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天川学園は山を背にした自然溢れる場所に建てられた学校だ。
全日制の男女共学校で、男女の比率は4:6と、女子の方が少し多い。男女ともに離れた棟の学生寮も完備していたりする。それぞれの寮の収容人数は二百人ほど。ゆえに学校の敷地面積はかなり広いほうだと思う。
特に運動系や吹奏楽が強い高校として、全国でも知れ渡る進学校でもある。
校門から校舎へと続く道には、春先に一斉に芽吹き鮮やかに咲き誇る桜並木。
葉桜になってしまっているが、薄桃色の花びらが校庭に積もり風に踊り、アスファルトの下地が見え隠れする様は、子供が描いた切り絵みたいで、見ていて少し楽しい。
数年前までは町内でも指折りの名所として、花見客に一般解放されていたのだが、マナーのよくない人間も中にはいるもので……。そういった理由から中止になったそうだ。
夏になると毛虫が湧くものだけど、学園長が虫嫌いなため、桜の木の消毒は徹底して行っている。だから学生たちも安心してこの道を通れるのだ。
少しみすぼらしくなった桜並木を右に左に眺めながら、俺は校舎へ続く道をひた歩く。
そうして東棟の玄関を勢いよく押し開けて、自分の下駄箱へと直行した。
昼飯にようやくありつける。とはいうものの、二時限目終わりに早弁してしまった俺は、購買でパンでも買うしかないのだが。……お財布事情的に、学食はきついだろう。
猫が小判を抱いている少し幼稚なデザインのお財布を、ポッケの中で握り締め一人歯噛みする。
早弁してしまった自分を呪いつつ、スニーカーを脱ぎ、上履きに履き替えようと下駄箱を開けたちょうどその時だった。
「あ、陽ちゃんおかえりー」
間延びしたとろい声が背後からかけられた。天ヶ瀬芽依だ。
「お、ちょうどいいところに。芽依、これから購買行こうと思うんだけど、今日のオススメはなんだっけ?」
芽依はよく購買部でパンを買っている。週間オススメ表なるものを独自に作成するほど、購買のパンに精通し余念がない。他に思考を割くべきところがあるだろうとも思うけど……。
だからおいしいパンは芽依に聞け、と仲間内ではパンアドバイザーとして、芽依を有効活用しているのだ。
上履きに履き替え立ち上がり、芽依がいるであろう少し下目線に合わせて俺は振り向いた。
――が、芽依の姿が見当たらない。
あるぇー、おかしいな。確かに声が聞こえたのに――って、またか。
もそりと視界の下のほうで蠢く影。ツツーっと視線を下げてみると、膝を抱えて蹲る小柄な少女。どこからどう見ても小学せゲフンゲフンッ!
だがこれでも、立派な幼馴染にして高校一年生なのだ。
「なにやってるんだ、芽依」
声をかけると、芽依は顔を上げて笑顔を見せ、膝を起こして立ち上がる。
その拍子にふわりと風を孕んで膨らんだ短いスカートが揺れて、芽依の白くて細い太ももが一瞬だけ露になった。
……い、いろいろと危なかった。文字通り、ギリギリだ。
少しだけ顔が熱くなる。別にその先なんか、想像してないんだからな!
