落し物 拾って交番届けましょう②


◇◇◇



「待て!そこの女!」


 女と言われて条件の当てはまる人物はその場に何人か居たが、朝も早くから呼び止められる覚えを持つ者はそうそう多くない。

 歩いていた者は声がどこからしたものかと辺りを見渡すが、同じく辺りを見渡そうとした葵は、目の前にいかにも怪しい三人組が現れた事によりすぐにその必要がなくなった。


「なんだぁ?」


 一緒に居たあかねが思わず声を挙げる。

 彼女の着ているものは、ぴたりと体の線に合ったYシャツにこちらも足にぴったりと添う細く作られたGパンという私服。一般科の生徒であるという印だ。長い髪が頭の高い位置で活発的に結ばれている。同様にアサギも薄手の長袖に膝丈のスカートという私服だったが、葵だけはあくひろ学園の制服に身を包んでいた。

 中心に立つ男が葵へ向けてまっすぐと人差し指を突き出した。


「我々は悪の組織『赤虎ひのえとら』! おぬしが胸に付けているそのバッジ、確かに俺さまの物! 返す気が無いというなら腕ずくでも奪わせてもらう!」


 さらにその後ろの二人もそろって口を開く。


「うお〜、ほんとだマジで付いてるぜ」

「化け物みたいな視力だなあリーダぁ」

「やかましいおぬしら! 黙っていろ!」


 カッコ良く決めた後ろでこそこそと話している二人に即座に喝を入れるヤマト。

 そんなやり取りをしている彼等を見て、あかねはのんびりと頭の後ろで手を組んだ。


「三人なのに組織ぃ? ずいぶんショボいな」


 アサギが頬に手を添えて軽く首をかしげる。


「なんだかほとんどが手作りっぽいですわ。よっぽどお金に困っているのね」


 最後に葵がポツリと呟く。


「どっちかってゆーと下っ端戦闘員みたいな衣装……」

「やかまし――いっ!! 貴様ら学園史上一のギルティに向かって何たる暴言!!」

「確かにジャンケンの腕だけは学園一のギルティだよな」


 さらに後ろからヒュウガがにこにこと、燃え盛る火に油を注ぐ。


「ぐぬぅぅ、そこまで言われては黙っておれん! 俺さまは『赤虎』リーダー・ヤマトだ! 今この場で貴様を、俺さまの敵として認定してやろう!!」

「いや、最後の一言はわたし達じゃ……」

「問答無用! 覚悟!!」


 葵の言葉を遮り地面を蹴り上げたヤマトは、右手を振り上げ葵に襲い掛かった。距離が間近に迫った時、あかねが二人の間に割って入った。自分の鞄で相手の手をはじく。


「あかねっ!」


 友達の危険な行動に思わず葵が叫ぶ。

 ヤマトが牙を剥き出して呻るように言った。


「刃向う気か、“一般”生徒っ!」


言われてあかねは、口元にニヤリと笑みを浮かべる。


「おあいにく。目の前でダチが襲われるとあっちゃあ、人としても “戦闘科”のヒーローとしてもほっとくわけにはいかないっしょ」


二人が睨み合っている所に、突如何かがヤマト目がけ空を斬ってきた。ヤマトの元へ駆け寄ってきていたヒュウガがすかさず〈濡れ手拭い〉を飛ばしそれを弾き返す。


「リーダーのくせに一人で突っ走るんじゃない。まったく危なっかしい」


 代わりに飛んできたのは、そんな言葉と水飛沫。ヤマトが反論するより前に、ヒュウガは攻撃をしかけた相手へと目を向けた。


「ただの一般生徒かと思ったら、とんだ不意打ちするな、あんた」


 弾かれた〈電磁鞭マグウィップ〉の持ち主、アサギは怖じけることなく、ヒュウガににっこりと笑いかけた。


“科学科”のヒーロー研究員としても、友達を見捨てるわけにはいきませんわ」

「あっそ。オレは『赤虎』のヒュウガだ」


 アサギをじっくり眺めて、ヒュウガはポツリと呟いた。


「……惜しいな。ヤマトが敵に認定しなきゃ、あんた達を口説いたんだがなぁ」

「敵じゃなくてもこのカッコで口説いちゃダメだよヒュウガ。あ、おれはカズサ。よろしくね」


 にこにこと自己紹介するカズサを見据え、葵は守るように、胸のバッジに手を添える。


「あなた達がギルティと判った以上、どんな理由があろうとやすやすと渡すわけにはいかなくなったわ。このバッジが何であれ、悪事に使われるに決まってるんだから!」

「ということは、こっちも本気で行っていいって事だよね。リーダぁ」


 遅れて横に立ったカズサは他の二人よりもゆったりとした袖に手を入れた。どういう仕組みになっているのか、左からは〈ヨーヨー〉、右からは〈トランプカード〉を数枚取り出す。


