当事者の 周りの奴ほどうろたえる④



「どうも、ありがとうございました」



 四人の姿が学務室から消えると、別の場所から声が発せられた。葵達が部屋に入ってきた時は聖徳子以外に誰もいなかったはずなのだが。

 驚く様子もなく、徳子は椅子に座ったまま振り返る。すると来客用の黒革ソファーの影から二人の男子がひょっこり顔を出した。

 その二人に優しく微笑みかける徳子。


「これでよかったのかしら?」

「助かりました。オレ達の仲間が、あの男にすっかり騙されまして」

「そうね、あなたの言う通りとことんシラを切って来たわ。全くずうずうしい生徒だこと。退学すると脅したら、さすがに逃げて行きましたけどね」


 徳子がどこか悪戯っぽく話す。こう見ると、丸みのある顔はとたんに愛嬌を持って見える。その表情が少しばかり翳りを作った。


「それにしてもあの女子生徒達は大丈夫かしら。あの男子の企みにちゃんと気づいてくれればいいのだけど」

「大丈夫です。ここからはきっとオレ達で何とかしますから。ご協力感謝します、聖さん」

「これも仕事のうちですよ」


 徳子に深くお辞儀をして、悠馬とらん丸は学務室を後にした。事がうまくいって無意識のうちにほっと息が突いて出る。

 らん丸が学務室のほうを窺いながら控えめに口を開いた。


「……本当に上手くいっちゃったね……」


 突然身を引いた悠馬達は急いで四人の先回りをし、この学務室に来ていたのだ。

 部屋に飛び込むなり悠馬が言った事はというと、即ち、


――仲間の先輩達が敵の男にたぶらかされているんです。奴は三人を信用させるためにここに来て自分のことを聞き、自分が本当の記憶喪失であるかのように見せかけようとするふてぶてしい奴なんです。先輩達を助けるためにも彼女達に情報を与えないで下さい!

害のなさそうならん丸と好青年の印象を持つ悠馬のコンビは相手の信用を得るには最適であった。おかげで徳子は葵達三人の身を案じワザとあのような冷たい態度をとってくれたのだが……


「でも、結局あれってリーダぁだけがものすごい悪者ってことになったんじゃないの……?」


 実際は正真正銘不憫な記憶喪失者なのだが。


「そ~なるな」


 悠馬はあっさりと頷く。


「……おれ、悠馬がたまにリーダぁよりよっぽど悪い奴に見えるよ」


 らん丸がぼそりと呟くと、悠馬は眉毛一つ動かさずに言ったものだ。


「人聞きの悪い。策士と呼んでくれ」



◇◇◇



「……腹減ったなぁ」


 体よく徳子に追い払われたセイギは、廊下を歩きながら何事も無かったかのように呟いた。

 今はまだ昼休みである。頭をぶつけたのが昼より前だとしたらこれまで何も食べていないのかもしれなかった。


「さっきセイギがぶっ倒れてた所の先に、食堂街があるけど?」

「ほんとか!?」


 セイギの瞳が期待に輝いた。


「よおし、肉食べに行くぞぉ~~……」


 張り切って拳を固めるがすぐにガクリと床に崩れ落ちてしまう。


「そうだ俺、240円しか持ってないんだった……缶ジュース二本しか買えねえ……!!」


 セイギから発せられるどんよりとした暗いオーラをしっしっと手で払いのけるアサギ(あさぎ)。


「葵、おごってあげたら?」

「え~? しょうがないなぁ……」

「うお~、やったあ! 早く行こうぜ!」


 現金なもので、ご飯にありつけるとわかった途端に元気を取り戻すセイギ。駆け込んだ先で出てきた焼肉定食を前に、嬉しそうに、いただきま~す! と手を合わせると、どんぶりを持って掻き込むように食べ始めた。


「んめ~!」


 そんなセイギを、反対側から頬杖を突いて、呆れた視線で眺めるあかね。


「あのさ……セイギ。自分の事が何も分からないままなのに、出てきちゃって良かったの?」


 葵がどきりとする。自分もそれが気になっていたが、なにしろあれだけあっさり辞退してきたのだ。その事をあえて訪ねてもいいものなのだろうか、葵はずっとそれを考えていたのだ。

 だからセイギがひょうきんに首を傾げ、


「だって、今はぜんぜん覚えちゃいないけど、この学園に入ってきたって事は俺が大事な目標を持ってたって事だろ? それなのに勝手に退学するわけにゃいかねえよ。俺の記憶が戻ったとき、悲しむじゃん?」


