4-5

 放課後。

 美織さんが早退したことを、帰り際に奏先輩から聞かされた。

 やっぱり、負担が大きかったらしい。


「私は大丈夫だから、心配しないで。あなたたちは報告をただ待ってればいいわ」


 美織さんはそう言ってくれたみたいだけど、天音はそれに責任を感じてしまって、しばらく言葉を発しなかった。

 最初っから頼り切るつもりはなかったけど、自分たちでも、出来うる限りのことをしなくてはならないと、俺もそう心に誓った。


 奏先輩はその後、美織さんの見舞いに行くと言って俺と別れた。

 芽依と鏡也には悪いが、また先に帰ってもらい、俺は風紀の手伝いをさせられているという名目で、永瀬とは別行動を取り、怪しい所を見て回っている。


「――確か昼、永瀬が桜の木がどうの言ってたけど、たぶんここだろうな」


 放課後のグラウンド。運動系の部活で賑やかな校庭の、一本の桜の木の下で、俺は天音とともに幹の部分を凝視している。


 何本も植わっている中で、この木に当たりを付けたのは勘じゃない。かといって、霊脈とかいうのが視えたわけでもない。

 それは明白過ぎるほど、簡単なことだった。


 木の幹には鋭利な刃物で刻まれたであろう、五芒星の下に、三本線の上から斜めに一本線が重ねられた、おかしな印が見て取れる。


「じゃろうな。こんな印を刻んでいれば、馬鹿でも見当が付くじゃろう」


 いや、別に手柄だなんてこれっぽっちも思ってないけど、馬鹿呼ばわりされるのは少々堪えるな。

 と、急に風の流れが変わった。煽られた梢が大きく揺れ、緑の葉が舞い落ちる。


「おや、これは奇遇だな――」

「っ!?」


 突然、聞こえた声に、ビクッと体を強張らせ、緊張した面持ちで天音が固まる。

 この声には、聞き覚えがある。直接話したことはなくても、脳が鮮烈に記憶している。


 転校初日に俺を指差し、殺すと宣言してきたあの声――鳩羽玉藻だ。

 肌に浮いた汗をじっとりと撫でるような生温い風、不快だ。

 俺は体を反転させ、身構える。額を一筋の汗が伝った。


「くくっ、そう警戒するな……と言っても無理か」


 黒い着物から肌蹴た胸を持ち上げるように腕を組み、余裕たっぷりの笑みを浮かべる鳩羽。

 くすくすと笑った後、そして言葉を繋いだ。


「ここでお前を殺せれば一番楽なんだろうが、人目に触れるこの場所じゃ、それも難しい話だ。なに、今すぐここで殺ろうというわけではない」

「なら、いったいなんの用だ……」

「ふふ。確かに、殺すべき存在はお前だが、我はそこの女狐に用があって来た」

「天音に?」


 俺から目線を外すと、鳩羽は俯いたままの天音に視線を注ぐ。


「随分と久方ぶりだな、天音。こうして話すのは、約四百年ぶりか」

「…………」

「よもや、姉である我を、忘れたわけではあるまい?」

「――忘れもせんよ。お主みたいな、陰険で邪悪な妖気は」


 ゆっくりと振り返り、天音は顔を上げた。

 本性である大人の姿ではないため、必然的に、鳩羽を見上げる形となって対峙している。


「くくっ、ようやくこちらを向いたな」

「なに用じゃ。世間話をしにきたわけではあるまい」

「なんだ、久しぶりに言の葉を交わしたと言うのに、再会の愉悦に浸る暇もないとは。なにをそんなに、焦っている?」

「くっ」


 なにかしらの行動を、すでに起こしているであろう鳩羽。

 それがなにか、いまだに見破れていない俺たち。

 出し抜かれていることに対し、天音は悔しげに歯噛みしている。


「なあ天音、この時代は不便だな。殺したい相手を、人目も憚らずに殺すことが難しい。誰にも気づかれずに殺すためには、それなりに策を講じねばならない。殺したとて、行方不明なら以前に会った者に目が向けられる」


 鳩羽が俺を睨んでいる。その殺したい対象ってのが、俺のことだというのは理解している。

 憎悪の対象である天音の主人に、なっているんだから。


「……なにが、言いたい」

「気づかないなら、よほど腑抜けになっているんだろう。そこな霊力も持たぬ、脆弱にして非力な人間になど憑いたばかりにな。失策だったな、天音」


 キッと、きつく睨みつけながら、天音は鳩羽を見上げる。

 ――あ、とすぐさまなにかに気づいたように、声を発した。


「くくっ、ようやく気づいたか?」

「どういうことじゃ……」

「だから、さっきも言っただろう? この時代は不便だ、と。目立った殺しじゃ、この先生き辛い。術を使おうにも、人目に触れると厄介だ。昔はよかったなぁ、天音。全力でお前とやりあうのが、我にとって、愉悦の極みだった。下手に男を誑かして遊ぶより、余程、な」


 遠い目をして、昔を懐かしむような口ぶりで鳩羽は言う。


「お主が、わしらに接触してきたということは……」

「ふふ、そういうことだ。もう、用意は終わった」


 用意?

 まさか、俺たちが手をこまねいている間に、もう俺を消す準備が整ったって言うのか。


「姉から妹へ、冥土への手向けとしてな、今朝、蠱毒こどくを仕掛けた」

「蠱毒!?」


 こどく? 孤独? ……ん? また聞いたことのない単語だ。

 怪異関連の話は、覚えることが多くて大変だな。


「我が今まで、お前に仕掛けなかったのは、何故だと思う?」

「…………」

「お前の今のその姿と同じ、妖気の消耗を防ぐためだ。お前と闘い消耗するのはあまり得策ではないからな。そして、我は蠱毒の完成に尽力した。これが何を意味するか解るか?」

「くっ……」

「ふふふ、我の妖力をほぼ使い切って練り上げた巫蠱ふこの術。いくら神名を得たお前でも、そう簡単に破れるものではあるまいて」

「いつからじゃ――」

「うん?」

「いつから、お主は、巫蠱を行っておった」


 天音は怒りを抑えるかのように、拳を握り、肩を、声を、震わせる。


「まあ、そのくらいの情報なら与えてもいいか。術入りしたのは、だいたい五日前だ。仕掛けたのは今朝だな」

「なん、じゃと……」

「場所の選定にやや時間を費やしてしまったものの、恰好の、好適な場所を拵えてやった――」

「……っ」

「ふふふ、せいぜい悪足掻けよ天音。貴様の大事な主殿とやらが、衰弱し、死に至る様を間近で見て、絶望し、喚き、嘆き、自身の無力さを呪うがいい……あはははは!」


 狂気に彩られた高笑いを残し、そうして鳩羽は去っていった。

 ザアアアーと風に揺られた梢が音を奏でる。

 天音は俯いて、悔しそうに拳を握り、歯軋りしていた。


「天音? 今の話は、いったいどういう意味だ。鳩羽が言っていた期間に、なにか問題でもあるのか?」

「……主殿、時間がない。わしらには、もうあと十日の猶予も残されておらん」

「猶予って、なんの……?」

「主殿の、死の期限までじゃ――」

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