5-7
「あ、あれ? ここは……?」
「お主、桜華か」
「ん? その声は――あっ、天音ちゃん!」
なんだ、なにが起こった? あの永瀬が、天音をちゃん付けしてるぞ。
「わーっ、久しぶりだね天音ちゃん! 元気してた?」
「う、うむ、お主も元気そうでなによりなのじゃが……」
「ぜんっぜん変わらないねー、この耳も、尻尾も……。っというか、一緒にお風呂入ったの覚えてる? よく洗ってあげたよねー。懐かしいなー。やわらかくってもふもふでふわふわで、私、天音ちゃん大好きだったんだよぉ」
おお、なんか知らないけど、あの天音が圧倒されてる。
なすがままというか、好き放題弄られてるぞ……。
「桜華、戯れはそれくらいにしてじゃな、お主の使命を――」
「あ、こちらの方は、どなたですかぁ?」
天音の言葉を聞き流し、俺に振り返った永瀬は、きょとん顔で問うてきた。
というか俺の方こそ聞きたいわ。
「紹介遅れたようじゃがの、こやつは……ってお主、紫音から何も聞かされておらぬのか?」
「えっ? あ、そう言えば紫音ちゃんが、大事なお友達の危機的状況だ、とか言っていたけど、あなたがそうなんですねー。そして天音ちゃんがいる。ということは――」
「うむ、ようやく気づいたかの」
「天音ちゃんの旦那さん!」
ブッ!
思わず噴出してしまった。
「違うわボケ! お主、わしに憑かれたことがあってよくそんな答えに辿り着けるものじゃな!」
「あ、ということは、この方が、新しい天音ちゃんのご主人様」
「正解じゃ。ま、旦那と言われるのも、別に嫌ではないがの」
なぜそこで、顔を赤く染めるんですか、天音さん。
おかしな誤解を招きますよ!
「初めまして、私、天音ちゃんの元ご主人様してました、夜坂桜華と申します。此度は、紫音ちゃんの体をお借りして、しばしの間だけ、使命を与えられてこの世に咲き戻った次第です」
「あ、これはご丁寧にどうも。俺、神藤陽一って言います、以後お見知りおきを……」
って、いきなり改まられて、俺もつい硬い挨拶になってしまった。
だっていきなり雰囲気変わるんだもんな、永瀬。
それに、いまの自己紹介で理解できた。降霊の儀式が成功し、永瀬は無事、ご先祖様を自身の体に憑依させられたってことなんだ。
「知ってますよ。毎年、初詣に夜坂神社に参りに来てくださってますよねー。ありがとうございます、ありがとうございますー」
神様と同格の人間様に、深々と頭を下げられてしまった。
これは土下座で返すべきなのかどうか……。
「五円玉もいいですけど、一万円入れてくれると嬉しかったりするんですけど」
「ぅえ!? いやあ、まあ、はあ……」
そんなところまで見てるのか、この人。
来年はせめて五百円くらい奮発してみるかな?
「馬鹿者、世間話しとる場合ではないんじゃぞお主ら。今はあの呪界をどうにかせねば……。それに桜華、紫音の幽体にもあまり負荷をかけとれんじゃろうが」
「あ、それもそうですね」
「おい、どういうことだよ天音」
聞き捨てならないセリフに、時間がないことは分かっていても、つい聞き返してしまう。
「それは私が説明します――」
「お願いします」
「つまり、小さな穴に、無理やり太い棒を捩じ込むと、痛いでしょ? そういうことです」
うん、ぜんっぜん分からん。
「お、おおお主、主殿の前でなななんて破廉恥は話をしておるのじゃ! 夜坂の巫女が聞いて呆れるわい!」
「あれ、そう言えば天音ちゃんって、まだ処女?」
「ブッ!!」
って、いきなりなんの話をし始めた!
「お、お主には関係ないじゃろ」
真っ赤になりつつ、そっぽを向く天音。
つまりはあれか? 小さな穴に太い棒とかって、いまの説明はそういうことなのかっ!?
永瀬はなんの儀式を行っていたんだ!
