5-4

 今日は休日、日曜日だ。

 学校から永瀬の実家である夜坂神社までの往路。

 すれ違うモノは人間より、怪異の方が多いくらいだった。


 といっても、途中で妙に張り切る鎌鼬に出くわし、中間報告みたいに狩った数を自慢げに聞かされた。昨夜から狩り続けて、すでに二〇〇を超えているとかいないとか。


 そのおかげか、怪異が多いという印象は、以前よりは抱かなくなっている。

 数量を聞いた永瀬から感心された鎌鼬は、得意気になって走り去っていった。

 活躍の場が出来て、鎌鼬も嬉しいんだろう。

 もう電信柱をガリガリやって、拗ねなくてよくなったんだ。それは意気込みも違うと思う。


 そうして約三〇分をかけ、辿り着いた夜坂神社。

 林に囲まれた、古式ゆかしい雅な佇まい。パワースポットとしてもよく知られていて、観光客にも人気の神社だ。


 朱塗りの立派な連鳥居をくぐり、参拝客らを後目に、玉砂利を踏み鳴らしながらやってきたのは神社の裏手。離れに建っている永瀬家のすぐ脇には井戸があり、例の禊のための場なのだろう、そこは石床になっていた。


「ここで少し待っていてください」

「あ、うん、分かった」


 待機のご要望に、頷いて答える。

 左右に揺られ離れていくポニーテールを見送り、俺はその場で立ち尽くした。


「主殿」

「ん、どうした? 天音も禊するのか?」


 ぴょこんと肩から飛び降り、大地に降り立った天音が見上げてくる。


「そうではないよ。わしは穢れてなどおらぬ故、禊をする必要はないのじゃ」

「ああ、そうなんだ」


 まあ神様だからな、汚れられてても困るか、と心の中でツッコミを入れた。


「ならどうしたんだよ。まさか、お前が怖気づいてるとか、そんな話じゃないよな?」


 それこそまさかの話だが、鳩羽を打倒するための霊力を、蠱毒の壷を探すための力として使うことに躊躇って温存するくらいだからな。

 本人も相当キツイと踏んでいるだろうし、そうなってもおかしくはないと思うけれど。


「怖気づいとるわけでは、ないんじゃがの……。蠱毒はもはや、結界と言っていいほどの呪いと化しておるじゃろう。それを破壊するために、相当な霊力の消耗は覚悟せねばならんと思うておる。じゃが――」


 何か思いつめたように深刻な顔をし、天音は言葉を切った。

 口にするのを躊躇っているような、そんな印象を受ける。

 けど、


「だが、なんだよ?」


 それが吉凶問わず、その先を聞かないわけにはいかない。

 自分の命は明日の朝まで。それどころか、この狐狸ヶ崎の街の住民の命もかかっているかもしれないこの状況で、どんな些細なことであれ情報は知っておかなければならないし、逃げることの出来ない窮地で役に立つかは分からないけど、自分に出来ることを探すためにも、情報は不可欠なのだから。


「問題は、その先にあるのじゃ」


 重たい口を、天音は開いた。


「問題って?」

「蠱毒の外の結界を打ち破ったとする。そこまではいい。強力な妖気の渦を祓えば、壷を破壊することが可能じゃからな。じゃがな、その結界を破ったところで、恐らく、わしの霊力は尽きるじゃろう」

「待てよ。結界みたいになってる蠱毒の妖気を、祓えばいいんじゃなかったのか?」

「それは……あくまで、前哨戦じゃ」

「なっ!?」


 そんな馬鹿みたいな妖気を打ち払って、霊力を消耗しきるほどの仕事をしたのに、それが、前哨戦だってのか?


「結界を破壊することが前哨戦なら、じゃあ、本戦ってのはなんなんだよ?」

「――蠱毒の壷を、破壊することです」


 今にも天音に詰め寄ろうと一歩を踏み出したところで、背後から声が聞こえた。


「永瀬……?」


 振り返ると、そこには永瀬紫音の姿はなく、代わりにその母の姿があった。


朱魅あけみさん」


 俺が名前で呼ぶのは、初めて会った時、永瀬のお母さんからそう注文されたからだ。

 見た目にも若く、永瀬と二人並んでいれば、姉妹にも見えるであろうくらい、高校生の子供がいるとは思えないような容姿をしている。


「朱魅、紫音はどうしたのじゃ?」

「紫音はまだ準備してますから、先に陽一君に禊を済ませて欲しいと、言伝を頼まれて来たんですよ」


 どうぞ、と朱魅さんが手渡してきたのは、なにやら真っ白い布と草履だった。

 広げると、どうやら、着物の下に着る長襦袢のようなものらしい。


「それに着替えたら、井戸水を汲み上げて、ばしゃばしゃやっちゃってくださいね」

「いや、あの、それだけですか?」


 説明がざっくりしすぎていて、いまいちよく分からない。

 細かな作法とか、普通はあるんじゃないだろうか?


