3-3

『お前を殺しにきた』


 転校早々、これから高校生活という、良くも悪くも苦楽を共にするクラスメートへ、そんな殺人予告めいた暴言を吐く女子高生が、どこの世界にいるだろうか。

 少なくとも俺は知らないし、こんなことを言われるなんて、誰も想像だにしないだろう。


 教室中が呆気にとられ、反応に困ったように凍りついていたのは記憶に新しい。

 というか、ついさっきだ。


 なぜ俺が、どこの誰とも知らない少女に、恫喝されなければいけないのか。

 それは偏に、俺が遭遇した、出会った、巡り合ってしまった、数奇な怪奇現象にも似た、神様の存在に因るところが大きい、かもしれない。

 否、それが全てだ。



 二時限目の休み時間。

 どうにも顔色の優れない天音を心配し(一時限目からというもの、鳩羽から常に視線を向けられている状況に居心地の悪さを感じ)、俺は保健室へと急行した。


「おい天音、大丈夫か? 顔色が蒼白だぞ」


 幸い、今は楓先生も生徒の姿もなく、気にすることなく天音をベッドに寝かせられる。


「心配をかけたようじゃな……わしは、大丈夫じゃよ、主殿」

「あのな、大丈夫なやつは、そんな病的なまでに真っ白で、蒼白だと表現されるような顔色はしないんだよ」


 どうしたんだ? そう聞くと、天音は逡巡の後、ゆっくりと口を開いた。

 天井を見据えたまま、深刻そうな顔をして……。


「早すぎる……いや、予兆はあらかじめ感じておった。じゃが、なぜ気づかなんだのか」

「おい、いったい何の話だよ? 分かるように説明してくれ」


 問うと、再び天音は口をつぐんだ。何かを考えているようだ。

そうして決意が固まったのか、ふぅ、と小さく息をつく。


「そうじゃな。主殿に、わしがこれから成さねばならぬことを、教えておかなければならんの。それには、主殿の力が、不可欠なのじゃから」

「俺の、力?」


 霊力もなにもない多少霊感が身についただけの、凡庸な俺の力が必要だと、この狐は言う。


「以前、紫音から聞かされたじゃろ。わしが白面金毛九尾を、桜華と共に退治したと」

「ああ、覚えてるよ」

「それが四百年ほど前の話じゃ」


 今から四百年前ってことは、だいたい江戸の初期辺りか? いや、もう少し後だな。


「それ以前も、二度、わしはその九尾とやりあっておる」

「うん、それで?」

「その都度、封印してきたのじゃが。その九尾の封印が、最近になって解かれたのじゃ」

「封印が、解かれた? まあ、うん、それは大変なんだろうけどさ。俺、いまいちその、三大悪妖怪だっけ? その脅威というか、恐ろしさを実感できないんだけど」


 現代に生きている身だ、それは当然の疑問だろう。

 ただでさえ、平安時代だのに鬼やらが闊歩していたなんて、信じ難い逸話だし。

 すると突然起き上がり、天音は神妙な顔つきをした。


「都を、一夜にして火の海にしてしまうほどの妖力を持った、化け狐じゃぞ」

「化け狐って、お前が言うなよな。化けてるところは、お前だって同じだろ」


 つい突っ込んでしまったが、あとから考えれば、天音は神様なんだった。

 少し失礼な物言いだったかもしれない。

 けれど、そんな俺の心遣いが、余計な気遣いで終わる一言が……。


「そうじゃな、わしとて同じじゃ。だって、わしはあやつの――」


 俯き、いつか見た寂しそうな表情を浮かべて、


「双子の、妹なのじゃから」


 天音は、告白した。


「双子の、妹……?」


 言葉をオウム返ししたところで、始業のチャイムが鳴らされた。

 同時に保健室の引き戸が開けられる。

 ビクッと体を硬直させる天音。こんな弱弱しい彼女を見たことがない。

 今しがた入ってきた人物は、カーテンが閉まっていることに気づいたのか、こちらへ向かって歩いてくる。


 でも警戒する必要はない。カツカツとした音はヒールの音だ。学園でヒールを履いているのは女の先生で、この場合、間違いなく楓先生だろうから。

 安心させるように天音の頭を撫で、俺はその隣のベッドに素早く潜り込んだ。

 シャーっとカーテンが開けられる。


「ん? なんだ、太陽君じゃないか」

「陽一ですって、先生」


 毎度のことながら即訂正。

 この人、わざとやってるんじゃないだろうな?