「ま、今のは例えですよぉ。簡単に言えば、紫音ちゃんの霊気の器に、まだ私は大きすぎて負担が半端じゃないってことです」
なんだ、そういうことだったのか、納得。
でも、永瀬のご先祖様とあってか、こちらも負けず劣らずのぶっ飛びキャラなわけですか。
「でもそっかー。天音ちゃんらしいねー、私は安心したよ」
「お主は、少し変わったな」
「まあねー。だって女になったから。それにお母さんにもなったし。だから今、紫音ちゃんもいるわけだしねー」
実にしみじみとした、哀愁漂う雰囲気。
ドラマなら、この辺りでバラードでも流れそうだ……。会話の内容はあれだけど。
「あの、雰囲気ぶち壊して悪いんだけど、なんかあの結界、さっきよりも勢い増してない?」
空気も読まず、そんな二人のムードを破壊した俺を、どうか許してほしい。
でもさっきから気になってた。呪いの渦が、だんだん拡がってきていることを。
「お主、それをなぜ早く言わんのじゃ!」
「だってお前らが話してたからだろう。思い出をぶち壊そうなんて無粋なマネが出来るかよ!」
「桜華、話はそろそろ終わりじゃ」
慌てる天音とは裏腹に、冷静に頷いてみせる永瀬。いや、桜華さん。
「それもそうですね。私の霊力の器として足りていない分を、どうにか魂削ってまで無理して頑張ってくれている紫音ちゃんに、これ以上辛い思いをさせるわけにはいきませんし」
「魂を、削る……?」
永瀬は、そうまでして俺を、助けようとしてくれたのか。
「そうじゃ主殿。これからは紫音のことも、大事にしてやらねばな」
「ああ、これが終わったら、たくさんお礼をしないとな!」
「ところで天音ちゃん、私が遣わされた原因っていうのは、あれですよね」
――ビクッ!!
聞こえた声に、俺は悪寒を感じずにはいられなかった。それはどこまでも冷たく、どこまでも深く、そして果てのない恐怖を感じる声色だったからだ。
視線を向ければ、今の今まで飄々としていた永瀬が、初めて言葉を交わしたあの日よりも、鮮烈に目に焼きつくほどの、冷酷で無機質な表情を浮かべていた。
憎悪の対象を、忌むべき存在を抹殺しにかからんとする断罪者のような顔だ。
よく見れば、永瀬に重なるように女性の霊体が視える。
きっとこの人が桜華さんだ。
永瀬によく似た姫カットの女性。歴代の夜坂の巫女で、最強と名高い霊力の持ち主。永瀬が絶対的に信頼し、魂を削ってまで自身の体に霊体を降ろした女性、夜坂桜華。
「不愉快極まりないですね。確かにこの地は霊脈が幾筋も集い交わり流れる処。だからといって、民を巻き添えにしてまでその悲願を達成せんとする妄執。如何ともしがたい、醜き欲望。これは紫音ちゃんには荷が重すぎますね」
「桜華、お主はあの結界を斬るだけでよい。斬ったら直ちに退避せよ。蟲毒の中身が溢れてこんとも限らんからな」
「分かってますよ、天音ちゃん。借り物の体で、それを受けきれる自信なんてないですから」
言いながら、永瀬は刀を左手に持ち、鍔に親指をかけ、腰の辺りにとる。
「見れば奥に突っ立ってるのは、九尾狐じゃないですか。なんの因果か知りませんけど、つくづく稀有なめぐり合わせですね、私たちは。まあ、わるーい女狐の処断は天音ちゃんに任せるとして、私は私の成すべきことをしましょうか――」
そうして、永瀬はスラリと刀を抜き放つ。朱の鞘から抜かれたその刀身は黒く、ほとばしる真っ赤な線は、血脈みたいに生きているかのように脈動し、淡く光を放っていた。
「これが、退魔刀……天叢雲」
「この感覚、久しぶりです。あ、そうだ。ご主人様、どうか鞘を預かっていてくださいませんか」
「え? あ、ああ、いいですけど」
しかしご主人様とな……。
べつに俺は、あなたの主人でもなんでもないんだけど。
「ありがとう」
刀の鞘を受け取ると、桜華さんはふっと微笑み、そして視線を蟲毒へ向けた。
その目つきは再び鋭いものへと変貌していた。
ゆっくりと正眼に構えると、そのまま流れるような動作で刀を上げ、上段の構えへ移行する。
「百花咲き乱れし我が退魔の技、この一太刀に全てをかけます。……いきます」
声と同時。
火柱かと見紛うほどの赤い閃光が刀身から一気に噴出し、そして――
「はぁあああああ!」
気合一閃。
踏み込みと同時に振り下ろされた真っ赤な光の刃は、真っ直ぐに蟲毒へと向かっていく。
幾つもの呪界の筋が一瞬で断ち切られ、渦巻いていた結界が、パーン! っと弾けるようにして、やがて粒子となって霧散した。
蟲毒の壷が、露になった。
「くっ」
賽銭箱の前で仁王立っていた鳩羽が、前のめりになり悔しげに声を漏らした。
「す、すげぇ」
全力ではないとはいえ、天音の十八番らしき術でも壊せなかったあの結界が、一瞬で弾け飛んだ。あまりの凄さに言葉もない。
「むうぅ、これだけ時を経ても技のキレは変わらぬか。やるのう、桜華」
珍しく天音が感心している。
「何してるんですか、天音ちゃん。壷を破壊しないと」
「う、うむ」
後方に飛びずさる永瀬に指摘され、天音ははっとした。
「ふん、させるか」
鳩羽の声がした。振り向いて、突如そこに発生したモノに、俺はハッと目を瞠った。
巨大な火の玉が、鳩羽の前に出現していたんだ。轟々と燃え盛る火炎の玉。
妖力は、もう空に近いんじゃなかったのか!
