4-4

 午後の授業は、いつにも増して緊張した。

 行動を起こしているらしい鳩羽が、真面目に授業を聞いていたことがなによりも驚きだったし、浮遊している怪異が、教室の窓の外にいくつか確認できたから気が気ではなかった。


 天音によれば、徐々に引き寄せられている怪異の妖気が、強くなっているらしい。

 まだ雑魚だから、永瀬の御札でどうにか学園内部への侵入は防げているみたいだが。


 これはうかうかしていられないな。

 そう改めて緊急性を理解した頭に、五時限目の休み時間、校内放送が鳴り響いた。


『一年五組、神藤陽一君、至急生徒会室までいらっしゃい』


 久しぶりに呼び出された、美織さんの声に。


「陽一、また問題でも起こしたのか?」


 俺の左隣である、窓際最後尾のベストポジションから、怠惰極まりない机に肘付き顎乗せスタイルで、橘鏡也が声をかけてきた。


「またってなんだ、またって。俺はあの日以来、呼び出されてないだろ」


 まったく、人を非行少年みたいに。

 失礼なことを言うなら、今すぐにでもその席を明け渡せっ!

 くじを引く順番が一つ遅かったために生じた後悔。

 あの時、俺はなぜ芽依にかまけていたのか……と。

 二分の一だが、引けていれば俺の席だったのに。


「そうだったか? でもお前、珍しく家庭科以外で授業サボった日があったろ? だからまたかなって」

「あれはたまたま、腹痛で保健室で休んでただけだよ」


 まあ実際、サボりはサボりなんだけど。


「そうなのか。まあなんにせよ、次の授業は実験みたいだからな、白衣忘れるなよ」

「ああ、分かってるよ。じゃあ、ちょっと行ってくる」


 おう、という鏡也の返事を背中で受けつつ、俺は机で突っ伏して寝入っている、芽依の背中を一瞥する。くすりと思わず笑った時、視線を感じた。

 この纏わりつく嫌な感じは、鳩羽のものだ。転校してきてからしばらく、見つめられ続けていたからすぐに誰のか分かる。


 が、校内で面倒ごとを起こさないだろうことは分かっているため、ぬるっとしたその生温い視線を去なし、俺は生徒会室へと急行した。

 もちろん、廊下は走らない。競歩で、だ。

 ――コンコン


「美織さん、いますか?」

「ええ。開いているわ、入ってらっしゃい」

「失礼します」


 時間が惜しいため、気息を整えることもなく、不躾にも俺は生徒会室へと足を踏み入れた。

 そこで待っていたのは、息を呑むほど、張り詰めた空気を纏わす美織さんの姿だ。

 だが、いつもなら、森蘭丸が如く控え居ろう奏先輩の姿が見当たらない。


「あれ、今日は奏先輩いないんですね」

「ああ、奏なら、見透しの水晶玉をいま取りに行かせてるところよ。よって不在ね」


 言って立ち上がり、窓際へと歩いていく。

 その背中から、感じたことのない圧力を放っている。

 神様である天音ですら、尾を巻くくらいに、きついものだ。


「ところで陽一さん、あなた、この現状を知っていて?」

「現状って言うと、外の怪異たちですか?」

「そうよ。普段視ないように、霊視は使わないようにしてきたけれど、久しぶりに世界を視てみたら、この有様じゃない。いったい、何が起きているの?」

「いや、それはなかなか説明しづらいと言うか――」

「天音さんが現れてから、だんだんと日常に異変をきたしている気がするのだけど。私の気のせいかしら?」


 背を向けているのにもかかわらず、その視線を強烈に肩で感じる。

気のせいかと問うていながら、その原因が天音であると確信しているんだろう。


「――気のせいではないよ、美織」


 美織さんの問いかけに、間断なく天音は答えた。


「説明、してくれますか」


 振り返り、真剣な眼差しで美織さんは天音を見つめる。

 それに小さく頷くと、俺の肩に座っていた天音がふわりと飛び上がり、会議机の上へと舞い降りた。


「わしの封が解かれた時から、すでに日常などというものに亀裂が入っていたのじゃ。その亀裂がさらに裂け始めたのは、一人の女が、この地に入ってきたことに因る」

「一人の女……。それは、あの転校生、鳩羽さんだったかしら。彼女のことを言っているのね」

「え……。美織さん、気づいてたんですか?」

「陽一さん、あなた、私を誰だと思ってるのかしら。あなたに霊視を教えたのは誰? 曲りなりにも師匠みたいなものでしょう。彼女から発せられる不吉な気、妖気くらいなら、極微力だけれど私にも感じられるわ」