けれどそんな俺の青春ありきな妄想など露知らず、芽依はいつものマイペースぶりで声をかけてきた。
「なにって、かくれんぼだよ」
「かくれんぼって……すぐ見つかったじゃないか」
そう言うと、芽依は「えへへー、失敗失敗」と大して反省もしてないような、何も考えていないみたいな無邪気な照れ笑いを浮かべた。
目の前のしょうが――じゃなくて少女は、幼稚園の頃からの腐れ縁だ。ミディアムボブの綺麗な茶色の髪が印象的な可愛らしい女の子。
目はくりくりとして大きく、小柄な体系でちょこまかと動く様子は、まるでリスやハムスターみたいな小動物を思わせる。
こう見えても芽依は実業家の娘さんで、実家はかなりの豪邸でしかもご近所さんだ。海外でホテルなんかの経営もしていて、天ヶ瀬グループといえばここらじゃ誰もが知っている有名な資産家だ。
故に両親は仕事で日本と海外を行き来していて、いま現在はイギリスに住んでいるらしい。海外に落ち着くと、当分戻ってこないという。
寂しくないのか以前聞いたことがあったけど、実家には芽依とそのお兄さん、そして使用人の方数名とで住んでいるから、平気だって言ってた。
「どうしたの、陽ちゃん?」
「え、ああいや、なんでもないよ」
いけない、ボーっとし過ぎていたか。まあ、芽依のことだから、見惚れていたなんて勘違いは、十に一つもありえないだろうけど……。
「なんでもなくないよ!」
すると予想に反して、というか三百九十度くらい回転して、力強い否定の言葉が返ってきた。
なんだろう、芽依がものすごく真剣な、そして心配そうな顔をして見上げている。
「な、なにがだよ、別になんでもないって言ってるだろ?」
否定の言葉を否定し首を横に振る芽依。
そして俺の身体の一部を指差しながら言った。
「その腕、どうしたの?」
「え、腕?」
腕がどうとか、特になにもなってないだろ。至って普通だ、そういう自覚がある。
しかし、芽依の表情はそう物語ってはいなかった。
「穴、開いてるよ」
「え?」
言葉につられ、目線をはず――そうとして一瞬思い止まった。
また芽依のイタズラなんじゃないか。と思ったが、芽依の目を見てもどうも嘘を言ってるようには見えない。
まあ、騙されたら騙されたで、「あーまーた引っかかっちゃったなー」とか言って、適当に誤魔化せばいい。
そして決意改め、俺は芽依の指差す左腕へと目線をずらした。そして、見た。
「あ、本当に穴開いてるな」
半袖のカッターシャツの肩パンエリアの少し下の方、縦にしかも二つ。
小さいが、なんだろうかこれは。
あ、そうか、
「――芽依、いつの間に噛んだんだよ!」
半分以上冗談のつもりだったのに、軽快に笑う俺に憐れむような視線が突き刺さる。
「陽ちゃん……」
芽依の心配そうな声が耳に届いた。
意識的に芽依の目を見返す。憐憫の眼差しが、俺を打ち抜いた。
「陽ちゃんにそんな性癖があったなんて、わたしぜんぜん知らなかったよ。幼馴染失格だね、気づいてあげられなくてごめんね……」
なにを謝っているのか、芽依は一瞬で目にいっぱいの涙を浮かべた。
「うわ、ちょっとなに泣いて――」
幼馴染失格とかなんだよ、しかも性癖って! 俺だって知らなかったよ、自分にこんなシャツに穴開けて喜ぶ性癖が――って違うだろ俺!
「芽依、違うから! 性癖じゃないから、幼馴染失格でもないから涙目やめろよ、今度、学食のブリリアントパフェ奢るから! なっ?」
とりあえずとっさに口走って後悔した。が、可憐な少女を泣かせた悪い男Y、なる容疑をかけられかねないこの現場の収拾のためには、背に腹は代えられない。
なけなしの千円さん、さようなら!
と空しい財布事情を胸に秘めつつ、宥めようと芽依の肩に手を伸ばした、その時――、
「ぐぁ!!」
身体に激痛が走った。さらに言及すれば主に左腕。シャツに穴が開いている箇所だ。
「え、陽ちゃん? 大丈夫……」
今の今まで泣きそうな顔をしていた芽依が、涙目のまま見上げている。
俺はあまりの痛みにうまく声が出せない。
息を止め、左腕を庇いつつ、その場でゆっくりとしゃがんだ。
「どうしたの陽ちゃん! 死んじゃやだよ、パフェおごってくれるんじゃないの!」
そんなことを言いながら、縋るように芽依は俺の傍へと寄り添う。
芽依、今はパフェで頭一杯なんだな。
芽依らしいっちゃらしいんだけど、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
それに俺、こんなことで死なないから。
「いたたたたたっ」
けれど絶え間なく襲いくる痛みの波。つい胸に七つの傷持つ男みたいな声を出してしまう。
このままでは確かに死ねるかもしれない。
ベテランサーファーばりにこの波に乗り切れればいいのだろうけど、俺、サーフィンしたことないしな……。
「ぐぉ!」
馬鹿なことを考えている罰なのか、痛みはなおも襲いくる。
すると何を思ったのか、芽依は急に立ち上がる。そして、いつもののんびりした雰囲気からは想像もつかないであろう行動へと出た。
「陽ちゃん、待ってて。いま保健室に連れて行ってあげるからね!」
そうして芽依は蹲る俺の襟首をむんずと掴むと、勢いよく駆け出した。
目標地点は、保健室、であってほしいなぁ――。
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