第一話 酒井伸太郎 三
それでも、高校から大学にかけてもう少し真面目に店を手伝っていたら、少しは違っていたのかもしれない。
中学の前半、彼の成績は学年上位にあった。しかし、中学の後半から何となく勉強に身が入らなくなって成績が急降下した。
心配した教師や母から幾度となく叱咤されたものの、どうしてもやる気が起きず、そのまま中の上ぐらいの高校に入学する。
そして「何もしないと家の手伝いを頼まれるから」という理由だけで、文芸部という体力的に楽そうな部を選択した。
ところが、そんなあやふやな考えで入部した文芸部で創作活動に魅せられてからというもの、高校から大学にかけての彼の生活時間の大半は、小説執筆にあてられた。
だからといって、彼に輝くほどの才能があった訳ではない。
そもそも、真面目にやっていれば上位校に進学可能だった彼は、それなりの才能に恵まれており、それは中堅高校では抜きん出たものと見做された。
要するに比較対象のレベルがその時点で低値安定方向に偏っていたわけだが、伸太郎は周りからちやほやされてしまって、それに気がつかなかった。
「酒井君って、なんだか不思議な発想の仕方をするよね」
伸太郎が入部したての時、三年生の部長が言った言葉である。
その部長は、外見だけが実に文学少女らしかった。小柄な肢体に、色の白い肌。長い黒髪をツインテールにして、黒いセルフレームの眼鏡を愛用している。
現実から遊離した落ち着きのない作品を特徴としていた部長は、伸太郎に大きな影響を与えた。彼女の評価を得るべく、伸太郎は自ら特異な発想による創作活動へと傾斜する。
学内で回覧される文芸部の会誌の中で、彼の作品は異彩を放っていた。
その一方で小手先の技を駆使することには優れていたために、現時点でウケそうな要素を作品の中に抜かりなく取り込む。
「酒井先輩の作品って、全体を見ると分かり難いけど、ところどころ部分的に面白いところがありますよね」
伸太郎が二年生の時に、一年生の後輩が言った言葉である。
伸太郎も後輩も、それを褒め言葉と了解したため、その裏にある落とし穴はすっかり見過ごされた。
その後輩はついでに高校時代を通じて伸太郎の恋人となり、彼は常に彼女からの好評価を受け続け、それが何を意味するのか知らずに幸せな時を過ごした。
せめて、一般文芸誌への投稿を試みていれば、まだ軌道修正の余地はあったかもしれない。しかし、周辺環境による微温湯評価に慣れていた彼は、それで満足してしまった。
*
彼が小さな共同体の中の限られた人々による評価から、より広い世界での第三者による評価というステージに進んだのは、大学進学後のことである。
中堅高校での成績は上位だった伸太郎は、そのまま中堅私大に進学して、やはり文芸関係のサークルに入部した。
しかし、そこで行なわれていたのは、三分の一がラノベ、三分の一がBL、残りの三分の一がコミケという、「文芸」という文字の着地点がどこにも見つからない活動だった。
それでも、自分の作風がラノベに近いと思った伸太郎は、そちらへの接近を試みる。しかし、中途半端に難解で中途半端に重い作風はラノベに合わず、さらに中堅私大にはその作風を面白がる顧客層はいなかった。
ならば、ということで伸太郎はネット投稿の世界に飛び込んでみる。
ところが、こちらも中途半端に重い作風は受け入れられず、それどころか、
「分かり難い独りよがりな幻想は、自慰行為に等しい」
という何の遠慮もない批評を目の当たりにして、彼は即座にアカウントを削除した。
*
それと時を同じくして、母が死んだ。
家で夕飯の支度をしている最中に、脳梗塞で倒れてそのまま亡くなったのだ。
あいにく父も商店街の会合で外出中だったため、冷たくなった母が見つかったのはその日の夕方である。
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