第19話 魔法少女、会さん
全方位の地平線から内側へ向かって急速に、ガラスに絵を描いていたように割れていく。破片は浮き上がり、宙へ吸い込まれて溶けていく。向こうに見えるのは日の落ちた空と、瓦礫の大地。魔法をかけられる前の、累が元いた世界に、魔法の空間がみしみしと握り潰されていく。物理的な距離さえ圧縮され、累とダブルセイバー、双方は遠く離れていたはずが、磁石のように引き合って近づいていく。
【そうか、元の位置に戻るのね。逆らって、累。できるだけ遠くに】
「遠く?」
【何でも良いから。死にたくなかったらここを離れなさい】
特別に焦っている風でもなかったが、ふざけているわけでもないようで、累は理由を聞かず素直に従った。声は今までに一度だって嘘を吐いていない。少なくとも、累の不利益になるような指示や提案はしなかった。彼が訳知り
触手を地に固定し、引き寄せられる力に逆らい、砕けながら狭まっていく外周へと自らを押し出す。進んでいるのだか進んでいないのだか、外に出ている触手の長さは確かに増えているはずなのに、引っぱられる力が強いのと、進行方向の景色が広がりながら迫って来るせいで距離感が狂う。それでも、たった数秒も飛んで、累はダブルセイバーより一足先に魔法の世界を抜けた。
水面に上がるような感覚。魔法に浸かっていた身を、魔法のない方へと捻り出す。
「は、ぁ」
溺れていたみたいに、累は現実の世界の空気を目一杯に吸い込んだ。春爛漫の魔法の世界とは違い、現実の季節は冬の初め。冷たく、そして、埃っぽい。
【身を隠しなさい】
声に言われて、累は近くの瓦礫のそばにしゃがみ込んだ。見渡す限りの瓦礫の海、地平線まで何一つ建物は残っていない。魔法の世界に引きずり込まれる前の世界のはずなのに、見た目には終焉を迎えて久しいかのようだった。
様変わりした元住宅街。少し離れたところに人影が集まっている。そのシルエットは一目に分かるほど非日常だ。ダブルセイバーの変身前と同じような、ドレスを着込んだ少女たちが、そこにいた。
▲
「ダブルセイバー!」
グッドチャイルドは、萎み切った閉鎖世界から絞り出されるように現れた少女を見るなり、流していた涙を拭きもせず、わっと彼女に抱きついた。
ひまわりのように真っ黄色のドレス。対して、ダブルセイバーは何も着ておらず、抱きつかれても大した反応を示さない。
二人の周りには六人の少女がいる。座り込む二人を合わせれば総勢八人、皆が似たり寄ったりの服装で……ダブルセイバーは裸だが、似たり寄ったりの年の頃だ。すっかり日の暮れた寒空の下、町の一区画が丸ごとぺしゃんこになった風景にはあまりに似つかわしくない、可愛らしい格好の集団。
その内の一人、青いドレスの少女は、無残な姿となった元魔法少女に眉をひそめた。
「魔法を……」
「ええ。奪われたわね。ワンプごと」
思わず言い淀んだ青いドレスの後を引き継いで、隣の黒いドレスの少女が指摘する。自分よりも大きなかしの木の杖……いかにも、といった風貌の魔法の杖に頂く、真っ青の水晶を眺めて、ため息を吐く。
「当分、意識は戻らないわ。生きているだけでも良しとするべきかしら」
「そりゃ生きてんのは良しだけどな。ここまでやられて、どうして生きてんだ?」
いちゃもんをつけたのは、ドレスが汚れるのも構わず瓦礫に腰を下ろしたオレンジ色の魔法少女だ。スカートであるという自覚がないのか、その座り方は口調と同じように男勝りである。
「魔法を奪われる段階まで行って、まさかアンヌと相打ちなんてこともねーだろーよ。他に魔法少女がいたなら、魔法を奪われて帰って来れるのも分かるけどな。パートナーのグッドチャイルドは外にいたんだろ?」
名前を出されて、グッドチャイルドがきっ、とオレンジ色の魔法少女を睨んだ。オレンジ色は気づいていて、向けられた攻撃的な視線を無視する。
「誰がお守りをしたってんだ」
