第1話 狐の神様 天音

1-1

 神藤陽一の記憶が正しければ、というか時間割を見れば一目瞭然なんだけど……。あれはそう、四時限目をサボりに近所のボロ神社へ行った時だったと、脳は記録している――。



「おい陽一、またお前家庭科の授業バックれるつもりか? 針穴に糸が通せないからって、サボってばかりだと芽依みたいに補習だぜ」


 昇降口で上履きから黒のスニーカーに履き替えていると、背中に馴染みのある声が降りかかってきた。紐を結び終え、小さなため息とともに振り返る。

 そこには、陽に当たるとわずかに茶色に見える程度に髪を染めた、一人の少年。高校デビューだーだのといきっていたわりに、派手にはなりきれなかったらしい。

 だが、これがこいつなりの勇気の振り絞り方だそうだ。

 黒髪を地で通してる俺が言うのもなんだけど、地味なヤツめ。


「いいじゃないか別に、誰に迷惑かけてるわけでもないだろ?」

「あのなー、毎回説明する俺の身にもなってくれよ。それに芽依だって寂しがってるぜ? 針穴に糸が通せない仲間が、毎度一人いないんだからな」


 そう、芽依も針穴に糸が通せない不器用さんだ。けれど芽依の場合は、小型のマスコットのような愛らしさからか、周りのクラスメートが世話を焼いてくれる。だがしかし、俺の場合は違う。誰も手を差し伸べてくれない! 自分でやりましょう、と教師にすら投げられてるんだ。裁縫なんて、糸が通せなけりゃ始まらないだろう?


 だからいてもいなくても一緒。そう結論付けた俺は、毎週この時間になると、サボりに校外へと散策に出かけるのだ。ああちなみに紹介が遅れたが、まるで小姑のような小言をぬかすコイツは、俺の幼馴染その二だ。と言っても、幼稚園の頃からの腐れ縁である芽依とは違い、橘鏡也は中学からの同級生。


「まあ昼には帰ってくるんだし、そう目くじらたてるなよな。それに、授業サボってるのは家庭科だけだし、補習くらっても、単位的には大したことじゃないだろ。ああそうそう、芽依には寝ないでちゃんと授業に集中しろよって、伝えておいてくれ」

「お前が直接言えよ」

「んじゃそろそろ休み時間終わるし、もう行くよ。鏡也も急いだ方がいいぞ、じゃまた昼にな!」

「あ、おい陽一!」


 背中の方で鏡也が叫んでいるのが聞こえたが、貴重な安らぎタイムが縮むのは頂けない。

 そうして風のように颯爽と校庭を、坂道を、住宅街を走り抜け――いや、実際風になっていたと思う。誰にも見つからなかったし――そうして安住の地を求めて俺が向かった先は、学校から程近い、高台にある近所の稲荷神社だった。



「……いつ来てもボロいな、この神社は」


 境内へと続く五十段ある階段を上りきり、軽く息を整える。周囲をぐるりと見渡すと、大して広くもない敷地に荒れ放題の崩れた社、そこかしこに顔を出す数多の雑草たち。狛犬みたいに向かい合う狐も苔生し、手入れもされず長年放置された、廃村のような無様ななりをしていた。


 名を千歳稲荷、仲間内ではボロ稲荷と昔から呼び親しんでいた。小さい頃はよくかくれんぼとかして遊んだものだけど、今は存在すら忘れられていそうだ。

 まあ、これがある日いきなり綺麗になられても腰を抜かすだろうけど。


「さて、今日は仮眠でもとるかな……」


 ――――ボトッ。

 そこまで呟いたところで聞こえた鈍い音。俺は自然と歩く足を止めてそちらへ振り向いた。

 そこには、樹齢五百年だかと噂される立派な御神木。その注連縄が切れて落ちていた。


「なんだ縄が切れたのか……ま、ボロいし仕方がないか」


 そのまま気にせず安息の地を求めて境内を歩く。

 がしかし気配に気づき、気づいてしまい、やめればいいものを、好奇心さんこんにちはよろしく、俺はそちらへと再び振り返った。


「なんだ? 白い、影が見える」


 視線の先、御神木に重なるように揺らめく大きな靄のようなもの。

 幽霊かとも思ったが、それは獣のような姿をしていた。


「犬……?」


 目を細め、問うた瞬間、獣のもやもやはいきなり大口を開け、喰い殺さん勢いで襲い掛かってきた!

 ピンチを凌ぐ勇者バリの反射神経なんぞ、一庶民の俺に備わっているわけがなく。

 鋭い痛みに顔をしかめた瞬間、敢え無く獣の餌食となったことを悟り、意識が遠のいていくのを感じた。

 ああ、今生とも別れか……彼女の一人でも、作りたかった、な。

 そんな未練がましい、青春を謳歌出来なかった少年の呟きを思考に残し、俺はそのまま意識を失った――――。



「う、うん……」


 どれほどの時間そうしていたのか。

 なにか悪夢にでもうなされていたかのような倦怠感。いや、それは日常的に感じるが……。

 けれど普段感じることのない身体の重さを自覚し、月曜の朝みたいな気だるさで俺は瞼を開いた。


「うん?」


 そこで視界に飛び込んできた光景に思わず目を瞠ってしまった。


「なんで目の前に、賽銭箱?」


 しかも俺はその前で、ご丁寧にも正座をして気を失っていたらしい。

 首のしびれ具合から、どうやらかなりの時間、うな垂れていたようだ。

 ……ピロリン! 神藤陽一は「寝ながら神頼み」を覚えた。

 ――キーンコーンカーンコーン。

 すると、そんな小学生のような思考をかき消すように、突然後方から聞こえたチャイムの音。


「おっ、授業が終わった、のか?」


 なんだか妙に疲れてるのは気のせいだろうか。まさかこの姿勢のまま眠りにつくとは……。

 それに、たしか気を失う前になにか見たような気がするけど、思い出せないな。

 まあなんにせよ、これでようやく午前の授業から開放されたわけだ。


 ということは次は昼休み、のはず。

 どのくらいの時間が経ってるのか、正確無比な体内時計でも備わっていれば知りようもあるのだが。そんな便利機能が俺ごときに装備されているわけでもなく……。


 だから一番確実であろう太陽の位置で、おおよその時間を推測することにした。

 案の定、昼休みだと思った通り、お天道様はほぼ真上辺りに位置している。

 てなわけでさっさと戻って飯にしよう。

 制服についた砂埃を軽くはたくと、俺は私立天川学園へと凱旋の途へついた。



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