第158話

 父ムーソンは争いを好まぬ男だった。

 賢明で優しい男。書を好み、喧嘩を嫌い、酒を苦手とする男。

 かつてのジバの栄光を築いた英雄達とは全く異なる性質の男。遊牧民らしくない男。

 そんな者が一族を率いる事に反対する声がなかったわけではない。

 だがそういう者達にムーソンは言った。『もう、そういう時代ではないのだ』と。

 そういう時代。冬が厳しくなると略奪の為の戦争を繰り返す時代。

 他者を従えるのに言葉はいらない。暴力だけが全てであった時代。欲しい物は奪う時代。

 そんな時代は終ったのだと。

 実際、ブルヴァの民にはもうフリアを荒らしまわるような力はなかった。

 それは草原の民を纏める者がいないというブルヴァ側の事情のみならず、六百年前と違いフリアの国々が繋がりを強め、外敵に対して共同で対処する体制が整い始めていたからだ。

 無闇に草原の外へと手を出せば、狂王ヌエのアンヘイ王国に対抗する大連合ほどではないにしても、ブルヴァの民に対抗する連合体が作られ、脅威を排除しようと草原に攻め入ってくる事になるだろう。

 そうなれば、今の彼らにそれを撥ね退けるだけの力はない。

 だから彼らにとって今の時代必要なのは言葉だった。

 草原の外と繋がる言葉。内で争わぬ為の言葉。言葉の力、知識の力、知恵の力が必要な時代がきたのだ。

 そうは言っても暴力の必要性が草原から完全に消えたわけではない。

 盗賊や魔物など草原を荒らそうとする者達が存在する。古き時代に縛られ暴力の甘美から醒めぬ者達がいる。

 ムーソンは喧嘩を嫌い、暴力を嫌う男ではあったが、臆病者ではなかった。

 戦いが必要となれば先頭に立ち、狩りで鍛えた弓術で多くの敵を見事に射抜いて見せた。

 そうしてただ臆病だから戦いを嫌うわけではない事を一族の者達に証明していたのだ。

 ムーソンという人物の評判はジバ族の内だけに止まらず、他族の者すらこの男に感心し、中には彼がジバを率いる大族長となるのならば、ジバの民に従うという者達すら現れ始めた。

 ジバの次期大族長はムーソンだという声が内外で高まっていく中で、面白くないのは他の有力な一族である。

 誰もが我こそは次期大族長にと考えている中で現れた共通の脅威に、彼らは互いに手を組み、企んだ。新しき時代などと甘言を吐く輩を草原から排除しようと……。

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