「はい、それだけです。穢れが落ちたかどうかは、天音様に聞いてもらって……。禊が終わったら、家に寄ってくださいね、陽一君」

「え? いやあの、俺これから千歳稲荷に――」

「陽一君?」

「はい?」

「せっかく穢れを落としたのに、またその格好に戻るんですか? こちらで着物を用意しますから、それに着替えてくださいね」

「うっ……」


 なにやらもの凄くプレッシャーを感じる。笑顔なのがまた余計に怖い。有無を言わさぬ無言の圧力というものを、初めて体感したかもしれない瞬間だった。

 永瀬も怒ると怖いけど、朱魅さんも怒らせると相当怖そうだ。


「分かりました」


 と素直に従い、「はい、素直でいい子です」と朱魅さんにお褒めの言葉を頂く。

 そうして朱魅さんが家へと戻っていったところで、天音に向こうを向いていてもらって、その間に俺は衣服を脱ぎ、渡された白装束に袖を通した。


 とりあえず、何度も水浴びすればいいのか。回数は分からないから、穢れが落ちたかを天音に聞けばいいんだな。

 炎天下。俺は井戸の水を汲み上げて、頭からそれを被った。

 ――バシャッ。


「うわっ、冷てえ」


 思いのほか地下水は冷たく、真夏だというのに鳥肌がたつくらいだ。だけど、火照った体をクールダウンさせるには、まさに打って付けの行為だった。


 その後、何度も水を汲み上げては、頭から被ることを繰り返すこと三十二回。普段、使い慣れていない筋肉を行使したせいか、腕がぱんぱんに張っている。


「へっきし!」


 寒気に思わずくしゃみが飛び、天音は迷惑そうにしかめっ面をした。


「おい、なんだその顔は。お前がここまでやらせたんだろ?」

「思いのほか、主殿が穢れておったのでな。お主が爆死せんように、念には念を入れただけじゃよ」


 三十二回は、さすがに過度と言わざるを得ないような気がするんだけど!

 ひどいな、これは軽いいじめだぞ。


「お主を想ってのことじゃよ」


 急にしおらしくなって、少女然とした雰囲気を醸し出す。

 しかし騙されてはいけない。こう見えても、実年齢は千歳を優に超えているのだから。

 改めて思うと、複雑な気持ちだ。


「っと、こんなびしょびしょのままでいたら、風邪でも引いちゃうな。家に寄れって言われてるし、そろそろお邪魔しに行こうか?」

「そうじゃな、そうしよう」


 天音の同意を得たところで、ついでに渡されたタオルである程度体を拭き、俺たちは、永瀬の実家にお邪魔することにした。


 二階建て、伝統的な日本家屋の永瀬家。その敷地面積は、俺の家がまるっと二〇個は入りそうなほど広くて大きかった。


 その軒先では朱魅さんが待っていて、俺たちを家の中へと案内してくれた。

 途中、旅館のような脱衣所で体を拭かせてもらい、再び、真っ白な浴衣に着替えさせられる。


 そうして通されたのは客間らしき部屋だ。藺草が爽やかに香る、全面綺麗な畳張り。掛け軸の下には盆栽みたいな鉢植えが置かれ、手前には、立派な拵えの日本刀が一振り飾られていた。


