掌編 Juana la Loca<狂女王フアナ>

ガジュマル

第1話

 

 目が覚めると夜になっていた。

 時間の感覚がない。

 長時間馬車に揺られていたため、体の節々が痛みを発している。

 従者に声をかけ馬車を停めさせた。

 山際にかかる満月から、煌々とした月明かりがさしている。

 馬車を降り、後部に乗せてある棺へと近づく。

 従者は十字を切り聖句を唱えると棺の蓋を開けた。

 もはや肉は溶け落ち、腐臭さえ消え去った人骨が横たわっている。

 美しかった金髪は髑髏の周囲に散らばり、眼窩にあった優しげな碧い瞳はすでにない。

『これが端麗公と呼ばれたフィリップなのか……』

 夫であるフィリップの亡骸を馬車に乗せ、私は数年間カスティーリャ国内をさ迷った。

 旅の始まりはこうだ。

 フィリップの遺体を目にして狂乱する私に謁見を願う老占い師がいた。

 王女である私に目通り叶う身分の者では無かったが、この手紙を渡せば必ず会えるはずだと門番にかけあった。

 王宮の侍従から渡された手紙には一つの単語がラテン語で書かれていた。

 まさしく私が求めているものだった。

 すなわち『Resurrectio(復活)』だ。

『敬虔なるキリスト教徒であらせられる女王よ。ヨハネの福音書におけるラザロの復活をご存知であろう。主なるイエス・キリストの御業には及ばないものの、美公フィリップ様を見事復活させてご覧にいれよう』

 甘くささやく占い師の声がよみがえる。

 旅の始まりだった。

 占い師は聖地を巡礼し、遺体に秘蹟を施すのだと言った。

 殉教者聖ヤコブを祀る聖地サンティアゴを始めとして国内を転々とした。

 棺の中にあるフィリップが異臭を放ち、棺を移しかえる事数回、骨が露になろうとも占い師は嬉々として復活の日は近いと興奮していた。

 だが、最後の秘蹟を施すためグラナダにある王室礼拝堂へ向かう途中。

 今朝方になってあの汚らしい占い師は旅の資金をもって姿を消した。


 復活はないのだ。

 月光に蒼く輝く愛しき者の髑髏を抱き、私は悟った。

 私には女王としての破滅が待っているだろう。

 女王としての責務を放棄した者に、カスティーリャの貴族諸侯は従うまい。

 後の歴史は私を嗤うのだろうか。

 愚かな女だと。

 構わぬと思った。

 私は一人の男を愛した女王。

 Juana la Locaだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

掌編 Juana la Loca<狂女王フアナ> ガジュマル @reni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