 当然のようにそう言った時には思わず拍子抜けしてしまった。複雑に考えようとしていた自分がなんだか馬鹿らしく思える。

 徳子はセイギの事を疑っていたようだが、葵にはとてもセイギが悪者のようには見えなかった。これは演技だ、なんて言われれば完全否定など出来ないが、とてもそんな事が出来るような人間には思えないのだから仕方が無い。

 逆に不思議と、セイギの事を信じてやろうという気になる。この人物は信用出来ると囁く自分の勘が正しいと思えてくる。彼はそんな不思議な雰囲気をその身に持っていた。

 ちらりとあかねを見ると視線が合った。同じくセイギの返事を聞き、苦笑しながら肩をすくめている。あかねもまた、セイギの事を疑うつもりは全く無いようだ。

 アサギに目を向けると彼女は口に手を添えくすくすと小さく笑っていた。答えは出ているも同然だ。

 そうこうしているうちにセイギは満足そうに空になったどんぶりを机に戻し、まだ手を付けていない味噌汁を引き寄せる。


「それにしても、これからど~すんの? もう“Who am I?”って書いた看板下げて校内練り歩くしかないんじゃん?」


 あかねの言葉にセイギは具の大根をもそもそと噛み砕きながら首を捻ったものだ。


「ふ~あまいってどういうイミだ?」

「……あれも記憶がないせいなのかな?」

「いや、アタシは元からな気がする。何なら賭けてもいい」

「私もセイギさんが記憶喪失だからかどうかは関係なしにお馬鹿さんな方に賭けるわ」

「なんだ、それじゃ賭けになんないじゃん。葵は記憶喪失説に賭ける?」

「もう、賭けたって今は確かめられないでしょ?」

「確かにそうですわね。ではこの賭けは保留という事にしておきましょう」


 セイギに背を向けての短い議論を展開している間に、すべての食器を空にしたセイギは財布以外の唯一の持ち物、朱塗りのマイ箸をケースに収めた。


「どうもご馳走様でした。いや~、うまかった。葵、恩にきるぜ!」


 同時に、鐘の音が耳に届く。


「予鈴だわ」

「あちゃ~、もうそんな時間か!」


 あかねを筆頭に慌てて席を立つ四人。いつの間にかセイギと出会って一時間も経っていたようだ。


「セイギ君……残念だけど、アタシ達、もう行かなくちゃ」


 店を出た後、振り返った葵は非常に申し訳なさそうにきりだした。


「いい? セイギ君。こうなった以上あとは、セイギ君の事を知っている人を校内から見つけるしかないと思うの」

「ん、それしかないな。1年の教室はさっき正面にあった棟の2階と3階だから。2年も混じってるから注意しときなよ」

「りょ~かい」

「ただ問題は、一年生の授業が体育や移動教室とか、陽炎棟にとどまっていない事が多いことだね……」

「最悪の場合体育が二時間続きの可能性もあるわ」

「そっか。クラスが隣でも、名前どころか顔も知らないってのはしょっちゅうだし……」


 ちょっと不安な沈黙が四人を取り巻いた。気を取り直して再び話し出す葵。


「職員室は学務室と同じ木蓮棟の一階ね。答えは同じかもしれないけど」

「そこまでいっしょに行こうか?」

「いや、俺はもう少しここらへんを見てまわってみる。何か思い出す事があるかもしんねえし、おいしそうな店がいっぱいあるし」

「あのな……」

「そっちが本命でしょ」


 そうしてセイギと葵達は別れた。すぐにあかねが振り返って声を飛ばす。


「放課後になっても進展が無いようなら、さっき通った校舎の入り口に来なよ! また一緒に探してあげっから―――!!」


 そう言って手を振って、三人は再び歩き出す。

 セイギがその後ろ姿を見送っていた時、ふいに肩にポン、と手を置く者があった。


「動くなよ。頭に蚊が止まってるぜ」


 背中越しにそんなにこやかな声が掛けられ、


「えっ?」



 どっごん。



 景色全てが白一色に染まった。



◇◇◇



「セイギ君、一人で本当に大丈夫かな」

「の~てんきな奴だし、何とかなると思うけど?」

「もしこのまま何もわからなかったら、どうしよう」

「脳天気な人ですからまあしょうがないかなんてあっさり割り切るんじゃないかしら?」

「んもう二人ともふざけすぎ! ……と言いたいところだけど、ほんとに言いそうなんだもんなあ、セイギ君ってば」


 心配そうにため息をつく葵。


「そう悲観視する事もないんじゃん? 学園は広いんだ。気長に探せば知り合いくらい見つかるって。放課後収穫あったかどうか聞いてみりゃいいよ」


 そこでアサギが小さく首を傾げる。


「でももし放課後までに記憶が戻っていたら、セイギさんは現れないかもしれないわね」

「なんで?」

「記憶喪失だった人は、記憶が無かった時の事を一切覚えていない場合があるんですって」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ、セイギ君も……?」

