第三話 酒井伸太郎 一
また同じ夢を見た。
中学校の進路相談で先生に何度も頭を下げながら、出来の悪い息子の背中を押しつつ教室を出る母親の姿。
しかも不満そうな顔をした自分自身まで登場する「傍観者の視点」である。伸太郎の夢ではよくあることだった。
自分の姿を客観的に見ることができる――そう言うと優れた才能のように聞こえるが、単に主体性が乏しいだけのようにも思える。
創作活動中、よく友人から言われたことがある。
「伸太郎の文章は客観的で、理性的で、たまに突き放した物言いをするのが特徴だよな。それはそれでマニアックに受けると思うけど、熱が低いから一般受けはしないと思うよ」
言い方はそれぞれだったが、要するに彼の小説に起伏が乏しいことを指摘していた。
低く飛ぶ雲のようなもので、ふわふわとした不定形の感情が横ばいの風景の中で語られてゆく。雲と違うのは湿度すらない点だろう。
彼自身は物事に拘らないたちであったから、個々の登場人物に対して感情移入することがなかった。重要な登場人物であっても、物語の進行上必要がなくなればあっさりと葬った。
残しておいて、後々「彼はどうなった」と言われるのが面倒臭いからでもある。
現実の世界でも伸太郎は物を捨てるのが得意で、作業場はいつもさっぱりとしていた――いや、また肯定的な言い方をしてしまったが、単に殺風景なだけである。
真夜中、布団の中で伸太郎は考える。
――昔から自分は熱の低い子供だったのだろうか。
そうではないような気がするのだが、転換点がどの辺にあったのか思い出せない。少なくとも小学校低学年の頃は、近所の子供を引きつれて悪戯をしまくっていたような記憶が残っている。
そういえば隣りに住んでいた同級生の宮沢は、今どうしているのだろう。子供の頃はいつも一緒に遊んでいたのに、高校進学時に学校が別れてからは殆ど口も利かなくなった。
家業の酒屋を廃業して実家ごと街を出ていってからは、姿すら見たことがない。連絡先も分からない有様だった。
幼馴染の親友すら定着しなかった伸太郎の人間関係の薄さは、むしろ「酷薄」と呼んでもよんでも差支えないほどである。
今現在、彼が関係性を持っているのは、父親と黒窓町商店街振興会の会員達、居酒屋『小暮』の大将と菜摘――それ以外は思いつかない。
常連客は父親のであって、彼のではなかった。学生時代の同級生から声がかかることはない。実生活の中で忙しく働いている彼らは、付き合う相手も厳選しているのだろう。伸太郎に拘っている余裕はない。
――半径五百メートル以内で完結する人間関係、というのはどうなんだろう。
昔の村落共同体であれば普通――そう考えたところで伸太郎は、いつの時代の話をしているのか分からなくなった。
平安時代であっても、村の広がりは一キロを超えるだろう。縄文時代ですらそこまで狭くないように思う。
寝返りを打ってみる。状況はまったく変わらない。相変らずの慣れ親しんだ空虚さが辺りを徘徊している。
――仕方ない。
伸太郎は身体を起こした。豆腐屋に生まれたお陰で朝起きるのは辛くない。辛いのは、起きても何もすることがない点である。
騒音に気を使う必要があるから、早朝に作業を始めることはできなくなった。父親は朝三時から作業を始めて、朝食に間に合うように仕上げていたが、そんなことをしたら周囲のマンションから苦情が出る。
それに、その日は午前中に父親が入っている老人介護施設を訪問する予定だった。中途半端に作業する訳にもいかない。
暇潰しの手段があればよいのだが、感情移入に乏しい彼にはゲームの類も退屈なものでしかない。それでよく創作活動をしていたものだと思う。
と、そこで伸太郎の思考は一瞬止まった。
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