語り口は喧嘩腰。だが疑問は誰にも共通していたようで、他の魔法少女は皆、裸で放心するダブルセイバーと苦い顔をして立ち尽くす青い魔法少女とを交互に見た。
しばしの沈黙の後、
「分からないわ」
と、観念したように青い魔法少女。
「分からないモノを連れ帰るのはゴメンだぜ」
「ソリッドマーチ。けれど、仲間を疑うような発言は……」
「可能性の話だ。分かるだろ。“こんなことの後だからこそ”、慎重にならなきゃいけねーんだ」
オレンジ色の魔法少女、ソリッドマーチと呼ばれた少女が、再度ダブルセイバーに目をやる。グッドチャイルドが守るように、彼女を抱きしめてソリッドマーチを睨み返す。今度は、ソリッドマーチは無視をせずにじいと見つめ返した。
ひるまず先に言葉を返したのは、グッドチャイルドだ。
「ダブルセイバーは寄生されてなんていない」
「どうしてそうと言える。“人間にとり付いて見せたアンヌが魔法少女にも同じことをしない”と。そいつがここで分かれば苦労はしないんだ」
「分かるわよ」
全員が、答えた声の方を見た。
視線の集まる先で、黒い魔法少女がにこにこと笑っている。
「冗談はよせよ、アトラクトアディション。そんな簡単に分かるなら、今回のことだって大事には……」
「あなたの言っているのは、調べ始めのことでしょう。今は実際に寄生されたミクスを見つけることができているし、それまでのノウハウもきちんとわたしたちに還元されてる。魔法は日進月歩よ、ソリッドマーチ。個人でも十分、調べはつくわ」
「……」
「アトラクトアディション、あなた……」
ぽかんと呆けるソリッドマーチに、呆れかえって頭を抱える青い魔法少女。その嫌味を最後まで聞かぬまま、黒衣の魔法少女、アトラクトアディションは、片手を腰に当て、杖で地面を叩くアクションを挟んで大仰に解答する。
「寄生はないわ。持ち帰って良し」
一番喜んだのは、言うまでもなくグッドチャイルド。他の魔法少女も一様に胸を撫で下ろす。が、ソリッドマーチだけは納得がいかない様子で、瓦礫から飛び降りるなりアトラクトアディションに詰め寄った。
「わざと黙ってやがったな、おまえ」
「心外ね。寄生云々はともかく、それ以外の話は真っ当だったから、聞いていようと思っただけよ」
「それ以外?」
「“魔法を失ってなおダブルセイバーが生きている理由”ね」
腕を組み、目をつむり、右足のつま先でかつかつと地面をたたきながら、青い魔法少女が独り言のように答える。物思いにふけるこの格好が、青い魔法少女が考えを巡らせている時のポーズであることは、この場にいる誰もが知っていた。
「ソリッドマーチの言う通り。……魔法を奪われる段階まで行ったということは、その魔法を掌握されていたということ。その状態で敵を殺すことは……」
「あー、そっか! 殺したにせよ殺せてないにせよ、つじつまが合わないんだ!」
大声を上げてさえぎったのは、緑色のドレスの魔法少女。八人の中では唯一、メガネをかけている。クラシックな丸メガネの奥で瞳をきらりとさせて、自らの思いつきを口にする。青い魔法少女の口上に割り込んだのだと気づくのは、その後すぐだった。
「ムーンムーン」
「ごめん、マリンウィステリア。続けて?」
「あなた、わたしの言いたいことを言ってしまったじゃない」
「だから、ほら、ちゃんと、説明が残っているというか……」
ため息一つ。
「“つじつまが合わない”。もしダブルセイバーがアンヌに魔法を奪われるところまで追い詰められていたのなら、既に魔法はアンヌに掌握されている、だから逆転の手は存在しない。もしダブルセイバーがアンヌを殺せていたのなら、こっちは単純、魔法を奪われるはずがない。とすれば、魔法を奪われた今のダブルセイバーは前者の過去を辿ったはずだけれど、どういうわけかダブルセイバーは生きている。魔法を奪われた状態で無傷で生き残った魔法少女の例はないわ。アンヌは魔法少女を決して生かしはしないから」
