも、美亜さまは、正しい事にはなぜ正しいか理由があるって言ったよ」


 不満そうにそう言ったのは子供達の中でも頭が良いと認められている10歳の女の子で、郷長さとおさの腹心の娘だ。


 理屈つまり理論抜きで悪い事は悪いのに、正しい事には理由があるというのは矛盾していると思ったらしい。


 こちらも論理的な思考を常とする父親を尊敬している為、普段は、妹のように可愛がっている子の意見を否定することのない彼女も、ついそう言ってしまったらしい。


 直ぐに女の子がどう思っただろうとそちらのほうを見る。


 だが女の子は、あまり気にしていないのかよく解っていないのか首を傾げて何かを考えている最中だ。


「大丈夫。意見が違うってことは相手を否定する事じゃないのよ」


 美亜は微笑んでそう言うと、教室の中にいる12人の子供達を見回した。


「悪い事の反対が正しいことではないの」


 そういって美亜は単純な善悪二元論ではない‘道理’を子供達に語って聞かせる。


「みんなのお家では作物を育てるでしょ。そのなかで絶対やってはいけないことを教わるわね。それをしてしまうと作物が枯れてしまうこと。それが悪い事ね」

 

 農家で育つ子供に解りやすい例えで、美亜は悪という概念を説明する。


 それはこの時代、西洋で広まった権力と暴力を背景にした奪う為の正義や悪ではなく、古来よりあった命を育む為の善性を肯定する概念だ。


「善い事は、おいしい作物の作り方。これはたった一つのやりかたしかないわけではないでしょう?」


 作物の育て方には農家独自のコツがあるためか子供達はうなづいたり納得の声をあげる。


「作物の味も人によって好みが変わるから、どれが絶対に正しいということはない。でも作物を燃やしたりしてはいけない。そういうことなの」




 

「多元的かつ多面的な価値観の比較検討をする為の基本となるガイドラインには、人類全体の利益を置き、その下に集団の利益。そして、その下に個人の利益を置くのは当然として、二元論的には矛盾するけれど多元論的に矛盾しない論理構築は未成熟な頭脳には負荷が高すぎるのではないでしょうか」


 美亜の授業風景の記録を見ていた ‘式樹’の言葉に水素内燃機関の作成の手を止めた久遠は量子脳独特の言い回しを頭の中で翻訳した。


 要は、美亜の授業が子供には難しすぎるのではないかと言いたいらしい。


 ‘式樹’に授業の問題点をチェックさせているのだが、今の所たいした問題はないらしい。


「肯定と否定だけで物事を考えるのは幼児性ではなく、論理的思考の育成方法に問題があるからだ。現に子供達は納得していただろう?」


「あれは論理的思考の結果ではなく、連想的思考共鳴の結果かと思われます。思考構築の過程が粗雑すぎる為、頭脳負荷が軽減された成果でしょう」


「特に理解したふりをしているだけの子供がいないならいい。明日は引き続き子供達のコンディションを観察して、集中力の低下した子供がいたら美亜へ報告してくれ」


 ‘式樹’に新たな指示を出して久遠は再び作業へと戻った。


 昼に‘武士’達の指導者として妖怪退治をしたばかりだが、頭脳を含んだ肉体的な疲労はないため‘式貴’の制御をしながらでも単純な作成業務ならこなせる。


 ‘武士’達は新しく農協に加盟する村で歓待を受けていた。


 妖怪に脅かされた村は。乱婚制度を採用したこの時代には一般的な村らしく、‘武士’達は。村の女達の柿の木問答に応えている。


 武家文化が農家の文化を駆逐した近代国家ではタブー視されるフリーセックスやスワッピングは、この時代の農家の常識では忌避されるものではない。


 閉鎖的な村に新しい血を入れる為に、女達は積極的に、‘武士’達を誘っていた。


 既婚未婚を問わず男を誘う女達というのは、唯一神教圏や武家文化などの血統主義では不倫理とされる行為だが、それは血統による富と権力の独占を図り創られた思想だ。


 博愛や平等と信頼なくしては在り得ぬ社会構造を持つ農村に、我欲と独占欲と不信を根源に持つその思想は受け入れられるものではない。


 愛情を独占欲と混同する血統主義の刷り込みを持たない文化では、愛情と性欲とはまったく別のものなのだ。


 半ば完全循環系の成り立つ環境としての特性を持つ故に、現代では閉鎖的なイメージがある農村だが、受け入れた相手に対しては、とことん開放的で密接な人間関係を築こうとする社会でもある。