「さあどうかしら。もしかしたら何事も無かったかのように笑顔で現れるかもしれないわ」

「一体どんな奴なんだろうな。ほんとのセイギって」

「うん……」


 そうして葵達が何気なく振り返った時にはもう、セイギの姿はなかった。おそらくは自分の記憶を探すため、どこかの通りにでも入っていったのだろう。



◇◇◇



 気絶したセイジを物陰まで引っ張っていった悠馬はその姿を見下ろし小さくため息をつく。


「まったく、手間かけさせやがって」


 らん丸が今さっき自ら〈巨大ハンマー〉で殴打したばかりのセイジを揺さぶった。もちろんその〈ハンマー〉はすでにどこかに収納済みである。

 毎度見事な手際である。


「リーダぁ、リーダぁ!」


 やがてセイジが小さく呻りうっすらとその目を開くと、目の前に心配そうに自分を見降ろすらん丸の姿が映った。

 さっきまで自分は作戦Mの為木に身を潜めていたはずである。当然上を見上げれば木の葉の隙間から青空が覗いているはずなのだが、今頭上に広がるのは建物の壁に窮屈そうに挟まれている空だ。

 今に至るまでの経過が思い出せない。

 セイジは不可解そうに眉根に皺を寄せた。


「…………俺、今まで一体何を……?」

「リーダぁぁ……!! よかったぁ~っ!」


 らん丸が涙ながらに歓喜の声を挙げ、セイジに抱きついた。


「ぬお!? い、いきなり何をする! うっとうしい!」

「よかったぁぁ~っ!」


 セイジが引き剥がそうとするがらん丸は頑として離れない。悠馬も安堵したように近くの壁にもたれかかった。


「ひとまず一件落着ってとこだな」

「一体何が一件落着なのだ悠馬! 俺さまには訳がわからんぞ!!」


 セイジはどうやら今までの事を見事に忘れ去っているようである。いきなり覚えが無い場所にいるわなぜだか後頭部にズキズキ痛みが走っているわ制服はらん丸の涙のおかげでびしょ濡れだわ、理解できない事ばかりだ。


「一体何だというのだ……?」


 どう考えてみてもらん丸が自分に抱きつく理由が全く思いあたらない。セイジは少しの間腰に抱きつくらん丸の頭を見つめ首を傾げていたが、何を思ったか突然らん丸の首をがっしと固めると力の限りうめぼしをお見舞いし始めた。


「いでででで!! りっ、リーダぁ……?! な、なに!?」


 予想外の攻撃に今度は絶叫するらん丸。セイジは首を捻りながらも不機嫌そうに呟いた。


「なんだか知らんが非常に腹が立ってな……」

「なんでぇ~~~?!!」


 らん丸の方には十分心当りがあったが、自分が先程セイジの頭を殴った事は本人には気付かれていないはずである。しかし、


「俺さまの勘がこの頭痛の犯人はおぬしだと言っているのだ!」

「ええええええええっ!?」


 セイジはきっぱりはっきり断言した。野生の勘は恐ろしい。

 それでもらん丸は何とか途中でセイジの手から逃れる。


「こら待てぃ!」

「うわわわっ。嫌だ!」


 恒例の二人の追いかけっこが始まった。なんだか、らん丸の方もだんだん逃げるのが上手くなっているようだ。


「待ったリーダぁ! これはおれじゃなくて悠馬が………!」


 セイジにどつかれながららん丸が悠馬を指差そうとするが、共犯者の悠馬はというと、矛先が自分に来る前に早々とその場から避難していた。その姿はもはやどこにも見当たらない。


「問答無用ォォ!!」

「だああああっ! 悠馬の裏切り者ぉ~~~!」


 そんな絶叫も悠馬には聞こえているのかいないのか。

 その後、らん丸はめでたくセイジにどつき倒しまくられたのだった。




◆五番勝負 終

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