「あれは、
驚きの声を上げたのは、永瀬だった。
「あの術を使えるだけの妖力を、玉藻は残していたというんですか。……天音ちゃん、完全に誤算なんじゃ」
不覚をとった、そんな渋面を浮かべる永瀬に、天音は「いや――」そう言って俺の傍へと歩み寄ってくる。
そして、
――ちゅっ。
「うわぁ……」
え……?
突然の出来事に、脳の処理能力が追いつかない。完全にキャパを超えている。
目の前には頬を赤く染めた天音の顔があって、唇にはやわらかい感触が触れていて、いつもの匂いとは違って、フェロモンがプラスされてるような甘い匂いが鼻腔を優しく刺激し、芳醇なアルコール入りのチョコレートを食べた後みたいに頭がくらくらする感覚に見舞われた。
「ふふ、霊力の補充が完了したぞ、主殿」
真っ赤な顔をしながら、視線を交える俺と天音。
急に足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちてへたり込む。
そっか、俺、天音に、キスされたのか。
……なんで?
「ご主人様、天音ちゃんは霊力を補うために、主と接吻をして吸精するんです。私も何度か経験ありますから、そんなに驚かないでください」
永瀬に重なる桜華さんが、顔を赤くしながらいい物を見たと、にこにこ笑いながらそう教えてくれた。
吸精するのは狐じゃなくて、サキュバスとかああいう類なんじゃ……。
けど、
「俺、初めてだったんだけど」
ファーストキスの相手が狐の神様って、これは喜んでいいのか嘆けばいいのか。
判断に迷うな。
「わしも殿方と接吻するのは初めてじゃがな。主殿、わしとの接吻なぞ、物の数に入れるでない」
当の本人は特に気にする様子もなく、いつもの調子でころころと笑う。
なんだか楽しそうだな、おい。
「それは芽依殿のために取っておくのじゃぞ」
「って、だから俺と芽依はそんな関係じゃな――」
「そんなことより、今は目の前の蟲毒と玉藻を、滅せねばな」
呆然とする俺に背を向け、天音は目の前の仇敵を見据える。
「玉藻、お主との遊びもこれまでじゃ」
「小癪な。矮小な人間などに憑かねばまともに動けんお前に、我が遅れを取ると思うてか。我の術で、消し炭になるがいい」
「その余りものの妖力で練り上げた火産霊神で、わしの天照を本気で止められると思うておるのか」
今まで余裕を見せていた鳩羽の表情が、苦渋の色を呈する。
逆に、天音の方が生き生きとして、余裕というか、優雅だった。
勢いよく天高く手を振り上げ、
「全霊力開放――」
発した言の葉とともに、頭上に出現したバカでかい光球。それは天音から立ち上る霊気を吸い上げて眩いばかりに光り輝き、春先の真昼の太陽みたいに温かなものだった。
そしてそれは、鳩羽の火の玉と比べても、目視で五倍以上は優にありそうだ。
この光景を見て、「おらに元気を――」のくだりを思い出したのは内緒にしておこう。
「目障りな女狐が……。我の術で灰燼と化すがいい!」
鳩羽の叫びとともに、火の玉は勢いを増してさらに燃え上がる。
「火産霊神!」
術名とともに放たれた火炎球が、天音に向かって飛んでいく。
ってやばい! この位置じゃ俺も一緒に消し炭に……。
「二人はわしが守ろう……
天音はぶおんと腕を振り下ろし、頭上の光球を地面に向かって落とした。
飛んできていた鳩羽の火産霊神は、天音の天照に吸収されるような形で消滅した。
地面にぽっかり開いた穴から見える蟲毒の壷に、天照が触れた瞬間、ジュッと壷は一瞬で掻き消えた。文字通り、まるで紙に書いた文字を消しゴムで消すようにあっけなく、壷が消滅した。
刹那、壷から生じた蛇らしき影が、鳩羽に向かってうねりながら飛翔する。
「ぐっ」
飛来した蛇に腕を咬まれた鳩羽は苦しげに呻くと、天照の光が徐々に収まっていく。
「……玉藻」