 和室から見える景色は、見事な造りの日本庭園だ。

 手入れのされた灌木や枝垂れ柳が緑を添え、小池の周りには苔むした岩。踏石は不揃いな大きさで、しかし見栄えを計算されつくして配置されている。

 一面に敷かれた白砂は、置かれた景石がまるで水面に投じた石のように、その周囲に波紋を刻んでいた。


「紫音が戻るまで、ここでお茶でもしていてくださいね」


 お盆にお茶と栗の茶菓子を乗せ、朱魅さんはそれらを座卓に並べると、小さくお辞儀をして退室した。


「むぅ……」


 天音は呻きながら、卓上の茶菓子とにらめっこしている。

 念話でなくても、なんとなくだけど、言いたいことが理解できてしまった。


「――稲荷寿司がよかった、なんて言うなよ?」

「…………」


 あんぐりとだらしなく口を開け、呆けた様子でこちらを見返してきた。

 どうして分かった、なんてことを疑問に思っていると、そう顔に書いてあるほど分かりやすい反応だ。


 数ヶ月も一緒にいるんだ、分かって当然か。……こいつ、分かりやすいし。

 それから少しして、襖障子の向こうに人影が現れた。

 ゆっくりと腰を屈め、その影は正座らしき姿勢をとる。そして――


「陽一君」


 すっ、と静かに開けられた襖から顔を覗かせたのは、永瀬だった。


「お待たせしました」


 と、床に手を付きぺこりと頭を下げると、和室へと入ってくる。

 座卓の対面に座った永瀬の雰囲気は、いつもとは違った印象を受ける。


 まず、ポニーテールにしていないこと。永瀬のトレードマークみたいになっていたあの黒い尻尾は、今はストレートに下ろされている。

 そしてなにより、着ている一重の着物だ。白地に淡い薄桃色の桜の花があしらわれた、可憐な容姿。いつもの大人びていて凛とした格好いい永瀬ではなく、年頃の女の子らしく可愛らしい雰囲気に包まれている。


「あの、陽一君」

「なに?」

「そんなに、じろじろ見ないでください。恥ずかしいです」

「あ、ごめん」


 あれ、初めて話した時も、こんな会話をした気がする。

 確かあの時は、この次に……


「…………」


 あれ、無反応だ。まさか、本気で恥ずかしがってるのか? あの永瀬が?

 見れば、眉を顰め困ったように頬を赤らめ、そっぽを向いている永瀬がそこにはいた。

 意外だ。


「これ主殿、紫音も女子おなごなのじゃぞ。恥じらいがあって然りじゃろ」

「陽一君、失礼極まりない人ですね」

「俺はまだなにも言ってないけど……」


 失礼極まると、人としてどうかと思うけど、俺はまだそこまで極めているつもりはない。

 というか、世間一般的な常識人だと思います。


「いまの天音様の言葉を聞けば、なんとなく分かります!」


 怒られてしまった。やっぱり、念話が出来ると、いろいろ不便だな。いや、不憫だ。


「ところで、こんなところで時間潰してて大丈夫なのか? お茶を頂いておいてなんだけどさ、そんな暇、俺たちにはないんじゃ……」


 ささやかな緊張とともに和んでしまったのは他でもない、俺だ。

 芽依以外の同級生の女の子の家に上がったのは初めてだったし、こういう日本家屋に触れるのも初めてだった。だから浮かれてしまっていたのは事実。

 けど、よくよく考えてみれば、俺たちには時間がない。そのことをすっかり忘却してしまっていた。


「そのことなんですが……。陽一君、私に、少しだけ時間をください」


 いつぞやのように永瀬は、畳みに白く細い指をつき、軽く頭を下げた。

 初めて土下座をされた時がフラッシュバックする。


「それは、どういうことだ?」


 けれど、あの時みたいな気持ちの余裕がまるでなく、つい聞き返してしまった。


「さっき、陽一君が禊をしている間、母から話を聞かされました。蠱毒の妖気流を祓ったら、天音様の霊力がほぼ底を尽きることを」

「朱魅のやつ、聞いておったのか……」


 まさか聞かれているとは思ってもみなかったのか、それとも油断していた自分に対してか。

 天音はしてやられたと、悔しげに渋面を浮かべている。


「時間があれば、なにか手立てがあるのか?」


 蠱毒の場所は、美織さんの頑張りによってすでに割れている。あとは本陣を叩くだけだし、まだ昼の三時くらいだ。時間に余裕があるかと言われれば、その判断は難しいかもしれない。その蠱毒の妖気がどれほどなのか、俺にはまったく想像だに出来ないから。


 けど、なにか秘策でもあるのかもしれないし、話を聞くだけは聞いてみよう。

 焦って得をしたことなんて、ただの一度もないんだから。


「夜坂に生まれる女子は代々、その名に色を冠することが決められています。母は朱、桜華は桜、そして私は紫。それは、先祖との繋がりを大切にするためだとも、力を継承していくためだとも言われています。その中でも、二色の交わる色、特に紫の名を与えられた巫女には、他には類を見ない異能が発現することがあるそうです」

「異能?」

「紫音、まさかお主に……っ?」


 天音はその詳細を知っているのだろう。驚愕に目を瞠っている。


「はい。私には、かんなぎが発現しています」


 かんなぎ?