「そういうことになるな」


 ヒュウガも二メートル程の長さのある〈濡れ手拭い〉を両手で音高く広げながら同意した。


「当然だ!」


 ヤマトが腰に下げた〈青十手〉に初めて手を掛けながらニヤリと笑う。

 それぞれがお互いの行動に注意し己の動きを止め、しばらくの間対峙が続いた。六人の間に緊張の糸が張られる。

 その時、どこからか学園内に鐘の音が響いた。最初に反応したのはヒュウガだ。


「やっべ、予鈴だ。おいヤマト! 退散するぞ!」


 手にしていた〈濡れ手拭い〉を一振りで腰に巻きつけ帯へと変えると、すばやくヤマトの襟首をひっ捕まえる。


「何ィ!? 何を言うまだリメタイルを取り返して……!」

「馬鹿! せっかく早く学校来てんだ遅れるわけにいかねえだろ! お前新学期入ってから一度も遅刻しなかった事ないだろーが! 単位落とすぞ!」


 問答無用でヤマトを引きずっていくヒュウガ。


「な゛ぁぁぁぁぁ!! はなせぇぇぇ!! 馬鹿者ぉ〜!」

「ああっ、リーダぁ待って!」


 置いてかれたカズサが慌ててあとを追いかける。


「お前達! 後日必ず出直すぞ――っ!」


 引きずられつつ拳を振り上げわめくヤマト。その後を追いかけながらといういささか情けない格好でびしりと指を突きつけカズサが続けた。


「次こそ覚悟しとくんだなっ!!」


 一度は聞くこの捨てゼリフも、カズサが言うとどこかサマにならないのであった。

 去っていく『赤虎』一味を眺めつつ、あかねは呆れ気味につぶやいた。


「行っちゃったよ……あいつらはコントやりにきたのか?」


 その疑問に、葵とアサギは揃って答えた。


『さあ?』



◇◇◇



 不機嫌極まりないセイジの襟首を容赦無く引きずりつつ、教室の前まで来た悠馬は、ドアの前に出来ている人だかりに足を止めた。

 人だかりの先には、教室内の机が全てひっくり返っているという、思わず「なんじゃこりゃ」と呟かずにはいられない光景が広がっている。


『あ。』


 らん丸と悠馬が揃って声を挙げた。

その視線はそのままこの有様を引き起こした張本人へと向けられる。

 二人に見つめられたセイジは教室から目を逸らすと、おっほんとわざとらしく咳払いをした。その顔からは冷や汗が一筋流れていたりする。


「フッ。悪の所業とは些細な事からコツコツ始めるものなのだ!」


 苦しい言い訳である。


「へぇぇ! そうなんだぁ!」



 らん丸には通用したようだ。


「いや、だけどこりゃあ……」


 悠馬がその先の言葉に詰まった時、人ごみの向こうから女性の声が聞こえてきた。


「何の騒ぎだ? 早く席に着きなさい」


 人ごみの喧騒が大きくなる。おそらく新しく現れたこの声の主に、教室内の惨状を伝えているのだろう。


「……セイジ、らん丸、悠馬の三人、いたら出てきなさい」


 現状を確認し、女性が再び声を挙げた。少々威圧的ではあるが、その声は高く凛と響く。

 彼女に名指しされて、セイジ達の周りに集まっていた人ごみが自然と彼等に視線を向ける。

その人々の流れにより、セイジ達と女性の間にまっすぐに空間が開いた。お互いの姿が見えるようになると女性は向こうから近づいてきた。

 背は決して高くはなく、整った柳眉にきりりと引き締まった大きな目。

胸の中ほどまである明るい紅茶色の髪は一房々々がくるりと螺旋を描き、歩く度にふんわりと風に揺れている。

実際すこぶる美人ではあるが、他の女性のように媚びたところがなく自分の信念を貫く厳しい瞳が、彼女に素直な微笑みを与えず、非常に惜しいところである。

 1年“は組”の担任であるこの女教師は、三人の前まで来ると傲然と言いきった。


「今すぐこれの片づけを始めなさい」

「なにぃ?」


 不機嫌そうに顔をしかめるセイジに代わり、悠馬は目上の者に対する礼儀として態度だけはにこやかに対応した。


「ひどいですねぇ小野先生、そーゆーことをオレ達だけにやらせようだなんて。生徒いじめですか?」


 いけしゃあしゃあと言い放つ。

 対して女教師は冷ややかな視線を三人に返した。