「憎き天音……くく、今回も、またしても我の負けか……」
「人を呪わば穴二つ。よもやお主が、この言葉の意味を知らぬわけではあるまい」
「ただ怨嗟だけを唱え続け、狐を、人を怨み続け、妖気を練り上げた我がまた敗北するとはな」
「怨みや憎しみだけでは、なにも変わらぬよ」
「ふん、相変わらずの戯言を……」
鳩羽は言葉を切り、そして顔を上げた。
その赤い瞳は、今までに見たことがないくらい、寂しそうな色を宿していた。
涙で、濡れているようにも見える。
「忌み子として、我が里を追放されることもなく、我らが本当に、姉妹としてともに育ったのならば、どのような光景が、目の前に広がっていたのであろうな」
「姉上……」
ありもしない夢物語を語るように、鳩羽は遠い目をしながら呟いた。
天音が沈痛な面持ちで、それを見守っている。
掟とは言え、姉妹を引き裂いた残酷な運命。それを呪った鳩羽と、受け入れて神となった天音。
怨嗟を口では唱えながらも、でも本当は、鳩羽も天音と一緒にいたかったのかもしれない。姉妹として、ともに育って、ともに生きていきたかったのかもしれない。
そんな切ない心の内を、先の言葉で、少しだけ垣間見た気がする。
「四百年……。永い時を経て、変わらぬ結果、か。だが次こそは、必ずお前を消してみせるぞ。残る殺生石はあと二つ。――怨み怨みて幾星霜、愛し憎しや、天の音張」
以前聞いた詩だけを言い残し、最後に不敵に笑った鳩羽は、すぅっと静かに、景色に溶けるようにして消えていった。灯っていた提燈の火も、フッと同時に掻き消えた。
「終い、じゃな……」
ぽつりと、呟いた。
途端、事切れたように天音の体が急に傾ぐ。
「あぶねっ!」
寸でのところで天音の体を抱きとめると、まるでマジックみたいにポンッとその体が瞬時にちっちゃくなってしまった。
いつもの小生意気なガキんちょの姿ではなく、正真正銘の狐の姿。
「あ、天音?」
「ああ、大丈夫ですよ、ご主人様。天音ちゃんは天照を使用すると、人化が維持できないくらいに霊力を消耗するんです。けど、一週間くらいすればもとに戻れますから」
「そうなん、ですか。よかった」
安堵から、ほっと胸を撫で下ろす。
「ふふっ」
すると永瀬が噴出した。
「どうしたんですか?」
「いえ。天音ちゃんは幸せですね。こんなにもご主人様に愛されて」
「いや、別に愛してるわけじゃっ。お世話になったし、神様だし、狐だし――」
「ちょっと妬けちゃいますね」
やんわりと微笑んだ永瀬、に重なる桜華さん。
なんだか、保護者みたいに温かな眼差しだった。
すると「あ、そうだ」なんて突然声を上げ、
「さっきの口付けは、紫音ちゃんには黙っていてあげますよぉ。きっと紫音ちゃん、このこと知ったら、ご主人様を叢雲で追い掛け回したりしちゃうかもしれませんしね」
禍刈は折れちゃったので、と付け足しながら、なんとも物騒なことを口にした。
そうだ、忘れてた。永瀬は百合なんだった。
黙っていてくれるという言葉にひどく安心していたら、
「そのかわり、来年の初詣は、たくさんお賽銭してくださいね!」
可愛らしくウインクしながら、そんなおねだりをされてしまった。
は、はぁ、なんて気の抜けた返事をし、渋面を浮かべるしかない。
「ふふっ、冗談ですよ。ご主人様って、確かに、いじり甲斐のある人ですねぇ。紫音ちゃん、百合っ子ちゃんなんですけど、なんだかんだ言いながら、ご主人様のことは気になってるみたいで」
「えっ、そうなんですか?」
思わぬ恋愛事情を、しかも自分に対するものを仕入れてしまい、これじゃ次からどんな顔をして永瀬と会えばいいのか分からない。
「あ、これは黙っててくださいね。きっと怒られちゃいますから」
いや、てか言えるわけないじゃないですか。
それに怒られる、じゃなくて、殺される、の間違いなんじゃ……。
