第3話 転校生
3-1
「ほら、起きて。朝だよ」
何気なくない、朝の一光景。
可愛い幼馴染がいる男ならば、一度くらいは夢想したことがあるのではなかろうか。
夢現の微睡の中、揺り籠のように揺さぶられながら、優しく耳元で囁かれるスイートボイス。
『ほら陽ちゃん、もう起きなきゃ』
本当は起きているのに、その続きを期待してわざと寝たふりを続けたり。
『起きない子には悪戯しちゃうよ?』
布団を引っぺがされて、元気にテントを張っているマイサンを発見され、手痛いビンタを喰らったり……。
『きゃぁああ! 陽ちゃんのえっち!』
などというのは、断言しよう。
幻想だ、と。
「ほら芽依、いいかげん起きろよな。マジで遅刻するぞ」
視線の先には、体の半分くらいの大きさの、愛らしいくまのぬいぐるみ型目覚まし時計を抱いた、芽依の寝姿が。
薄手の布団一枚蹴っ飛ばし、安らか過ぎる寝顔を晒している。
「がおー」
ビージーエムには、けたたましく鳴り響く、その愛らしさからは想像もつかないであろう、ミスチョイスと言わざるを得ない勇猛なくまの雄叫びが。
「むにゃむにゃ、陽ちゃんのえっち……」
ずっと揺さぶっているのに、寝言を言うだけで、ちっとも起きる気配がない。
出来ることなら、この姿を写メに撮って、ぜひクラスのみんなにも見せてやりたいわ。
そんなことをしようものなら、いや、素振りを見せただけでも、奏先輩から説教くらうのは目に見えてるけど……。
俺の部屋が軽く五個くらい入りそうな、淡いピンク調で揃えられた室内。所狭しと並べられたくまのぬいぐるみ。
少女趣味全開の部屋の中で一際目を引くゴージャスな天蓋つきベッド。ピンクかと思いきや、レースのカーテンとシーツは白く、ベッドの造りは全て黒という、なんとも不協和音が聞こえてきそうな不釣合い感が半端じゃない。
女の子を起こしにいくという、本来ならおいしい状況であるにもかかわらず、興奮を覚えることすらない。
これが俺にとっての、幼馴染というものの実態だ。
『毎朝、御苦労なことじゃな、主殿』
感心するように、肩口から顔を覗かせる天音。
しかしなぜ俺が、毎日毎朝、芽依を起こしに来ないといけないのか。
もはや恒例行事、いや、中学からの日課になっている。
『なあ天音――』
憑かれてからずっと気になっていた。それを天音に問いかける。
もちろん念話で。
『芽依のやつ、中学までは普通に起きられたみたいなんだけど、もしかして、なにか悪いモノにでも憑かれてるんじゃないのか?』
いきなり朝起きられなくなるなんて、どう考えてもおかしいだろう。
『みたい、というのは些かはっきりせんの。どういうことじゃ』
『小学生の頃は、ちゃんと時間に集合場所まで来てたんだよ。だから、こんなに朝が弱いはずないんだ』
芽依が起きられなくなったのは、中学二年から。それまではちゃんと外で集まって、一緒に登校していたんだけど……。
『芽依殿には、兄上がおるんじゃろ?』
『ああ、奏先輩のことか』
『大方、兄上に起こされでもしとったんじゃないかの』
思い返してみれば確かに、それくらいになって、いきなり先輩から、「芽依を起こしてやってくれ」なんて頼まれたっけ。それ以来、ずっと俺が起こしに来てるんだけど。
『芽依殿の兄上は、美織の僕をやっておるんじゃろ?』
僕って、魔王の手下じゃないんだから。……いや、ある意味似たようなものか。
『美織の手伝いが忙しくなって、起こすに起こせん由由しき事情で致し方なく、主殿に代わってもらった。そう考えるのが妥当じゃなかろうかの』
まあ確かに。中学の頃からあの二人は、生徒会長と半強制的に副会長だった。
あの奏先輩が芽依に関しての頼みで、他人に頭を下げるなんてこと、あまり考えられないし。
……てことは、そういうことなのだろうか。
『なら本当に、悪霊だの怪異だのは関係ないんだな?』
『それは心配せんでよい』
妙に自信あり気な返事だった。
なぜなら――と天音は続ける。
『芽依殿の姓は、天ヶ瀬、じゃな。天ヶ瀬というのはその昔、アマテラス様のお世話役をしておったことがあるんじゃ』
『アマテラス? ってあの、伊勢神宮で祀られている、天照大神のことか?』
『その通りじゃ。よく知っておるの主殿。じゃから天ヶ瀬には、アマテラス様のご加護があるんじゃよ』
言いながら、柔和な眼差しを、すやすやと眠る芽依へと向ける。
その穏やかな横顔からは、懐かしき故郷を思うような、優しさを感じた。
ふーん、と感心しつつ相槌を打ったところで、もぞり、とベッドでなにやら動きがあった。
「う、うーん。あれ、陽ちゃん、なんでいるの?」
起きたと思ったら、まだ半開きの眼で寝ぼけたことを言う。
朝の決まり文句だ。
「なんでって、起こしに来たからだろ。そんなことより時計を見なさい。いつもより六分も遅いぞ」
「え? って陽ちゃん、なんで起こしてくれなかったのー!」
くまの首に付けられたチョーカーの時計を見やった芽依は、ギョッと目を見開くと、慌ててベッドから跳ね起きた。その衝撃で、天蓋がグラグラと揺れる。
まったく、これだからお嬢様は……。
昔からまるで変わらない芽依の部屋。女の子らしい印象を受ける。少しぬいぐるみが増えたような気もするけど、当たり前みたいにあがり込んでるから、多少の変化には気づきにくい。
「まったくもう、陽ちゃんのせいで遅刻だよー」
「俺は起こしただろ。三十分も前から声かけてるのに、いつも起きないのはどこのどいつだ」
「あー遅刻遅刻~」
まるで俺の言葉が聞こえてない体を装って、芽依はいきなりパジャマを脱ぎだした。
「ってうわ馬鹿! せめて俺が部屋を出てから着替えろよ!」
芽依の部屋を急いで退室し、廊下で肩を落として息を吐く。
なんで俺まで慌てなきゃいけないのか。まあ、もう慣れてるけど。
肩口からはふふふ、と愉快気な笑い声が聞こえてくる。
それにしても男がいるのに普通着替えるか? 芽依はいろいろとズレている気がする。
疎いというかなんというか……。芽依らしいっちゃらしいんだけど。
それとも、俺は男として見られていないんだろうか?
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