「あはは、悪い悪い。でも、それだけ素早く反応できるんなら、間違いなく君は健康体だよ。さ、授業に出た出た」


 やっぱりわざとだった。布団を引っぺがされた。

 ベッドから追い出され、保健室からの退場を余儀なくされる。

 ……と、


「神藤君? こんなところで何をしているんですか?」


 廊下で呆然と立ち尽くしていると、声がかけられた。

 振り向けば、刀袋携行、風紀委員で姫カットポニーテールの黒髪女子、永瀬紫音だった。


「ああ、永瀬さんか」

「ああ、じゃないです神藤君。もしかしなくてもサボりですか? 風紀委員に身を置く以上、あなたを強制的に、反省部屋というのは名ばかりの独房に叩き込むのはやぶさかではないというか、叩き込みたいというか」


 叩き込みたいのかよ!

 と心の中で突っ込んでも、天音以外には伝わらない。


「いや、ちょっと体調が優れなくてさ、少し保健室で休んでたんだよ。ていうか、それくらい保健室から出てきた現状を見れば、分かりそうなもんだけどな」

「……それは暗に、私のことを馬鹿にしていますね?」

「え、いやなんでそういう――」

「問答無用です。落とされたくなければ、素直に連行されてください」


 どこをですか! 紫音さん!

 部位によっては、男として再起不能に……。

 結局、授業に戻ることもなく、俺は永瀬が言う風紀委員の管理する独房、もとい反省部屋へと連行されてしまった。


「ところで、二、三お聞きしたいことがあるのですが」


 八畳一間の安アパートみたいに狭い一室。

 もとは簡易倉庫であったことが端々から窺える、棚に積まれた数々の資料やコピー用紙。まるで尋問部屋のような一室で、俺と永瀬は刑事ドラマよろしく、小さな机に向かい合って座っている。


「――って、なんでここでちゃぶ台がでてくるんだよ!」


 しかもご丁寧なことに、畳に座布団が敷かれ、緑茶と茶菓子まで用意されている準備のよさ。


「静かにしてください、先生にバレでもしたら大変じゃないですか」

「って、風紀委員がサボっていいのかよ!」

「校内パトロールも仕事の内ですから。特権ですよ、風紀の。知らなかったですか?」


 それがさも当然だと言わんばかりに、堂々としている。

 実際、授業中にも執行出来るそんな役儀は聞いたことがない。

 これは、サボりを認めてしまっているようなもんじゃ……。


「知るかよ、そんなの。それに、先生にバレなくても、会長にはもうバレてるだろ」

「なんでそんなことが分かるんですか?」

「いやだって、会長には千里眼が――あ」


 しまった、これは他言無用だとか言って釘を刺されてるんだった。


「千里眼? もしかして星川会長は、千里を見通す目の持ち主なんですか!」


 なにがそんなに嬉しいのか、感激した様子で永瀬は俺の手を握ってくる。

 それはもう恍惚とした表情で……。


「羨ましいですね。もしかして、あんなことやこんなことを、禁断の花園なんかも覗けちゃったりするんですかね~」


 なにをキャッキャうふふと言うかと思えば。


「お前、前から思ってたんだけど、ちょっと思考が危険すぎじゃないか? 美織さんがそんな低俗的なことの為に千里眼を使うはずがないだろ」


 あんな清廉潔白……だと思う、思われているであろう美織さんだぞ。

 注意喚起、のはずの俺の言葉は、けれど、怪しく微笑む永瀬にはまるで通じていないようだった。


「副会長、星川会長の腰巾着してますよね?」


 どいつもこいつも、下僕だの腰巾着だのと、奏先輩を罵りすぎだぞ。

 芽依のお兄さんなのに。


「それがどうかしたのか?」

「きっとそういうことに使って、弱みを握ったんじゃないですか? だって嫌そうな顔してるじゃないですか。進んで副会長になったとは到底思えません」


 まあ確かに。芽依の話によれば、弱みを握られて、先輩は副会長になったらしいし。

 それは中学からで、多感な時期で? 

