第188話

 警戒心を高めるファバ。

 息を殺し、背後に回した手には、矢の込められたパピーが握られている。

 そして緊張から少年の心臓の高鳴りが最高潮に達した時、天幕の入り口が開かれた。

「……何だよ」

 訪問者の顔を見て、ファバの全身から一気に力が抜ける。

「あんたか、脅かしやがって……」

「脅かすつもりなど、なかったのだが……」

 少々困った顔を浮かべながら天幕へと足を踏み入れたのは、あの遊牧民の女カムだった。

「何の用だよ……、まさか奴らに頼まれて……」

 カムはいちおうローガ開拓団の人間だ。

 彼女の性格からしてその可能性は薄いだろうが、指示を受けて、危害を加えにきた可能性が皆無とは言えないだろう。

「そう警戒するな。彼らの頼みでお前をどうこうしようってわけじゃない。そんな回りくどい手段をあの者達がとるはずもないだろう」

「じゃあいったい何の用だよ」

「……少し話がしたいと思ってな」

「話?」

「ああ、お前の壁越えについてだ」

「おいおい、まさかまた説教ってわけか? お節介が過ぎるぜ、あんた」

「私自身そう思う。だがやはり、子供の行き過ぎた無茶を放っておくわけにはいかない」

 他人から子供呼ばわりされて、喜ぶ子供はいない。

「子供? あんたが俺をどう見ようと勝手だがな。ぐだぐだと説教なんて聞きたかねぇし、聞く気もねぇ」

 睨む少年にカムは言う。

「お前は理解していないのだ」

「ああ!?」

「まだ何も理解していないのだ。だからそんな無茶をしようとする」

「ああ、そうだよ!! 俺は何にもわかってないただのガキだ!! そんな事はわかってる!! だからこそ、俺は壁を越えるんだ!! それを、赤の他人にどうこう言われる筋合いはねぇぜ!!」

「世の中には知ってから後悔しても、遅い事もある」

「だったらどうだってんだ。後悔するかもしれないからって、狭い世界の中で、何もせずじっとしてろってのか!! そんな生き方御免なんだよ!!」

「世界は広い。そして何も壁の先だけが広い世界の全てではない。まずは学べ、この壁の内の世界で。正しく生きる術を身につけるのだ」

「はっ、馬鹿馬鹿しい。正しく生きる? 毎日教会にでも通ってお祈りしてろって言うのか? そいつはイイや、ご立派なこったって。 けどそんなもん糞だ、糞以下の糞ったれだ!! 坊主の説教なんて何の役にも立ちやしねぇよ!!」

「違う、そうではない」

「じゃあ何だってんだ」

「営みに触れ、営みを学ぶのだ。 様々な人々の中で暮らし、人々の心に触れろ。良い場所を知っている。小さな村だが心優しい人達が暮らしている。きっとお前の事も歓迎してくれるだろう。そこでしばらく過ごすのだ。汗をかいて畑を耕し、鶏の世話をし、時には近くの街の祭りに参加してみるのも良いだろう。……そうやって過ごしていく内に、今とは違う景色が見えてくるはず。そしてそれはすごく大切な事だ。こんな無謀な旅を続けるより、今のお前にとってずっと、ずっと大切な事だ」

 どこか優しげな口調で語り掛けてくるカム。

 そんな彼女に対して、ファバは心底うんざりとしていた。

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