2-2
――そして放課後。
午後の授業はまるで身に入らなかった。耳にも入らず、すべて右から左に聞き流していたと思う。芽依が心配してくれていたが、それにも適当に相槌を打っていた。
俺は昼休みの約束どおり、また中庭で永瀬と対面している。
芽依と鏡也が一緒に帰ろうと誘ってくれたが、こちらの約束を反故にすると後が怖そうだから、二人には先に帰ってもらった。
「ちゃんと約束どおり来ましたけど、それで、話ってなんですか神藤君?」
「いや、俺が話したいんじゃなくて。おい天音」
左肩にしがみ付く神様に、俺は小突くように肩を揺すり、話をするよう促した。
「うむ、なにから話すべきか迷ったが、お主、あの夜坂神社の娘だそうじゃな」
「それがどうしたんですか?」
「お主は、先祖の名前なんぞを覚えておるか?」
「それはもちろん。小さな頃に、巫女をされていた先祖の名前を母に叩き込まれましたから」
「では聞くが、夜坂
天音の問いに、永瀬は小さく顎を引いて首肯した。
「桜華は伝説的な巫女です。その昔、英霊を従え大妖怪を封じたことで崇められ、そして私の実家のある夜坂神社の建設に携わりました。神社の御本殿にはその英霊と、桜華の魂が肩を並べて鎮座しています。しかし妖怪風情が、どうしてそのようなことを知っているんですか?」
永瀬の表情が、訝しげに曇り始めた。片方の眉尻を上げ、普通なら知りえないはずの先祖の名前を知っている、天音を見る目が明らかに不審に満ちている。
「一言断っておくと、わしは妖怪ではない」
初めて姿を見た時と同様、天音は着物の帯から、名前の書かれた枯葉を一枚取り出した。それを無言で永瀬に手渡す。
感情なくそれを受け取ると、永瀬は書かれていた名を音読した。
「天涙音姫神……って、え?」
いや、また同じセリフだけど、よく読めたな。って確かふりがな振ってあるんだっけか。
それにしても何を驚いているんだろう。昼に天音の姿を認識した時よりも、驚愕といった方が適切なくらいビックリしている。
「どうしたんだ?」
「あなた、神様なんですか? しかもこの名前……。神藤君、これが本当なら、私はものすごく失礼な振る舞いをしていたことになります。それはもう切腹ものの――」
お前は武士か! という無粋なツッコミはこの際やめておく。
「答えてください。あなたの言葉なら、たぶん三割三分五厘くらいは信じられます。この少女の姿をした霊体は、なんですか?」
体を小刻みに震わせ、まるで懇願するような切ない眼差しを向けられた。
って、三割超えてりゃ野球ならかなりの高打率だけど、この場合の三割ってあまり信用されてないんじゃ……。
気を取り直し、取り繕い、微妙な空気のまま俺は答えた。
「俺もよく知らないけど、天音は神様だって言ってる。さっき見せた枯葉の名が、神としての名前らしいけど」
「そう、なんですか」
俯いた、と思ったら膝を折り、刀袋を地に横たえ手を地面につき、ついには、永瀬は土下座らしき姿勢をし始めた。
おいおい、なにが始まるんだよ。
「すみませんでした!」
額が地面に擦るほど、勢いよく頭を下げた永瀬。
謝る意味が分からない。
というか、端から見たら女の子に、ただ土下座させてるようにしか見えないんじゃ……。
中庭には、まだちらほらと学生の姿があった。
気まずくなって慌てた。
「いや、顔を上げてくれ。俺には何のことなのかさっぱり分からないんだから。せめて説明してからでも遅くない、だろ?」
他人から頭を下げられるだけでも居心地悪いっていうのに、土下座なんてされた日には旅にでも出たくなる気分だ。
これで優越感に浸れる人間がいるのなら、そいつは間違いなく性根どころか精魂まで腐ってる。
逡巡の後、永瀬は顔を上げ、その場でゆっくりと立ち上がった。膝についた砂利を払う。
「そうですね、この方の主となられた神藤君には、説明しておかなければいけませんね」
いつの間にか天音は、妖怪からこの方扱いに昇格していた。
「実はこの天涙音姫神様は――」
「皆はわしを天音と呼ぶ、そう呼んでくれて構わんよ」
「……で、では。こ、こここの天音様は――」
顔を真っ赤にし噛みまくっている。いつになく緊張しているようだ。こんな鉄の少女を見たことがない。
