2-6

 今日はなかなか災難な一日だった。

 刀で腕を切り落とされそうになったり、妙ちくりんな女が――天音だったんだけど――いきなり風呂に押しかけてきたり。疲れることこの上ない。


「どうしたんじゃ主殿、そんなにため息ばかりついておると、幸せが逃げてゆくぞ」


 二階の自室、勉強部屋、寝室。

 ベッドに腰掛けてため息をついたところで、他人事みたいに天音が声をかけてきた。


「そりゃあため息もつきたくなるだろ? あれは一体なんだったんだよ、いきなりビックリしたじゃないか」


 天音はもう、今は見慣れた少女の姿に戻っている。

 黒いファークッションの上で、ぺろぺろと自前の尻尾を舐め、毛繕いに精を出していた。


「すまんかったの。あれはわしの本当の姿じゃ。主殿には知っておいて欲しいのじゃが、わしはたまにあの姿にならんと、体が鈍って仕方ないのじゃ。普段は霊力の無駄な消費を抑えるため、この子供の姿で霊体化しておるがの。イライラが募ると、処構わず放電する癖があるんじゃよ」


 はむはむと、尻尾の毛流れを整えながら天音は言う。

 毛束の隙間からちらりと覗く八重歯が可愛らしい。


「あの綺麗な女性が、本性だったのか……」


 この姿の時は一尾だけど、どうやら本当は四尾の狐らしい。

 あの姿で着物を着たら、間違いなく胸元が開いてしまうんじゃないだろうか……。

 思い返し、また顔が熱くなる。今でも胸の感触が――


「馬鹿者、なにを考えておる!」


 神藤陽一は、唐突に思考を読まれた! 見れば天音は頬を赤く染めていた。

 あれ、それにしてもさっきは何も言われなかったぞ?

 きわどい妄想を必死で押さえ込んでいたからかな。


「ななな、なにを考えておったのじゃ!」

「なんだよ、どういうことだ。俺と天音は念話が出来るんだろ?」


 焦った様子のお狐様に、素朴な疑問を訊いてみた。


「あの姿で実体化しておる時は、わしはお主に憑いておらんからの。互いの思考にはなにも干渉せんし、感じ取ることも出来んのじゃ。ところで、お主なにを考えておった。事と次第によっては、雷神も真っ青な雷撃をぶちかますことになるぞ?」


 ジト目で睨みを利かして言う。やっぱり恥ずかしかったんだな。


「当たり前じゃろ! 殿方に肌を晒すなぞ初めてだったんじゃぞ! どう責任を取るつもりじゃ」


 てことは天音は、千歳を超えてるにもかかわらずの、処女? なんて希少種だ。ある意味、生きた化石だぞ、これは。

 いや、この場合、狐の、それも神様にそんな言葉が当て嵌まるのかどうかは、定かじゃないけれど。


「知らんがな。そんなものはお前が勝手にしたことだろうが。こちとら女の子に自前を晒したことなんて一度もないんだぞ! 大切なマイサンを、伝家の宝刀を盗み見しやがって!」


 何度も言うようだが――千歳を超えているらしいが、小さな女の子と――なんの会話をしているのか。互いに赤くなりながらの問答に、惨めな思いが込み上げてきた。

 ため息を一つ。


「はぁ。まあ、もう寝るか。明日も早く起きなきゃいけないし……」


 早起きの理由がとてつもなくしょうもないけれど。

 天音もそれを理解してくれたんだろう。むぅう、と唸りながらも会話を切り上げ、


「仕方ないの、一時休戦じゃ」


 と納得出来ていないような渋い顔をしつつ、そう言いながら、もそもそと俺のベッドに上がり込んできた。


 お前はいつか、この話題でまた再戦するつもりなのか!


 天音に憑かれてからというもの、もはや当たり前になっているこの添い寝。半ば強制的に、「わしが寝るまで主殿は見守っておれ」と子守みたいなことをやらされているのだが。


 天音の耳も尻尾も、高級な毛布みたいにふかふかでふわふわで、とても気持ちいいために、子守をするのもやぶさかではないという、睡眠時間を多少削ってまで感触を楽しみたいという、下心にも似た親心みたいなものが、俺の中に芽生えていた。


 腕の中で丸くなるお狐様。むにゃむにゃと眠気眼をこする様子は、どこからどうみても、お子ちゃまにしか見えない。

 いろいろあって気疲れしたのか、小言もなく、すーと静かな寝息を立て始める。クーラーのタイマーを設定して、電気を消し、


「おやすみ」


 耳の感触を惜しむように、そのさらさらの銀髪を撫でながら、やがて俺の意識は微睡の中へと沈んでいった。

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