それはアンヌの習性だった。魔法少女と敵対する彼らは、魔法少女がアンヌを殺すように、容赦なく魔法少女を殺す。その際の手順として、アンヌは必ず魔法を奪ってから、魔法少女を殺すのだった。その場で殺されるのではなく、アンヌたちの世界に“連れ去られる”という例外があるにせよ、どっちにしてもアンヌは、魔法少女にトドメを刺す前に必ず、魔法を奪って無力化する。
つまり、“アンヌによって魔法を奪われること”と、“アンヌによって殺されること”とは、同義なのだ。マリンウィステリアの言う通り、魔法を奪って少女を生かしたアンヌとの戦闘記録は過去にない。
魔法を奪われた魔法少女は、文字通りただの
例えば、ソリッドマーチの話にもあったように、他に魔法少女がいればその限りではない。当然だ、戦うのが無力化された本人ではなく他の魔法少女なのだから。裏を返せば、ただの人間がアンヌを前に生き残れるとして、考えられる原因はそれぐらいだった。
もう一つの可能性を潰しておくとすれば、魔法を奪われる前に放った魔法が、魔法を奪われてから時間差でアンヌを殺す、という可能性。残念ながらこれもなしだ。
なぜなら、魔法少女の魔法は、魔法を失った時点で全て消滅するから。
「先に殺したのなら、魔法を奪われない。先に奪われたのなら、魔法少女は生きていない。……でも、ダブルセイバーは魔法を奪われて生きている。殺されたのでもなく、連れ去られたのでもなく」
生存した。
少女たちの魔法少女歴は長い。魔法少女とアンヌの戦いの歴史ともなればもっとだ。たかだが十数年とはいえ、毎日のように起こっていた戦いの中に、ダブルセイバーのような事例は、何度も言うが残されてない。
はあ、と誰かが困惑を吐き出す。
皆が沈黙し、ある者は瞼を閉じ、ある者は空を仰ぎ、ある者はダブルセイバーを見つめていた。
死んでもおかしくない者が、生きて帰って来た。過去に例のない、これは奇跡と呼ぶに相応しい生還だ。皮肉なことに、だからこそ。
魔法少女たちは、ダブルセイバーの無事を手放しには喜べなかった。
戦いの中に身を置き、生半な覚悟では生き残れない日々を過ごす、その対価である。
奇跡を盾に疑いから目をそらすことができない。あるいは、奇跡そのものに懐疑的にならざるを得ない。分からないことを分からないままにしておけば、その怠慢はいずれ自分たちに、いずれ良くない形で降りかかって来る。
命を懸ける、とはそういうことだ。どんなに瑣末であっても、不明瞭を見過ごすような鈍感さは命取りだ。ぴんと気を張り、一時も考えることを止めずして、ようやく死を免れるための最低条件をクリアできる。
「……まあ、そうは言っても。ここじゃあ、考えるだけ無駄かしら」
アトラクトアディションの、緊張感のない一言。張り詰めていた空気がさあと溶けてなくなっていく。
そうね、とマリンウィステリアが頷いた。
「今は生き残ったことを良しとしましょう。良いわね、ソリッドマーチ」
「ミクスじゃないなら文句はねーよ。それで、どうするんだ。この辺りを探すのか?」
「いいえ。今は一度、全員で帰還しましょう。この作戦、そもそも一人も欠けなかった時点で十分に幸運なのよ。ダブルセイバーを生かしたイレギュラーがいるにせよ、いないにせよ、今は接敵したくない」
万全を期さずアンヌに当たるなど、愚策も愚策だ。つまり今回の作戦は、愚策も愚策だった。結果として、ダブルセイバーのような奇跡が生まれたとも言える。良いか悪いかと問われれば、結果だけを見れば良しだろう。
方針が決まると、一人、また一人、魔法少女が空へと上がっていく。ダブルセイバーをお姫様抱っこしたグッドチャイルド、後にアトラクトアディション、見送ってマリンウィステリアが飛び、八名の魔法少女は満天の星空に吸い込まれて消えた。
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