 それらの行為が悪とされるのは、自らの遺伝子を残そうとする征服統治者の本能的欲求を社会に認めさせるためのシステムでしかなく、‘道理’を考えるなら、それは不道徳でもなんでもない。


 逆に、“ 自分の欲望を社会構造に反映させようという行い ”こそが悪に属すものだと考える久遠は、その行為を、止めようとはしなかった。


 久遠自身は、性的欲求を完全に制御しているが、‘武士’達はそうもいかないことが解っていたからだ。


 社会に対して強制力を持たず不幸を生み出さない欲求の開放は人の道を外れたものではない、それが‘道理’であった。


 だが久遠がそれを望むかどうかというのは、また別の話だ。 


 久遠自身はといえば、 ‘式貴’にも擬似的な性交を行える機能はあるが、警戒を理由に乱交に参加をさせず村の外に待機させている。


 さすがに女の相手をさせながら‘式樹’の能力チェックと作成作業までこなすのはきついからだ。

 

 人の幸せは多様だが不幸の数はそう多くはない。


 久遠は、現代人がみれば眉をひそめるかもしれない営みのそばで、彼らに不幸がふりかからないようにする為の地道な作業を続けていた。



















用語解説 愛と欲望の文化論2~現代文明の不幸~(民明書房刊)より一部抜粋



道理:

 儒教的概念としての善悪という印象が強いが孔子がその概念を創ったわけではなく、それより遥か以前、農耕文明の黎明期に社会を支える倫理的基盤となった思考法であり人を獣と分ける原点。 西洋で言うなら哲学にあたる概念。


哲学:

 人とは何か世界は何かと考えること。社会的倫理的思考法であり論理を基盤とする。

古代哲学が人を生命の循環の一部、つまりは動物の一種として科学的に扱っているのに対し、近代哲学は唯一神教の影響を受け、自我を重視し人を特別視する傾向がある。



水素内燃機関:

 現代技術でも製作は可能だが、石油メジャーや米国軍産複合体の一角である原子力産業などの大資本の思惑で開発が見送られている。


柿の木問答: 

一の段其の伍 託宣の日 を参照。

要は夜這いの誘い。



夜這い:

ある意味、農家の社会理念の根本となる文化。

博愛や平等と信頼なくしては在り得ぬ社会構造ゆえに、表向きはそれらの観念を肯定するが制度としてはそれを否定したアブラハムの宗教や近代国家では非倫理的とされる。

不倫は文化ですと言った芸能人がそれを知っていたかどうかは定かではない。



不倫は文化ですと言った芸能人:

結婚と離婚を繰り返す年下好きの優男のイメージが強い俳優。

本人に主義主張はなさそうだが、年齢や経歴から考えてフリーセックス論や夜這い文化を知っていた故の発言である可能性は高い。




乱婚制度:

 一夫一婦制によって否定された古来からの結婚制度。


一夫一婦制:

 性的抑圧による社会機構の維持を謳うシステムに組み込まれているが、論理的根拠はなく、単に軍制強化の為の役割しかないと70年代の平和主義に否定された結婚制度。


70年代の平和主義:

 ラブ&ピースを合言葉に学生やミュージシャンなど社会的影響力の少ない人々を中心に起きた古代回帰運動。

 拡大するにつれてマスコミの意図的報道により異端視され、本質を離れた活動のみが取り沙汰され大麻やフリーセックスに溺れた人間の活動というレッテルが貼られた。


マスコミの意図的報道:

 報道は単なる事実の羅列ではなく発信する目的を持つもので、その意味では全ての報道は意図的であると言える。

 先進国では商業目的以外に権力者が政敵や市民運動を潰すための常套手段の一つとしている為、領土問題やゴシップなどに絡めて行われる事が多い。


 




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