1-3

 暴走機関車。その例えが一番合ってるかもしれない。

 校則も無視して、歩く人々を、教師上級生問わず轢き飛ばさん勢いで突き進む芽依は、誰にも止められない暴走列車と化していた。


 そうして校内の廊下を長いこと引き摺りまわされた俺は、なんとか無事に(?)保健室へたどり着くことが出来たのだ。

 おかげでお尻が痛い痛い。スラックス、破れてないよな。まさか自分の尻が雑巾になる日がこようとは、俺自身、想像できなかったよ。


 ――ガラッと勢いよく開けられた保健室のドア。芽依は俺を部屋の中へと放り込む。


「ん~、どうしたんだい血相変えて?」


 するとデスクに向かっていた保険医の女性が、椅子を回転させながら、こちらに向き直った。

 ウェーブのかかった茶色の長い髪をかき上げながら、天川学園養護教諭、水無月楓先生は気だるそうに息をはく。


「おや、また君か。ええと確か、一年の……太陽君?」

「陽一です……」


 即訂正。


「そうだそうだ、陽一君。まあ陽だけ合ってたんだ、許せ」


 楓先生は、間違いを笑って誤魔化した。教師にあるまじき行為だと思う。

 以前次の授業が体育だと気づかず、早弁してしまったせいで授業中に気分が悪くなり、それでお世話になったことが何回かある。


 楓先生は去年の秋からこの学園に新しく赴任してきた養護教諭だそうだ。それまではおばちゃんだったみたいだが、なんでも寿退職したらしい。

 なので代わりにこの学園にやってきたのだが、美人ということが知れると、学園OBがこぞって見にやってきていたそうな。

 楓先生の一喝で、今ではそれもほとんどなくなったけど。


「ところでどうした、また気分が悪くなったのかい?」


 スリットの入ったタイトミニスカートから伸びる、すらりとした脚を組み直しながら、楓先生が訊いてくる。


「えと――」

「違います、陽ちゃん怪我してるみたいだから、先生に診てもらいたくて、引き摺ってきたんです」


 答える前に芽依が返答してしまった。俺はそれに便乗してとりあえず頷いておいた。


「怪我ねえ、まあ、そこに座りなさい」


 大して外傷もなさそうな俺の体を一瞥すると、楓先生はパイプ椅子を用意し、座るように促す。


「それで、いったいどうしたんだ?」


 素直に従いそれに座ると、先生はさらに尋ねてきた。


「いやどうしたと言われても――」

「さっき下駄箱でパフェの約束した時に、急に痛いって言い出して……とても辛そうだったんですけど、先生、なにか分かりませんか?」


 大した返答もする間もなく、芽依がまた状況の説明を始めた。

 そして俺の左腕を指差すと、楓先生の視線も部位に注がれる。


「先生、どうですか?」


 芽依の問いかけに、うーんと唸る楓先生。


「シャツに……穴が、開いてるな」

「そんなもん見れば分かるでしょ!」


 ごく当たり前な答えに、ついツッコミを入れてしまった。


「痛っ!」


 再度来襲する腕の痛み。顔をしかめて腕をかばう。


「しかし、どうやら外傷はないようだが……なんだ、新手の遊びか?」

「違いますよ! わざわざシャツに穴開ける遊びがどこにあるんですか!」

「そうは言うけどね、外傷もないんじゃ、そう捉えられても文句は言えないだろう? まったく、それで、痛みはどんな感じ」


 症状をメモろうと、引き出しから問診票を取り出した楓先生は、脚を組み直し、それを膝に当てながら聞いてきた。


「まったく、他人事だと思って」

「他人事だと思ってって、そりゃあ他人事だろう? あたしには関係のないことだしね」

「うわひどい! 先生そんな女性だったんですか! 俺は幻滅しましたよ」

「生徒の一人や二人に幻滅されたところで、あたしはどうってことないんだよ。というか陽一君。君、また今日も授業サボってただろう」


 思わぬ指摘に、苦虫を噛み潰して目をそらす。

 風になっていたんじゃなかったのか、と。なぜ、バレている!