いつもは凛々しく、天川学園の白百合だとか女子から言われている永瀬から、誰がこんな姿を想像できるだろうか。
「――なんです。そういったことから、さっき私は、天音様に土下座をしたんです」
「あーそうだったんだー」
気づけば、重要な所を聞き逃していた。適当な相槌を打って誤魔化す。
「主殿、人の話はちゃんと聞かぬと、碌な人間になれぬよ」
こういう時、念話ができる相手だと面倒くさいことこの上ない。
「神藤君、聞いてなかったんですか?」
「いや、聞いてなかったというか、新たな一面を見られて歓心を得たというか」
「……落としますか?」
「ごめんなさい」
即陳謝。決して平謝りではない。
だってそれはそうだろう? 何せその妖刀だかなんだかを構えてるんだから。今にも抜刀ツバメ返しでも放たん勢いだ。
「しょうがない主殿じゃな。要するに、先ほど話に出ておった夜坂桜華、紫音の先祖じゃな。その桜華に当時憑いておった英霊、自分で言うのは些か恥ずかしい気もするがの、それがわしだというだけの話じゃ」
背中に隠れる天音の顔は、確かに言葉通り、ほんのり赤く色づいていた。
って、ということは。
「お前、もしかしてすごい神様だったりするのか?」
「すごいもなにも、日本の三大悪妖怪の一つを封じたんですから、もの凄いですよ」
「三大悪妖怪?」
なにやら大仰な話になってきた。
世界三大美女だの世界三大珍味だの、日本昔話だの学校の七不思議だのと、そういったレベルの話だろうか? 正直、俺はついていけない気がする。
「あ、その顔は信じてませんね?」
「いや、信じるよ? そりゃあこんなのに憑かれたんだから、そういった存在を信じられる頭にはなってると思うけど、三大妖怪ってなに?」
問うと、永瀬は一つ咳払いをし、得意げに言ってみせた。
「鬼、狐、天狗です。その中の一つ、白面金毛九尾という狐を、桜華様と天音様で退治されたそうです。家にある文献に、当時のことが記されていました」
へぇー、と感心していると、肩越しの天音が沈んだ顔をして俯くのに気づいた。
「どうしたんだよ、浮かない顔して」
「ん、なんでもないのじゃ。ちょいと腹が減っての……」
「ったく、また稲荷寿司作るのかよ……意外と手間かかるんだぞ、あれ」
「あ、やっぱり天音様は、お稲荷さんが好きなんですね」
「あれ、知ってるのか?」
「はい、文献にもちゃんと記してありましたよ。甘いお稲荷さんが好きだと」
なるほど。さすがに憑かれていただけのことはあるな。そういった特徴なんかを全部まとめて、もしかしたら他の情報も書かれているかもしれない。
俺にとって、いつまで付き合えばいいのか分からない、天音の取説になるかも。
「――まあ、その程度のことしか書かれてないんですけどね」
永瀬の言葉に、期待値を高く積み上げすぎて落差が激しすぎる階段を、俺は勢いよく転げ落ちた。
99パーセントの希望は、時に1パーセントの絶望に掻き消えることを、いま知った。
「作るのがなんでしたら、天音様のお稲荷さんは、私が用意しましょうか?」
おっと、ここで思わぬ提案。だがそれに準じていいものなのか。他人の好意に甘えるのはあまりよろしくないのでは。即座に誘いと遠慮を天秤にかける。
果たして俺の心の秤は、どちらに重石をおくのだろうか。
短い葛藤の末、俺は結論を出した。
「じゃあ、今日だけはお言葉に甘えて……」
ああ、甘い誘惑には勝てなかった。男なんて、みんな花に吸い寄せられるミツバチなのさ。
時間も時間ということで、その後すぐに俺たちは帰宅の途についた。
途中、永瀬の実家のある夜坂神社へと立ち寄らせてもらい、稲荷寿司の入った重箱を受け取った。
話によると、お供えするために、永瀬のお母さんがしょっちゅう作っているらしい。今日はちょうどその日だったということもあり、寿司を譲ってくれたのだ。
永瀬のお母さんは、もちろん先代巫女ということもあり霊感も健在なようで、天音の姿をじかに見て終始感激していた。
視える人には見えるらしい、ということを改めて思い知るのだった。
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