永瀬の場合、心中しそうな気さえしないでもない。
「じゃあ、私が長々と喋ってても迷惑だろうし、そろそろ私は消えますね。ご主人様――」
「あ、はい?」
「紫音ちゃんのこと、よろしくお願いしますね。仲良くしてあげて下さい。そして、天音ちゃんにもよろしくお伝えください」
手を振りながら、桜華さんは別れの言葉を口にした。
「桜華さん、今夜は本当にありがとうございました! こちらこそ、これからもよろしくお願いします!」
対し、頭を下げ、礼を言う。
永瀬が桜華さんを降霊出来てなかったら、きっと俺は明朝、この世にいなかっただろう。それを救ってくれた恩人に対し、心からの気持ちをこめてお礼を言った。
「よ、陽一君? よろしくって、なにをですか? まさか求婚とか……?」
ん、頭上から降ってきたしっかりした口調、聞き覚えがある。
顔を上げると、きょとん顔をする永瀬の姿があった。
「あ、あれ、永瀬? ……お、桜華さんは?」
「もう神社に戻られたんじゃないですか? 気づいたらこんなことになってて、何がなにやら。って、どうやら、成功したみたいですね」
あの呪界が、蟲毒が消えたことに気づいたみたいだ。そして、鳩羽の姿も。
「よかったです、これで、陽一君も死なずにすみますね」
「ああ、ありがとう、永瀬。お前のおかげで助かったよ」
「またですか。恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく、よく何度も言えますね、陽一君。湧いてたりしませんか」
これでもだいぶ顔が熱いんだけど。暗くて見えてないのかな?
にしても酷い言われようだ。本当に俺のこと気にしてくれてるのかな。
「それにしても、天音様って、霊力を消耗するとこんなに小さくなってしまうんですね」
腕の中にすっぽりと納まる狐の天音を、永瀬はちょんとつつく。
もぞりとそれに反応を示す天音。
よかった、眠っているだけだ。
「確かにな。あの天音がこんな姿になるなんて、想像できなかった」
「もう少し、この可愛らしいお狐様を見ていたい気もしますけど。陽一君、天音様を早く休ませてあげたほうがいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな。今日はいろいろあって心労が酷いし。永瀬も辛いだろうし。今夜は早く帰って休もうか」
「そうですね。明日も学校ありますしね」
そうだ、明日は月曜日。
こんな一年を一日で経験するような濃厚な疲れを溜め込んだまま、月曜の朝は迎えたくはないけれど。さすがに学園は休むわけにはいかないな。芽依の面倒も見なきゃいけないし。
「はぁ」
思わずため息が出ていた。
「ふふ、ずいぶんお疲れみたいですね」
「それは永瀬の方だろ。魂削ったって、桜華さんが言ってたぞ」
聞いたことをそのまま打ち明けると、永瀬は明らかに呆れた顔をした。
「桜華様は、本当におしゃべりなご先祖様ですね。儀式の最中も引っ切り無しに話しかけてきて、おかげで少し遅れちゃったんですから。困った神様ですよ」
やれやれ、なんてぼやきながらも、その口元は笑っていた。
今夜は本当に濃い一日だった。
こんな体験、普通ならありえないよな。きっと、芽依や鏡也に話しても信じないだろう。
でも俺の心には、怪異との出会いも、言葉も、全部刻まれている。
貴重な経験は、一生ものの宝物だ。
それから俺たちは、各々別方向へと帰った。
永瀬は鎌鼬に付き添われ夜坂神社へ、そして俺は、今は二人だけの自分の家へ。
腕の中で丸くなるお狐様を眺めながら、夏の夜風に吹かれながら夜の道を歩く。
月明かりがやわらかな、どこかで夏虫の鳴く静かな夜だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます