一の段其の参幕 仙人‘悠樹久遠’の誕生。





「ありゃあなんじゃ?」

 雑草を抜く合間に腰を伸ばして空を見上げた一人の百姓が、見慣れぬ光景に驚きの声を上げた。


「人が雲に乗っとる」

 その声に釣られて空を見上げた百姓の倅は、口を大きく開けて見たままのことを口にした。


「仙人様じゃ」

 この郷では、郷長の跡継ぎが仙人となるだろうという噂が知れ渡っていたため百姓はそう考えた。


「郷長んとこに降りなさる」

 倅がまた見たままのことをただ口にする。


 驚きのために頭が働かないというわけだけでなく、そういった素朴な性格なのだろう。

 教育制度などない時代に、気の聞いた台詞など百姓の倅に言えるわけはないので、それは当たり前のことだった。


「見に行くか」

「いくか」

「いこう」

「おういこう」


 そして当たり前のごとく、二人は郷長の家へ向かって小走りに駆け出した。


 天文四年 葉月。

 蝉の声のうるさい江田郷に、一人の仙人が舞い降りる。

 その仙人は、雲に乗って純白の道服をきた白髪白髯の“ 絵に描いたような仙人 ”であった。


 仙人は、郷長の跡取り息子に“ 仙号 ”を授けるために来たといい、郷人は大いに喜んだ。

 “ 仙号 ”は仙人としての名であり、その名を得れば仙人としての力を得るのだという。


 杖を振り何やら術を唱えると、この子は一年を経ずして言葉を操り、人の数倍の早さで成長するようになったはずだといい、また来るといい去っていった。


 仙号‘悠樹久遠’、その名は郷中にその日のうちに広まることになる。




 概ね郷人には受け入れられたようだ。

 これで下準備はいいだろう。


 秘跡から仙丹を得て自らの力で無事仙人となった久遠は、‘幻視’の立体映像投影による寸劇を終え、浮かれ騒ぐ郷人を‘透視術’で静かに観察していた。


 母の胸に抱かれながら目を閉じている姿は、普通の赤子と変わらず、とてもその身に深い知性と神秘的な能力が宿っているとは思えない。


 夜の闇は深く、未知の存在に対する怖れと信仰に満ちたこの時代だ。

 異質なものに対する排斥をこの地に持ち込んだ密教やキリスト教などの呪術や宗教が伝わっていないこの郷ではあっても油断はできない。


 感応魔術でそうならないように人の心を操作することはできるだろうが、それだけにかかりきりになるため、他のことができなくなるし、なにより久遠はそれを禁忌と定めている。


 久遠の魔術の師ほどの技術や転生前のように魔術をサポートし増幅する装置があれば、都合よい程度の精神誘導と強固な制約とを使い分けられるが、今の状態では不可能だ。


 今できる感応魔術での精神操作とは、精神の完全な破壊による傀儡くぐつ化だ。

 それを行うくらいなら殺してやったほうがましだと久遠は考えていた。


 だが、それもこれも杞憂だったようだ。

 ‘他心通’で探ったが、不穏な気配などどこにも感じられず、郷人は皆この出来事を喜んでいた。


 郷長の座を狙うようなものがいて、久遠を悪く言えばそれが後々の障害になるだろう。

 そう考えてのことだったが、この郷は表向きだけでなく心から一つに纏まっているようだ。


 人口数百人の郷とはいえ、郷人すべての人心を掌握しているのだから、森国光という男はかなりの傑物なのだろうと、久遠は五十近く歳の離れた父親を見直すことにした。


 一人目の妻と死に別れて一年もせずに、親子ほども歳の離れた二人の妻を郷の外から連れてきたという話と、家族に対する威厳の無さから、人は良いが無能な助平親父という印象を持っていたのだが、人は見かけによらないらしい。


 あとはナノマシンを使っての土壌改良と稲の育成補助、できれば遺伝子解析をして品種改良をすることで、豊作が続けば、この郷での地位を確立するまではできるだろう。


 だが一人で制御できるナノマシンの数は、転生前の100分の1程度。

 肉体強化に常時10ユニットを使うとして残りは170ユニット。

 これでは当面は土壌改良と稲の育成補助程度しかできない。


 万一の事を考えて‘使鬼術’で護衛を創りたいところだが、そうすると100ユニットを使っても50日以上はかかるだろう。


 自律行動のできないただの操り人形なら1日でできるだろうが、それでは使い魔と大差ないだろうから意味がない。


 久遠は、制御できるナノマシンのを数を増やせるように肉体を強化しながらできることを探す。

 そして、できることの内、どれを優先させるべきかを考える。


「久遠。おまえはすごい子だねー」

 そんなことなど知らずに、久遠の母、さよはぽよぽよとした平和な笑顔を浮かべ我が子を誇っていた。


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