第20話 君、帰らん

 真夜中。

 魔法少女を遠目に見送り、マリンウィステリアの思慮深い判断によって探し出されて殺されるという危機一髪の事態をうっかりやり過ごした、ことなど露も知らぬ少年が家に帰ると、そこには瓦礫だけがあった。分かりきっていたことだ。身体の一部、血液の一滴も残っていない。大昔から、この一帯は瓦礫の山だったのかも知れない。昨日までの日常が夢で、今の光景が現実なのかも知れない。有りもしない家に、自分は住んでいたのかも知れない。そんな夢想を真面目に思い描いてしまうほど、彼の家があったはずの場所は変わり果て、何一つ残っていなかった。

「ロマンチストね」

 ばかにしたような女性の声。地平線まで続く瓦礫の最中、人影といえば少年だけで、人間の女性らしい姿などどこにも見当たらない。

 しかし、声だけは確かに響いていた。家族どころか自分さえ失ったような状態の少年には、あまりに配慮に欠ける声が。

「家族を失って泣かない俺が、ロマンチストだって?」

 怒るのではなく自嘲気味に、少年が空へ返す。

「普通、泣くでしょ。現実をそうやって受け止める人間をリアリストと呼ぶのなら、そうじゃないあなたはロマンチストなのよ、きっと」

 最初からそんな風な意味で言っていたのだろうか、少年には到底区別がつかない。一時間もしない短い付き合いながら、この女の声の軽口にはまともに取り合うだけ無駄だと、少年は早くも悟っていた。

「なあ、黒猫。これは、他の場所もこんなになっているのか?」

「多分ね。こっち側の破壊は保険だから。かけるなら徹底的にやっているでしょう」

 少年は、側の瓦礫の上にすまして座る黒猫に話しかけ、それに黒猫が答えた……ようであった。何しろ、声はすれども口が伴っていない。らんと輝く金色の猫目が、じろりと少年を見据えているだけだ。しかし心の隙間に入ってきそうな綺麗な音声は、そう、透き通った瞳のように流麗な音声は、先と同じく少年の頭の中に鳴っているのではなく、間違いなく外から鼓膜を通して聞こえているものだった。

「保険、って、何の保険だ?」

「あなたの側にあなたのような化け物がいるかも知れない、そういう危険に対する保険。魔法少女は前柄累少年に的を絞り切れていなかったのね。あなたは大本命、その周辺は物のついで、念のため」

物のついで、念のため。

 そんな理由で家族は死に絶え、街の一角は見る影もなくなったのか。元を辿れば、少年、累がここに住んでいたから、とも言えるが。

「不可抗力ね。そんなことにまで責任を背負ってはだめよ」

 慰め、と受け取るには冷たくて、累は苦笑いしながら黒猫から視線を外す。

 不可抗力。

 自分にはどうしたってどうしようもないこと、というのは一定存在する。

 特別に無力なわけでなく、また特別に有力であっても、その運命からは逃れられない。言ってしまえば、どうしようもない事象が存在する事由を避けられない事実、からさえも逃れる術はないのだ。

 直面するに至って人に打てる手はたったの一つ。降りかかって来るそれらを受け入れること。事実上の無条件降伏だけが唯一許された自由だ。

「……でも、これはあんまりだ」

 受け入れるしかないとはいえ、それで世界の様相は一変した。自身は人でなくなり、家族はこの世から亡くなり、町は地図から失くなった。単なる変化ではなく根っこからのどんでん返しである。推理小説を読んでいたら、次のページからSFオペラが展開し始めるようなものだ。登場人物は据え置きスターシステムで。

 本の上でだって受け入れがたい急変を、現実で許容しろと言うのか。

 無理な話だ。

「あなた、さっきまで化け物としてノリノリで魔法少女と戦っていたじゃない」

「何となく、夢心地だったんだよ、多分。こっちに戻ってみて我に返った気分なんだ。いつも見ていたものが崩れているってのは、物凄い喪失感インパクトだ。想像以上に、引き戻される」

 実際、アレは別世界だった。前柄累が魔法少女やアンヌと死闘を繰り広げた空間は、魔法少女ダブルセイバーの魔法でつくられた箱庭だった。こっちの世界から対象を隔離し、閉じ込めるための時空魔法。浮かれていたわけではないにせよ、何となく現実感が希薄なまま、累はあの状況を受け入れていた。

 受け入れたような気になって、得意げに戦っていた。

「信じていなかったの? わたしの話を」

「重さを感じていなかった……というか。信じていたよ。信じるしかなかったから。でも何となく、虚構の中にいるような気分だったんだ。どこかで、夢オチなんじゃないかって」

「……信じ“切れて”なかった、のね。まあ、そっちが正常な反応か。だからって何が変わるわけでもないけれど」

「ああ、それを今、噛み締めている」

「どう、受け入れられそう?」

 言ってしまえば、見た目ただの黒猫が、明らかに人間並みの知性をもって行動し、口を開かず喋っている事実だって累には相当な衝撃だった。この黒猫は、累が魔法の世界の中で出会った“姿なき声”の正体なのだが、かえって姿がないままの方が、その突拍子もない有り様もすんなり受け入れられたのではと、累は考えてしまっている。

 それが、今の現実を受け入れられるのか、と問うている。受け入れ難い現実の一部くろねこが、自分を棚に上げて問うている。もはや理解を超えた光景だ。映画のセットみたいな瓦礫の大海原に、学生服の高校生が一人立ち、ぺらぺらと口を開かずに話す黒猫と会話している。ふと左の手の平を見れば、そこには穴が開いていて、ああ、本当にウソではないのだと思い知る。

 触手がこちらを覗く。顔のない肉、自らの新たな器官。

「俺は、生きる理由を何と言ったのだっけ」

 夜空に手をかざす。町の一区画が消え、ごっそりと地上の光量が減ったせいか、空はこれまでのどんな空よりも輝いて見えた。これほどの星が頭上にまたたいていたのか。夜空なんて毎晩見ているようで、その実は全く見えていなかったというわけだ。

 魔法少女やアンヌといった超常がこの世に存在していたことを、当たり前に知らなかったように。

「あなたは、魔法少女を……」

 意識が遠のいていく。累の身体がばたりと、でこぼこの残骸の上に倒れた。

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