「阿呆。こんな馬鹿な事をする生徒が他にいるかね」


 ここまで言い切られては悠馬も肩をすくめるしかない。


「おいセイジ。オレたちゃよっぽど信用されてないのか馬鹿にされてんのか……」

「……やかましい」

「両方じゃない?」

「貴様が言うな!」


 素直に答えるらん丸のこめかみをセイジが拳でぐりぐりと圧迫する。


「いだだだだだ!」


 女教師はそんな光景を眺めながら短く嘆息した。


「おふざけもいいが、早く始めないと“は組”全員に遅刻がつく事になるぞ?」


 女教師のその一言に、今まで遠巻きに見ていただけの生徒達がとたんに色めきたった。


「何やってんだお前ら、早く片付け始めろ!」

「俺達の出欠がかかってるんだぞ!」

「手伝ってあげるから! 急いで!」


 クラスメイト達に追い立てられ、三人は慌てて教室内に転がり込む。足の踏み場のない床の上を器用に渡りながら、なんとか並び順通りに机を置いていく。ひっくり返った最後の机を置き直した時、既に席についている生徒達を冷静にチェックしていた女教師が再び呟いた。


「外に落ちている分も忘れないようにな」


 言われて窓際に駆け寄ってみると、無惨にもいくつかの机と椅子が芝生の上に転がっている。


「だぁぁ~~!!」


セイジが全力で駆け出し、机と椅子を一緒に背負ってまた全速力で駆け戻る。教室の入り口に来た所でそれぞれをスタンバっていた悠馬とらん丸に投げつけた。頭上で机の受け渡しがされ至る所で不満の声が挙がるが、こちとらそれどころではない。

 最後の生徒が渡された椅子に急いで腰を下ろしたが、そこで時間切れだった。校内に本鈴の音が響く。


「そこの三人、遅刻だ。バケツを持って廊下に立っておきなさい」


 冷酷に言い放つと、女教師は出席簿を閉じた。



◇◇◇


 両手に水入りバケツを持って仲良く廊下に立っている三人は、他のクラスの生徒達に非常に注目されている。今時どこの学校でも見ないような罰だが、この一年“は組”ではいまだ健在のようだ。朝陽丘かもめ第三小学校五年生のやんちゃボウズ君以外に、ここにも絶滅危惧種三名健在だ。


「……お……おもい…………はぁぁ。おれ、皆勤賞ねらってたのになぁ〜」


 小学生の目標みたいな事を呟いているのはらん丸だ。がっくりと両腕を垂らしてバケツの重さというか恥に耐えている。


「一時間目……体育じゃん。いつ着替えんだよこれ。全く、とんだとばっちりだぜ」


 困ったセリフをどこか他人事のように言うのは悠馬である。こちらはらん丸とは違いひとつ四キロのバケツを軽々と担いでいた。周囲の視線も気にすることなく、例の女教師を目の前に堂々と不満を垂れていたりする。

 女教師はそのあたりには一切頓着せず、三人を一瞥しつつ口を開いた。


「ところで、あの素晴らしく馬鹿な有様は具体的に誰のせいなんだ?」


 悠馬とらん丸は即座に視線をセイジへとずらす。


「リーダぁ」

「セイジ」

「何を言う!! なんで俺さまだけのせいなのだ!!」

「椅子を外に放り出したのリーダぁだし」

「机ぶん投げたのもセイジだ」

「教卓をひっくり返したのも君だな? セイジ」


 女教師がにっこりと――女性らしいというよりは嘲笑を込めた視線で笑いかける。そんな女教師にセイジはあからさまな敵意の視線を向けている。犬歯を剥き出して今にも噛み付きそうだ。


「くぉらマチコ……ををぅ!!?」


 怒鳴ろうとした矢先、セイジの頭の上に三つ目の水入りバケツがどっかりと乗っけられた。


「教師を呼び捨てにしない事。何度言ったらわかるんだ?親子共々聞き分けの無い」

「ぐ、ぉぉぉぉ!!?」

「始業のチャイムが鳴るまでそうしてなさい。こぼしたらきれいに拭いておくように。水滴が一粒でも残っていたら君達三人、居残りだ」

「うぐぐぅ……待てぇい、まぁぁちぃぃこぉぉぉ!!」


 両手の重りに加えて頭でも平衡感覚を取りつつその目を怒りに燃やして唸るセイジにはもはや賞賛を与えたいところだが、この女教師はそんなに優しくはなかった。律儀に頭のバケツを保っているセイジのこめかみに拳を突きつけると、ぐぅりぐぅりと左右に捻る。