「要するに、降霊術のようなものじゃ」


 天音に補足をされ、それに永瀬は首肯する。


 こうれい術? 霊と交信……いや、怪異が見えている時点でそれは違うか。

 でなければ降霊。霊を降ろす術。ツールなどを使って霊と交信する交霊とは違い、自身の体を霊媒とし、霊を降ろして心霊や霊界との交信を行う術のことだろう。

 まさか怪異を退治出来るだけでなく、そんなことも可能だなんて。


「その降霊術で、いったい永瀬は誰の霊を呼び出すつもりなんだ」


 これは重要なことだ。まさか死んだ愛犬を、なんて話にはならないと思うけど、一応尋ねておかないと。

 その問いに、永瀬は、


「それはもちろん、桜華様の霊ですよ。陽一君」


 と力強く、さも当然のように答えた。


「なっ……。それは危険じゃ、紫音!」


 急に声を荒げたと思ったら、天音は、バンッと強く座卓を叩く。

 湯飲みに注がれた茶が、零れそうなほど大きく波打った。


「お主の体への負担が大きすぎる」


 いつになく真剣そのものの瞳を、永瀬へと向けている。その双眸からは、相手のことを思いやる温かさと、戒める厳しさを同時に感じた。


「主殿、この場合、普通の降霊術とは違って、巫によって降ろすのは神や精霊。それらと交信し、祈祷や舞踊などによって己の意識を神懸りの状態へと置き、そして交信した対象に体を明け渡すことで、その対象の持つ力を行使することが出来るのじゃが……」


 そうか……。

 永瀬の先祖、その桜華様っていうのは、天音の隣で座するほど(実際は座ってなかったわけだけど)、いまはもう神格化された存在だから。


「でも、私がやらなければ陽一君を救うことが出来ません。天音様もご存知のとおり、強力な妖気によって練られた蠱毒はその内容物ごと完全に消滅させなければ、その呪詛がその場に残留してしまいます。それは殺生石を、その場に置いておくくらい危険なこと。壷の中身が蛇なのは、陽一君の体を見れば一目で分かります。故に確実に消し去るには、蛇の逃げ場もないくらいの圧倒的な霊気が必要になる。だから……天音様の、天照に頼るしかないんです」


 永瀬の覚悟を、天音は口を噤んで聞いた。

 決意の宿った瞳は、まったく揺るがずに天音を見据えている。傍から見ている俺がたじろぐほど、それは威圧を放っていた。

 解ってほしいと、強く訴えているように。


「むぅ……。分かった」


 しばらく見つめあった後、永瀬の覚悟が伝わったのか、天音が折れて静かに頷いた。


「じゃが、無理だけはするでないぞ、紫音」

「ありがとうございます。万が一の時には、私ごと消してください」

「そんなことにはさせんよ。お主は、わしの遠孫みたいなものじゃ。いや、血の繋がりがなくとも、わしはそう思うておる。そんな紫音を、わしの手で殺めさせるような最悪の事態にだけは、絶対にさせん」

「天音様……」


 ポッと頬を赤く染めて、なにやら感激した様子で、永瀬は胸の前で手を組む。

 百合アンテナがびんびんに立っていることが、傍目に見ても分かるほど、これも分かりやすい反応だ。

 ……決して俺が、百合男子だからという訳ではない、ということは付け足しておく。


「紫音、降霊にはどれくらいかかるかの?」


 急に仕事の話を持ち出された恋人みたいに、少し残念そうな顔をしつつも、永瀬は天音の問いに悩みながら答えた。


「少なくとも、五時間くらいは見て頂けると助かります」

「そうか。その間、敵陣視察は、行ってもよいものかの?」

「絶対に無茶をしないと、約束して頂けるのであれば」


 返答に、天音は「当然じゃ」と素直な子供みたいに頷いた。


 なんだか、すごく強い信頼関係で結ばれたパートナーみたいで、見ていて少し妬けてしまった。こんな感情、抱くことすら場違いで不相応なんだと思うんだけど。

 少しだけ、羨ましく思った――。

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