「そんなことばっかしてると、君、留年だよ? 天ヶ瀬さんも大変だねー、こんな出来の悪い男が幼馴染なんてさ」


 ちらりと目線をずらして、斜め後ろで献身的に付き添う芽依を見やる。


「いえ、わたしは陽ちゃんの保護者ですから。お世話するのも楽しいんですよ?」


 のんびりした声で笑顔を返した芽依の言葉に、小さく息を吐いた楓先生は「そんなもんかねー」半ば呆れたように呟いた。


 芽依、一言断っとくが「世話」って言葉。それは俺のセリフでもあるんだぞ。

 それに保護者は間違いなく俺だろ、誰がどう見ても――


「痛っ!」


 二人の談笑は、再発する腕の痛みを訴える声によって中断を余儀なくされる。


「ああ忘れるとこだった、それで、痛みとやらはどんな感じだ?」

「忘れないでくださいよ、先生……。それが、なんか犬にでも噛み付かれたような痛みなんですよ。いっ! それといま思い返してみれば、さっきのサボり云々の話で思い出したんだけど――」


 俺の言葉に眉尻を上げて、楓先生は次の言葉を待った。


「ボロ稲荷に行った時、ぐっ! なにかに噛みつかれた気がするんです。その時も左腕に一瞬激痛が走った気がする。その後すぐ、気を失ったんだか失ってないんだか分からないんだけど……」


 つい先刻のことなのに記憶が曖昧な俺に対し、楓先生は呆れ顔をして言った。


「はぁー。君、留年だわ」


 その頭の悪さじゃ、という意味合いも込められたような心無い一言に、俺は大層衝撃を受け、ゴールデンエッグスじみた驚愕の仕方で顔の造形を崩す。


「にしても千歳稲荷ねー。こいつはもしかすると、もしかするかも」

「なにか分かったんですか、先生」


 不安げに尋ねる芽依に、楓先生は口を開いた。


「いや、はっきりとしたことは分からないが、もしかすると狐憑きかもしれない」

『狐憑き?』と声を揃える俺と芽依。

「痛っ!」と続いて声を上げたのは、ほかでもない俺だ。

『おーほっほっほっほー……ケホケホッ(美織、無茶しすぎだよ)』


 するとどこからともなく、前触れなく予告なく大音量で流れた校内放送から、不意に高笑いとそれに突っ込む声が聞こえてきた。


「この声は!」


 声の主を待ち受けようと、俺たちはドアの方を見ながら身構える。


「あー、また厄介なのが増えた……」


 こめかみに手をやり頭を振るのは他でもない、楓先生だ。


 ――ガラッ!

 突如勢いよく開け放たれた保健室のドア。

 そこには、執事服を着込んだ付き人一人を従えた女性が立っていた。

 人物を認識し、俺と芽依は揃って口にする。


「「会長! みぃちゃん!」」

「あら、私を呼ぶ声が聞こえたから、わざわざ校内放送まで使って登場を演出してみたのだけれど、どうだったかしら? ちなみにさっきのあれは録音よ」


 パチッと扇子を畳んで口元へ添える妙に大人びた仕草をしつつ、息を切らせる付き人を横へと捌けさせると、会長は俺たち三人に向かって問いかける。


「いや、別にまだ呼んだ覚えはないんだが、まあいい。ちょうどいい所に来たね」


 新たなパイプ椅子を用意すると、楓先生は会長に座るよう促した。


「あら、どうも」


 なんて言いながら、これから優雅なティータイムを楽しむかのような上品な所作で、会長は椅子に腰掛ける。


 このどこからどう見てもお金持ちそうなお嬢様は、二年生で現生徒会長を務める星川美織みおりさん。実を言うと、芽依の従姉に当たる人だ。


 芽依の父親と美織さんの母親が兄妹で、美織さんの母親が学園理事長を務めている。実は兄妹で共同運営だったらしいのだが、理事長の席を、退屈だからと芽依のお父さんが譲ったらしい。学園の名前は、文字通り、天ヶ瀬の天と星川の川を取ってつけられたそうだ。


 父親が日本人とイギリス人のハーフで、美織さんもどこか日本人離れした整った顔立ちをしている。黒いカチューシャをした長くて艶やかな金髪は、青空によく映える。窓枠が額縁となって、美術品でも見ているような気分だ。芽依と二人並んだら姉妹のように映るだろう。

 唯一大きく違う点を挙げろと言われれば、身長と髪色。この時点で二つなのはご愛嬌。


 そして何より、芽依には、制服を押し上げるほどの胸がない!