 そうだったのか。

 そりゃあ天音の存在を、永瀬を除いて俺の周りの一般人で唯一、認識出来る人だもんな。

 分からないわけがないか。


「その鳩羽――、玉藻はわしの双子の姉でな。九尾の妖狐なんじゃ」

「九尾。あの伝説の大妖怪ね。でもなぜ、あなたの封印が解かれた時から、なのかしら?」

「それは、わしの封と奴の封が、同調しておるから……」


 同調? まてよ、そんなこと、まだ一言も聞いてないぞ。


「天音、それはどういう意味だよ」

「言葉通りじゃよ、主殿。わしが初めて、奴を倒した時の話を覚えておるか?」

「えっと確か、殺生石の欠片が六つに分かれて各地に散らばった、だっけ」

「そう。六度、奴はこの世に復活する、と言い残して消えた。玉藻が再度この世に顕現した時、わしがおらねば、奴の抑止および退治が出来ん。そう考えた夜坂の巫女は、玉藻の封印が解ける前兆、奴の妖気が増す頃に、わしの封印であるあの注連縄が切れるよう、細工を施したんじゃ」

「じゃあ、いままでのは全て、予定調和だったってわけか」


 天音の封印が解けたのも、鳩羽が復活したのも、ぜんぶ予定のうち。

 俺が天音に憑かれたのだけイレギュラー、たまたまだったってことか。本当は夜坂の巫女、つまりは永瀬紫音に憑くはずだったんだろうな。

 こんな霊感なしの甲斐性なしに憑いて、天音は後悔していないんだろうか……。


「一つ聞きたいのだけど、鳩羽さんの狙いが、陽一さんに憑いている天音さんだとして、鳩羽さんは何をしようとしているのかしらね。転校初日に、陽一さんを指して、殺すとまで宣言したんでしょ?」

「それは――」


 あ、そうだ。思い出した。

 こうして美織さんと話している今だからこそ、言わなくちゃな。


「美織さん、頼みがあるんですけど――」


 その時、ガチャッ、と背後で扉の開く音がした。


「美織、遅くなってごめん。水晶玉を持ってきたよ」

「遅い。何してるのよ、この一刻を争うって時に」


 生徒会室に入ってきたのは、奏先輩だった。

 言葉の通り、手には、手のひら大の水晶玉を携えている。


「陽一さん、話は風紀の永瀬さんから聞いているわ。もし可能であれば、千里眼で怪しいところを視てくれって。そういう頼みだったわね」


 あいつ……。妙に根回しが早いな。

 なにか企んでたり、しないだろうか。


「あの、すみません。つい口が滑って、美織さんの千里眼のこと、永瀬に喋っちゃって」

「いいのよ別に。それに、あの子もそういうことに関わりある人物みたいだし。さすがは数百年の歴史を持つ、夜坂神社の巫女さんね」


 奏先輩から水晶玉と、それを乗せる座布団みたいなものを受け取ると、美織さんはそれらを机に設置し、おもむろに手をかざした。


「でも、秘密をばらした罰は、ちゃんと受けてもらうわよ、陽一さん」

「出来ればその、お手柔らかに……」


 ふふふ、と楽しそうに笑うと、美織さんの表情が、急に真剣な顔つきになった。


「たしか、霊脈に沿って行動していた、と報告されたのだけど。間違いなくて?」


 美織さんの問いに、天音は珍しいものでも見るように、前のめりになり水晶玉を覗き込む。


「うむ、それで間違いないと思う」


 ほほぉ、と感心のため息をつき、天音は答えた。


「了解。なら、始めるわ……」


 美織さんの青い瞳が、どこか遠くを見るように、ぼうとして水晶玉に集中する。

 透視能力。

 こうして間近に見るのは、随分と久しぶりだ。


 確か中学二年の頃。

 芽依が大事にしていた、リトルベアのキーホルダーが紛失したことがある。俺も奏先輩と一緒になって、心当たりを夜遅くまで方々探し回ったんだけど、結局見つからなかった。


 翌日、沈み込む芽依に気づいた美織さんが、不意に開眼してしまって、内緒にしていた千里眼の能力を使い、そのキーホルダーを探してくれたんだ。

 そういえばその辺りから、美織さんは奏先輩を執事だと言って、こき使ってるような気がする。


「なにか、視えるかの……」

「――ふぅ、ダメね」


 目を伏せてため息をつきながら首を振る。


「美織さんでも、無理ですか」

「違うわ。千里眼は、霊視をするよりも遥かに眼への負担が大きいの。最近はぜんぜん使ってなかったから、疲れるのよ。いまの私だと、一時間に十分程度が限界かしらね。だからといって、毎時出来るって訳でもないから、時間はかかりそう」

「そうか」


 耳を垂れ、天音は残念そうに俯いた。


「さ、もう六限目が始まるわ。帰ってからもやってみるから、二人とも、報告を楽しみにしていて頂戴」

「無茶言ってすみません、よろしくお願いします」


 頭を下げたところで、ちょうど始業のチャイムが鳴らされた。

 急いで生徒会室を後にし、早歩きでいったん教室まで戻り、俺は白衣と教科書を持って実験室へと向かった。遅刻だったのは、言うまでもない。

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