 可能性としては、無きにしも非ずってところだけど。


「でもな、奏先輩は決して嫌々じゃないぞ。あの人はなんだかんだ言っても、今のポジションを甘んじて受け入れている、享受してるんだよ」


 ずっと近くで見てきたから分かる。

 あの人は、楽しんでる。


「それに、あの二人付き合ってるしな」

「えっ? 付き合ってるんですか……美織様と副会長」


 ん? 美織、さま?


「見てれば普通、気づきそうなものだけど。知らなかったのか?」

「そう、なんですね。残念です」

「え? もしかしてお前、奏先輩が好きだったのか?」

「それは置いておいて、大事な話をしましょう」


 あからさまに言及を避けた、追求を逃れた。

 そうだったのか。ま、奏先輩は人も良いし、シスコンさえ発揮しなければイケメンだからな。


「ところで、永瀬さんはこんなところに俺を呼び出して、なんの用だったんだ?」

「それはですね、新しい転校生、鳩羽さんのことです」


 いきなり、目つきが鋭くなった。

 物を言わさぬ迫力があるというか、泣く子もさらに喚き散らすぐらいの、鬼気迫るものだ。


「あ、ああ。それが、どうかしたのか」

「不思議な雰囲気ですよね。なんというか、浮世離れしているというか――」

「まあ、変わった子だよな」


 授業の合間のチラ見、どころか、常に監視してくるぐらいだからな。

 視線が重いって知らなかったよ。


「可愛いですよねー彼女!」

「はっ?」


 突拍子もない変貌振りに、思わず我が目を疑った。

 あの鉄の少女が、無感情無表情無愛想を売りにしていたような永瀬が、頬を赤く染めて体を抱いて悶えている。

 ギャップどろき、とはこういうことを言うのか。キャラ崩壊も甚だしいぞ。


「あ、私、実を言うと百合なんですよ」

「百合? それは知ってるよ」

「なんですって! さすがは私の見込んだ男なだけはありますね、神藤君。もしかして、百合男子なんですか?」


 いつの間に俺は、そんな大きな男になってたんだよ。

 それに百合男子って、なんだ? 浜乙女とか薔薇乙女みたいなノリか?


「だって天川学園の白百合、って言われてるじゃないか」

「ああ、それですか。それとはまた違った……そうですね、もう少し分かりやすく噛み砕いて言いましょうか。私、実は――」


 妙なタメだった。もったいぶるような間。

 かめはめ波の波動の応酬を、何十分にも渡って見させられるような焦れったさを感じる。

 漫画なら一瞬なのに……。


「レズなんですよ!」


 って穿ち過ぎだー!

 噛み砕いたどころじゃない、粉砕機に放り込んだくらい、逆に分かりにくい答えだ。

 下手したら、レーズンと聞き間違うくらいに。


「ってなんのカミングアウトだよ!」

「これで互いの秘密を共有したわけですし、私のことは紫音と呼んでくださいね、陽一君」

「秘密ってなんだ? 天音のことか?」

「なに言ってるんですか、陽一君が百合男子だったって話ですよ」

「いや、なにそれ、俺よく分かんないんだけど」

「つまり、百合――レズな女の子に魅力を感じる、変態紳士ってことです」

「紳士に変態をつけてるんじゃねえ! イングランドの伝統ある紳士文化にいますぐ謝れ! それに俺の嗜好はドがつくほどにノーマルだ!」


 ついムキになって反論すると、肩口でため息が聞こえた。


「お主ら、少し静かに出来んかの?」

「天音様……」


 ん? まさか、まさかと思うけど、こいつの百合とやらの対象は、人間だけに留まらないのか? 天音を見る目が、妙に熱を帯びている気がする。気のせいか?


「主殿、ちょうどよいことに紫音もおることじゃ。そして奴……鳩羽とやらもおらんここで、先の話の続きをしても構わんか?」

「ああ、そのことか。でも天音、体調は――」

「大丈夫じゃ、心配痛み入る」


 ぺたんこの胸をポンと叩き、天音はとんっと、ちゃぶ台の上に静かに降り立った。

 湯のみの茶が、緩やかに波を立てる。 


「先ほどの話、主殿はどこまで覚えておる?」

「確か、天音と九尾の狐が双子の姉妹だってところで、話が終わったんだよな?」

「ん? それはどういうことですか陽一君」

「いまからわしが話すのは、全て事実じゃ。わしと白面金毛九尾の因縁も、なにもかもがそこから始まった――」

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