 だがこんなことを声を大にして言おうものなら、草葉の陰どころか目の前から、視線という名のクナイでも飛んできそうだから、自分の胸の内に秘めておくことにする。

 そしてもう一人。


「そーちゃん、お疲れさんだねー」

「ハァ、ハァ……ははっ、ま、まあね」


 芽依の労いに答え、美織さんの斜め後ろで、織田信長に付き従う森蘭丸の如く控えているのは執事服の男。会長と同じく生徒会の一員で二年生の、かなた先輩。芽依からだけは「そーちゃん」と呼ばれている。

 会長補佐兼副会長、と言うのは名ばかりで、ただ単に、執事という名の雑用をやらされている可哀想な人。


 事の経緯はよく知らないが、芽依によれば、美織さんになにか弱みを握られているらしい。


「ところで楓先生、私を呼んだ理由は何かしら?」


 奏先輩に扇子を預けると、美織さんは腕を組みながら先生に尋ねた。


「美織、あんた確か、霊感が強いんだったね?」

「あら、よくご存知ですね」

「天下の生徒会長さんのことだ、学園中に知らないやつはいないだろう」

「それで、私に何を“視て”欲しいんですか?」


 楓先生の言いたいことを察したのか、美織さんは自ら進んで促した。


「話が早くて助かるよ」


 頷くと、楓先生は俺の腕を指差した。


「ここに何か見えるかい」

「ここ?」


 美織さんは腕を凝視し、無言でしばらく見つめ続ける。

 そう、またしてもぶっちゃけると美織さん、霊視と千里眼を含む透視能力(クレヤボヤンス)の持ち主なのだ。中学の頃に突然開眼し、探し物なんかを手伝ってもらったことがある。


 ゴクリ、と喉が鳴る。その表情があまりにも真剣だったからだ。

 ようやく痛みの正体が明らかになる、という期待値も含まれていたと思う。


「シャツに、穴が開いてるわね」


 けれど発せられた言葉に、危うく椅子から転げ落ちそうになった。


「って、先生と同じ反応じゃないですか!」


 またしても思わずツッコミを入れてしまう。

 まさか、美織さんも同じ反応を示すとは……。

 けれど続けられた言葉に、俺は驚愕を禁じえなかった。


「冗談よ。にしても陽一さん、あなた、面白いものを“飼って”いるわね」

「は? 飼ってる? それはどういう……痛っ!!」


 再び襲われた腕の痛み。それはキリキリと腕を締め上げてきて、今にも肉から血が滲み出そうなほどの、ひりひりと焼け付くような鈍痛を与え続けてくる。


「ふふ、お嬢ちゃん、姿を見せてあげたら如何かしら?」

「え、お嬢ちゃん?」


 美織さんの言葉に、疑問符を頭に浮かべたのは俺だけじゃない。

 保健室にいる誰しもが、言葉を鸚鵡返しして俺の腕に注目する。が――。


「ふふ、冗談よ、なにも見えないわね」

『えっ!?』


 楓先生含め一同、開いた口が塞がらない。


「まあ、包帯でも巻いておけば万事解決じゃないかしら? ということで、解散!」


 椅子から立ち上がると、美織さんは奏先輩に抱きかかえられ保健室を出て行った。

 開いたドアを呆然と見続けていると、突然、校内アナウンスが流れた。


『一年五組、神藤陽一君、至急生徒会室までいらっしゃい』


 あれ、美織さんの声。いま出ていったばかりなのにもう放送が流れてる。

 奏先輩、相当走らされたんだなぁ。


「って、俺どうしたらいいんですか?」

「生徒会長が呼んでるんだ、行ってきたらどうだ陽一君」

「けどまだ、昼飯食べてないんですけど……」

「陽ちゃん」


 背中から声がかけられたので振り向くと、そこにはやきそばパンの小袋を一つ差し出す芽依の姿が。


「これあげる、食べながら走れば一石二鳥だもんね!」


 ていうか芽依は、いつの間に懐に忍ばせていたんだろうか。なかなか侮れない。

 そういえば、さっき通り過ぎる人の中に、なにか探してる女の子がいたような……。

 まさか、すれ違いざまに掻っ攫ったとか……。いや、まさかな。


「こらこら、廊下で食べ走りとは校則違反だ。それにはしたないぞ陽一君」

「いや、まだしてませんから」


 楓先生の言葉に弁解しつつ、芽依からやきそばパンを受け取った俺は、保健室を後にした。

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