第2話 赤ずきんちゃん真っ赤なお婆ちゃん養生事件

 狂いに狂った私の妹は、しかしあれで案外行儀が良い。食事のさいなどは一切の音を立てずに食器を扱える程で、その姿は整った顔と合わせて非常に絵になる。我が家の人間は皆容姿だけはいいのだ。無論、私を除いての話だが。

 そんな彼女だから、ただトマトを食べるだけでも気品が溢れる………はずなのだが、トマトを眺めるその顔は、彼女のぐちゃぐちゃな頭の中と同様に酷く歪んでいた。

 親の敵でも見る様な、そんな視線に私はそういえば彼女はトマトが大嫌いだった事を思い出す。これが不思議なもので、あそこまで頭おかしい奴でも嫌いな物があると思うと、私は安心してしまうのだった。

「今日の髪型も愛らしいな。その服も素敵だ。だから、そんな似合わない顔をせず、もう少し頑張って食べてみなよ」

 馬鹿な妹の事なので、ちょっと褒めてやればすぐにでも調子に乗って、トマトくらいひょいと口に含んでくれると思っていたのだけれど、今日の彼女は馬鹿な子供ではなかった。そもそも、彼女は馬鹿でも阿呆でもなく乱れに乱れた狂人なのだ。これは私の下策だった。

「お兄様お褒めに預かり光栄の至り。差し詰め、私は甘い歌姫クリスティーヌ、お兄様はちょっと危険な味のファントム、と言った所でしょうか。嗚呼、攫われたい!しかし、トマトとなってはお話が別。別腹に御座います。私、地を這う虫螻だろうと空を流れる星だろうと、一切合切美味しく食べてみせる自信が御座います。だがトマト、手前様は駄目。駄目駄目で御座います!古くは神の子も嫌いな食べ物をこの世から消したとか、私にもそんな力があれば、この世界にこんな赤いあん畜生を残す愚行を犯しませんのに。あの赤ずきんちゃんのお婆様だって、トマトを最近お嫌いになったとか。ええ、お婆様の家政婦からその話は聞いたのです。家政婦は見た!何を?家政婦は聞いた!何を?家政婦は味わった?トマトを?ああ、家政婦ったらお転婆さん。転がるお婆さん」

 くるくると私の周囲を回りながら―――体全体も回っているし、私の周りを回ってもいる―――妹は意味不明にして奇々怪々な言葉を吐き出し続ける。壊れたラジオの更に上、狂ったロボットの様な有様だ。どうやら、トマトはどうあっても食べたくない様だが、しかし赤ずきんちゃんという言葉が気になる。話があちらこちらへ飛ぶのはいつもの事だが、大抵、どこか確信をもって妹が幻想を発言したとき、それは問題が起きている証拠なのだ。

「お兄様、それと読者の皆様。それでは今回は赤ずきんちゃんのお話で御座います」

 よく分からない言葉を吐きながら、妹は椅子に座る私の足元、つまりは床だが、床にぺたんと座って、服の中をゴソゴソと漁り始めた。ボリューム感に溢れた彼女の服から、もふもふの人型が飛び出してきた。彼女はそれを片手で持って、頭を下げさせた。

『へい、俺様、赤ずきん!狼なんかに負けないぜ。一発二発でノックダウンさ!』

 人型の手を、足を、操りながら妹は声色を変えて話し出す。それはどうやら赤ずきんちゃんらしかった。なる程、確かに赤い服に真っ赤な頭巾、中々愛らしい。髪も赤毛なのは、妹らしいアレンジと言えた。意味不明という意味で

「さあさあ、近き者は目に見よ!遠き者は音に聞け!読者のお客様は適切な距離で近づきすぎず、遠すぎず、貴方にあった愛らしい距離感で、さあさあ読まれよ!これより始まりますは、涙なしでは語れない、悲劇悲劇の物語。いよいよ開演に御座います」