「教師を呼び捨てにするなと言っているだろう?」

「ぐぁぁぁぁ!!? 待て待て貴様こぼっ、こぼれ……っ!」


 存分にぐりぐりしてから、女教師は悠然と立ち去っていった。


「……なんで頭の上なの?」

「お約束ってヤツだろ」


 その姿が廊下の向こうに消えると、らん丸は歯を食いしばって頭の重みに耐えている方とは逆の友人に声を掛ける。セイジに関しては耐えるべきは重みよりも羞恥心ではないかと思うのだが、そこはあえて口にしない。


「マチコって、小野先生の名前だよね」

「ああ、親が知り合いらしい。入学した時からあんな感じだったな」


 セイジと同じ中学から来ている悠馬がここでも同じクラスに入れたのは、まったくの偶然、……のはずである。しかしその担任もセイジの知り合いとなると、なんとなく何者かの作為を感じてしまう悠馬である。


「・・・・・・りぃだぁの、親・・・・・・?」


 子供が子供だから親ともなれば魔王のような人なんじゃないかとらん丸は考えたが、それを読み取ってか悠馬が詳しく言い足した。


「顔はそっくりだが、性格はおおらかで明朗快活。茶目っ気と正義感たっぷりで非常に友好的なひとだ」

「・・・・・・・・・・・・・・りぃだぁそっくりが、おおらかで明朗快活で茶目っ気で正義感で友好的ぃぃ・・・・・・???」


 らん丸の頭の中でその父親を思い描こうとしても、そんな性格をしたセイジの顔というものが全く想像できない。というか、一種魔王が父親の可能性よりも恐ろしいものを感じるのは気のせいだろうか。隣では、件のセイジが怒りに奥歯をギリギリと鳴らしている。

 はっきし言って、らん丸はセイジの悪魔のような笑い方とか猛獣のような笑い方とかしか見た事がない。いずれも爽やかさとは無縁だ。


 ――明朗? 茶目っ気!? リーダぁがそんなんだったら……ぶ、ブキミだ……


 らん丸はその事を考え、そっと背筋を震わせたのだった。



◇◇◇



 セイジが見事計12キロの重みに耐え切った十五分後。

 自称“悪漢熱血体育教師”ことレスラー=ヘラクは筋肉のたっぷり乗った肩を苛立たしげに愛剣〈フラッシュカリバー〉で叩いている。肩と接触するたびに光の剣身がウォンウォンと耳障りな音を響かせる。


「……で、お前たちが遅れてきた理由は始業チャイムの鳴るギリギリまでバケツ担いでいたからだというのか……」


 彫りの深い黒目にチリチリの黒髪、黒褐色の体に引っ掛けられた白い汗拭きタオル。腹筋は見事に割れていて、顎も割れている。なんだかギリシャ神話あたりに登場してそうな先生だ。


『そうで〜す』


 悠馬とらん丸が仲良く答えた。ちなみにその隣でセイジが肩にめり込んだ首をゴッキゴッキと鳴らしていたりする。

 レスラー=へラクのこめかみに太い血管が浮かび上がった。


「今時そんなバツを与える教師がいるか! どんなウソだ! 貴様ら遅刻プラスウソつきにより腕立て百回!!」

「そんなぁ〜! さっきのでもう腕くたくたなのに〜!」

「嘘だと思うなら小野先生に聞いてみてくださいよ」


 らん丸と悠馬が即座に不満をたれる。


「黙れ!! うら若き我がマドンナ、マチコ先生がそんな事をさせるかぁ!! あのひ弱な細腕でお前等悪たれの相手をさせているだけでも不憫でならんわ!!」



 うヲをンン!!



 怒号とともにレスラー=へラクは〈フラッシュカリバー〉を振りかぶる。剣身が白から青へと色を変え、近くに生えていた木を薙ぎ倒した。



 づどぉぉ……!



「の゛ぉぉ!!?」


 頭の上に倒れこんできた木からセイジが慌てて飛び退く。


「おぬし、一体マチコにどんな惑わされ方をしているのだ!」

「生徒の分際でマチコ先生を呼び捨てにするとは許せん!! 貴様は腕立て二百回だぁ〜!!」


 結局、授業の間中をかけて腕立て二百回やりこなしたセイジの根性はたいしたものである。




◆一番勝負 終


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