第209話『決闘裁判』

 雷に打たれたような衝撃と共に、ファバの意識が覚醒する。

 上体を起こした彼の心臓は破裂しそうなほどの鼓動を続け、背にはびっしょりと汗をかいていた。

――夢か……。

 嫌な夢を見た。なんとも不吉な夢を。

 顔を手で拭いながら、彼は乱れた息を整え、周囲の様子を確認する。

 誰もいない。

 隣りで眠っていたはずの女の姿は既にそこにはなく、代わりに天幕の外より漏れ入る光に少年は気付く。

――もう朝か……。

 朝が来た。太陽が昇り始めたのだ。

 昇り始めた太陽が天高くに届いた時、あの男の戦いが始まる。レグスと壁の民の大男の決闘が始まる。

 今日がその日である。

「起きたか……、どうした随分と顔色が悪いな、大丈夫か?」

 天幕の外へと出てきたファバを見て、女が言った。

 ジバ族の女カム、彼女はどうやら少年よりも一足先に起きて、飼い馴らす鷹のライセンの世話をしているらしかった。

 腕に鷹を乗せ、餌を与える女の姿を眺めながら少年は答える。

「ああ」

 短い返答。

 あの不吉な夢の内容を彼女に話したとて、何がどうなるわけでもない。

 あれは心の内にしまえばいい事だ。

「……不安か?」

 不安。緊張。

 そういった感情があんな夢を見せたというのか。

 だとしても、彼女の言葉を肯定し、自身の脆弱さを曝け出すような真似はしたくない。

「まさか。俺がやるわけでもあるまいし」

「そうか……」

 なんとなく居心地が悪い。

 それは恐らく、彼女に嘘を見抜かれてしまっているから。

 矮小な自分をまた知られてしまったから。

「何にもねぇな」

 自身の天幕の周囲を一望しながら皮肉めいた笑みを浮かべ少年が言う。

 つい数日前には、多くの天幕がずらりと並んでいたこの空き地。それが今はがらんとしている。

「それはそうだ。昨日で私達を除く開拓団の全てが出てしまったからな」

 今日の決闘裁判を見る事なく、ローガ開拓団を除く開拓団の全てがこの地を発った。

 東黄人と壁の民との決闘という珍しき見世物を見たいと、後ろ髪を引かれる思いで出発していく者もいたが、彼ら開拓団としては魔物達が活発になる次の冬が来る前に、一日でも長く灰の地で活動したいという算段があり、予定日通りの出発を優先させたのだ。

 今、この地にあるのは、まるで少年の現況を表わすかのような寒々しい光景。

『何もない』。

 彼の言葉は己に対する皮肉でもあった。

「何人生きて戻れるかねぇ」

 まるで他人事のように呑気な口調で言うファバ。

「……厳しい地だ。きっと多くの者がその命を落とす事になるだろう」

 カムの至極当たり前の発言を少年は鼻で笑う。

 そして彼は言う。

「だけど覚悟の上だ。それがあったから壁を越えた。……人間いつかはくたばる。早かろうが遅かろうが、その日がそいつらにとっての命日ってだけの話さ。俺達だって……」

 自分達も行こうとしている、死と隣り合わせの地に……。

 違う。

 既にいるのだ。ここが、ここまでが、そしてこれからが……。

 少年は常に死の傍らにいた。

 けれども、今日ではないはずだ。

 死神が己を迎えに来るのは、今日ではない。

 少年は力強く己の思いを口にする。

「だけど、今日じゃねぇ。今日は……大男が一人死ぬ日だ」

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