2-3

 神社で永瀬に別れを告げ、俺は少し薄暗くなった住宅街を歩いている。


 チリンチリンと綺麗に鳴るのは、先ほど永瀬のお母さんがくれた、夜坂神社特製の魔除けの鈴らしい。

 なぜか分からないが、首にチョーカーのように紐で巻かれ、まるでペットみたいになっている。両手が塞がっていたために、どうすることも出来なかったし、ご馳走になっておきながら断るのもどうかと思ったから、成すがままにされていたのだ。


 それにしても天音のやつ、さっきから一言も喋らない。

 俺の思考はシャットダウン出来ないみたいだが、天音はそれが出来るらしい。思念がまるで入ってこない。

 一様二人でいるのにもかかわらず、もの凄く孤独を感じる、そんな学校の帰り道だった。


 ちょうど目の前の角を曲がれば、もうすぐ家につくという目と鼻の先で、急に天音は声を上げた。


『主殿、止まるのじゃ!』


 妙にうるさく頭に響く声だった。

 にしても何をそんなに慌てているのか。肩にしがみ付く天音の顔は、この先に待ち受けている何かを危惧しているような、険しい表情をしていた。


『その角の先に、なにかおるぞ』

「何かってなんだよ、アバウトだな」

『馬鹿者! 声が大きい、念話で喋らんか』


 きつく狐に説教された。


『妖気を感じる、間違いなく怪異じゃな』

『で、でもなんでこんなところに?』

『わしにも分からん。けど殺気は放っておる、犠牲者がいなければいいんじゃがな』


 犠牲者って、不吉なこと言うなよな。もし角を曲がって死体でも転がってたら、間違いなく気を失う自信はある。


 膝が多少震えるが、ゆっくりと、けど力強く地面を踏みしめ、ブロック塀を背にして伝いながら角までやってきた。

 唾を飲み込み、息を殺して、そーっと角から様子を覗ってみる。


『あれ、なにも見えないぞ?』

『お主は空けか。美織になにを教わっておった』


 ああ、そうか。俺の霊視もパッシブじゃないんだった。面倒くさい。

 目に意識を集中させる。ほんわかと目の周りが熱を帯び始めた。

 おっ、なにか見えてきた。

 薄ぼんやりと霞んだシルエットは、どうやら電信柱に向かって何かをしているようだった。

 徐々にその輪郭がはっきりしてくる。目測七十センチ前後の短身で茶色をした芝生みたいに短い毛並み、小さな耳に長い尻尾。そして驚くことに、両の手は鎌状になっていた。


『あやつ、鎌鼬ではないか。なんでこんなところにおるんじゃ?』


 よく見れば、鎌鼬は電信柱で、猫がよくする爪とぎみたいに鎌をがりがりやっていた。

 鎌鼬ってあの妖怪だよな? 真空波みたいなの飛ばせるやつ。


『あやつは殺気立っとるが敵ではない。ある意味、身内じゃ』


 あんな物騒な奴が身内って、どんだけデンジャラスな神様だよ!

 天音の言葉を信じ、俺は恐る恐るではあるが角を出て、不機嫌そうに鎌を研ぐ鎌鼬さんのもとへ。

 えー今から、突撃取材をしてみたいと思います。


「おいお主、そんなところで何をしておる」


 俺がマイクを向けるより先に、天音が声を発した。緊張を紛らわすための段取りが台無しだ。

 ビクッと一瞬肩を震わせると、鎌鼬はこちらへと振り向いた。


「ぶっ!」


 その顔を見た瞬間、俺はつい噴出してしまった。


「あんれ、天音様じゃありませんか。随分と久方ぶりですんねえ」


 黒縁黒レンズのグラサンをかけた鼬が、どこの田舎のおっさんだ的な訛り声で話しかけてきたのだ。

 ダーツの旅なら、間違いなく爆笑を取れるレベルだ。


「お主、神社に帰らんでよいのか? 家の者たちが心配しておるであろう」

「最近、紫音さんがめっきり私を使ってくれなくなったんです」

「だから鎌を研いでおるのか」

「怪異を退治するのに、やっぱり伝家の宝刀あの憎き禍刈がいいようで。私は散歩でもしてきたらと言われたもので、こうして鎌研いで回ってるんです」


 目の前で、鼬の妖怪がため息をついている。

 ただでさえ俺の日常は、天音に憑かれたことで崩壊の兆しを見せてはいたものの。やはりこうして実際に怪異を目の当たりにしてみると、日常というものが、はるか昔になくなってしまった幻想なのではないかという錯覚すら覚える。


 それにしても気になる言葉。紫音に禍刈。今日初めて会話した人物と関連した語句だった。


「あのさ、もしかして紫音って、永瀬のこと?」

「うん? 天音様、こちらの方は」

「わしの新しい主殿、神藤陽一じゃ」

「そうでしたか。初めまして鎌鼬です、以後お見知りおきを」


 鼬の妖怪に、それはそれは酷い訛りで丁寧なお辞儀をされた。

 それに軽い会釈を返す。


「お察しの通り、紫音さんは夜坂神社の巫女さんで、私の所有者ですんね」

「所有者?」

「こやつは刀に宿った怪異、九十九神なんじゃ。室町初期に打ち鍛えられた古刀での、昔は振ればかまいたちが起こせると云わしめるほどの、名刀じゃった」


 はぁーなるほど。別の刀にお株を奪われて、その憂さ晴らしに自前の鎌を研ぎ回ってるのか。

 ちょっと同情しちゃうな。

 てことは、あの時永瀬が言っていた剣閃云々の話は、あながち嘘でもなかったってことか。

 ただのブラフかと思ったけど。……怒らせると怖そうだな。


「では、私はもうしばらくこの辺うろついてますんで、何か御用があれば何なりと」

「うむ。くれぐれもやり過ぎんようにな」

「それでは」


 鎌鼬は、妖怪らしからぬ丁寧な所作で頭を下げると、すっかり日が落ち暗くなった住宅街を、神社方面へ向かって歩いていった。


「さて、わしらも帰るかの、主殿」


 肩にしがみつく天音は、なんだかとても嬉しそうだった。

 きっと顔馴染みに出会えたことが懐かしく、それを喜んでいるんだろう。

 そう思っていたんだけど……。

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