 ジリジリジリジリジリジリジリと、妹は口で開幕のベルを鳴らすと、服の中から次次と新た人形を引っ張り出してくる。家政婦らしき人形、お婆さんらしき人形、狼、お爺さん、どれも特筆するほどの奇怪さはない。あの赤ずきんが奇妙過ぎたというのもあるが。

「始まりはお婆様とお爺様、二人は仲良く健やかに、一軒の小さな家で暮らしておりました。しかししかししかーし!ある日、お爺様は狼さんにがぶり!食べられてしまいます。間が悪い事にこれを見ていたお婆さん、血を噴き出しながら食べられるお爺様を見てしまいます。お婆様は見た!嗚呼、お労しやお爺様、あえなく死亡。『わしの出番これだけぇ!?』お婆様もその光景がトラウマになったのか、部屋に篭って一人、鬱々と過ごす事に。あ、狼はその後私がぶっ殺して置きましたわ。ワンパンチで『ワン!?』」

 ―――そこは猟師に殺させておけよ。

 という突っ込みを心中で入れつつ、私は妹の話を無言で聞く。口を挟むのは最後だけでいいのだ。これが劇団だというのなら、私語はきっと厳禁だ。

「さて、そんなお婆様を心配そうに眺める家政婦が一人。彼女は少しでもお婆様に元気になってもらおうと、赤ずきんちゃんを呼びます。『へへぇ、お願いします、赤ずきん様』『仕方ねぇなぁ』赤ずきんちゃんは勇気りんりん、元気ハツラツにお婆様の元へ林檎をいっぱいにいれたバスケットを揺らして、その愛らしい顔を見せに行く訳ですが。さあ、ここでお立会い。問題はここ。そんな愛らしい赤ずきんちゃんをお婆様は完全スルー。見向きもしない、話もしない、触りもしない、何もしない。あまりにも、嗚呼、余りにも連れない態度。一体、どうして?」

『どうしてだ?』『どうしてかのう?』『どうしてかしら?』『アオンワンワン?』

 劇場の幕は降りる。

 ふむ、妹らしい抽象的な、しかし合理的な答えがありそうな、そんな微妙な問いかけだ。

 ここからいつもなら条件の絞り込みを行うのだけれど、しかし今回は絞り込むのは難しそうだ。何故かといえばそれは………。

『質問は、俺様が答えてやるぜ』

 そう、この口の悪いのが、声がガラガラの変な奴が、質問に答える回答者らしいからだ。いつもの妹ではないと、勝手が違いそうで、嗚呼、面倒くさい。

「じゃあ、妹よ。声の幅がないからって低音ボイス過ぎないか?ガラガラ声じゃないか」

『ちーがーいーまーすぅー質問は俺様赤ずきんが答えるんですぅー。しかも最初の質問が人の気にしてる所を、おいおい、おいおいおーい、デリカシー無さすぎるぜぇ、お兄様よぉ。乙女なんだこっちは、声について聞くな。大好きなお婆様に声の事を言ったら殺す。こっちは無言を貫いてんだよ。貫くといったら、お兄様よぉ、そっちの趣味はおアリ?』

「………そっちの趣味?」

「ええ、これもまた同人誌ですので、お尻を貫く様な薄い展開は期待していいかと」

 妹が赤ずきんに囁くが、一ミリも理解できなかった。一ミリでも理解できたら、考えてやってもいいのだが、ゼロミリの場合、私は思考しない様にしている。踏み込んでも仕方がない領域だからだ。

「次だ。赤ずきん以外に、無視された人間はいるか」

『おっほん、えっへん、いませんわ。日々そばいる私が証言です』

 家政婦は言う。何かキャラが家政婦というより家庭教師と言った感じだ。

「赤ずきんを無視する以外に、他にお婆様に何か変な点は?」

『お肉とか食べられなくなりましたね。まあ、あの光景を見ればそれが普通でしょうが。他にも、お野菜とかも、好き嫌いを良くする様になりましたわ。ええ、これは妹様にも話しましたね。偏食になってきました。赤ずきん様の持ってきたアレも、食べませんでしたし、これは普通に赤ずきん様無視の一貫とは思いますが』

「ふん、好き嫌いねぇ。親の敵みたいに見ているのかな。うちの妹みたいにさ」

『いいやぁ、そこの可愛くて美人で、気品に溢れているお姉さんみたいに、ぷっくりとした可愛い起こりかたはもう婆さんには似合わないさ。普通に手をつけず皿を残すのみ。可愛くない可愛くない私可愛い!』

「おい、キャラに入ってくるな。何やってんだお前は」

「えへ、興が乗りすぎてしまいましたね。でもでも、やっぱり私が前面にでないと、見てくれる人も納得しないっていうかぁ。ヒロインですし」

「お前はヒロインというよりは、ヒドインだよ」

 まあ、いい。さて、条件はいくつになったかな。

1・『お爺様は狼に食われて死んだ』

2・『お婆様はそれを見てショックで引きこもる』

3・『赤ずきん以外に無視された人物はいない。少なくとも登場人物には』

4・『お肉が食べられない。偏食の始まり』

「そして5、私は愛らしい」

 5は無視する。問題の収束点は、赤ずきん以外は無視されていないという所に集約されるだろう。結局のところ、それは何故か、それだけ言えばそれ以外の事象は無視してもいい。もちろん、具体的に答えなければだが。

「さあ、お兄様、赤ずきんちゃんを助けて上げて。こうしたら、いいんだよって、言って上げてくださいましまし」






「………とりあえず、服を脱げ」

「あらヤダ!お兄様ったら大胆!素敵!でも、この本が発禁処分になってしまう恐れが。いいえ、恐れてはいけないわ。人生常に挑戦。さあ、お兄様見ているといいですわ。ダビデもかくやの私の肉体を!そしてこの本の末路を!」

 服に手をかけた妹に私は無言で蹴りを入れた。ころんころんと妹は転がり、なんとか脱衣は防がれた。妹の裸なんてものは、兄にとってはただの嫌がらせみたいなものである。

「脱ぐな。そっちじゃない、赤ずきんの方だ」

『え、ろ、ろりこん?俺様確かに原書の方だと狼に剥かれちゃうけどよぉ、おいおいお兄様が狼さんだったのか?男は狼だぜおい』

「違う。断じて違う」

 はぁと息を付いて、溜息を付いて私は話を続ける。こうやっておちょくってくるという事は、それは妹がこちらに説明を求めているという事だ。常時ふざけた彼女だが、そのおふざけにも種類がある。私以外には、分からないとは思うけれど。

「………無視には共通点がある。トマト、赤ずきん、林檎。これだけ並べても一目瞭然だ。赤と紅。紅と赤だ」

「ほう、では赤がお嫌いなので?」

「違う、嫌いなんじゃない」


「単純に、赤い物質が見えていない」


「お爺様の血だらけの死体を見てからだろう。それが強烈なトラウマになっていた、というのはお前が言ったんだったな。トラウマ、つまり心的外傷だ。それは軽いものではなく、本当に、精神が崩壊し兼ね合いレベルだった。だから、赤は、忘れたんだ。お爺様の死体と一緒にな。だから、トマトをお前のように睨まない。ただ、見えないだけ。お皿に残るだけだ。だから、赤ずきん、お前も服を着替えればいいだけだ。真っ赤な衣装を、真っ青な衣装にするだけでいい」

 私の言葉を聞いて、妹は、いや赤ずきんは目を丸くした。相変わらず何処か小憎たらしい。癪に触る限りだが、仕方あるまい。これで一件落着だ。そう思っていると妹は

「赤だけにアカんと思ったのですね………お婆様の精神は!」

 勿論私は無視を選択した。

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