第4話

 一次会が解散した後、僕は一人で駅を目指した。ショッピングセンターのガラスの前に立つと、両手に論文集を持つその姿が、初売りセールから出てきたお父さんのようだった。小さくため息をつき、僕は家へ向かう電車に乗った。三駅乗り継いで、駅前にとめてあった自転車に乗り、ゆっくりとペダルを漕いだ。ペダルを漕ぐ力がわいてこず、フラフラと蛇行しながら進んだ。家の駐輪場に着き、僕は家のドアをあけて、電気をつけずにその論文集をぶん投げてベッドに倒れ込んだ。

 自分の呼吸をする音だけが聞こえた。その音は、なんだか自分が発している音とは思えなかった。目をつぶると、上下左右とランダムに揺れているようだった。なんだかんだお酒を飲みすぎていたようだ。高橋だって、まあ、酔っ払っていたんだとは思う。

 次に、唯川さんに会うのはいつだろうと考えてみると、あと卒業式を残すだけであった。そこで一発逆転? できるわけがない。これで終わったんだな、と思った。チャンスすら僕はもらえなかったようだ。お菓子なら、自分で食べることができる。ここまで見越していたのならば、高橋はそうとう頭のいいやつだ。

 はっきりとした時間はわからないけれど、そろそろ、唯川さんのライブが始まる頃だろう。いま、このまま眠ってしまえば、全ては終わるのだ。そう、全てが。

 なんで、唯川さんに恋をしちゃったんだろうなあ。

 そう考えると、目頭が熱くなってきた。三年生で同じゼミになるまでは、気にしたこともない存在だった。一人孤立している唯川さんの、救出大作戦とか言って、高橋と一緒にライブ会場に行くと決めた時も、正直乗り気がしなかったくらいだ。だってそうだろう。SNSで突如告知された、唯川さんのライブ情報。すぐに消されたあの情報は、きっと公開範囲を間違えてしまっただけなのだろうから。

 思い出していると、酔いは消え去り、目は暗闇に慣れてきた。相変わらず、僕の呼吸する音だけが灰色の世界にこだましている。

 意地を、はっているだけなのかな。

 そう思うたび、唯川さんの、アコースティックギターをかき鳴らす姿が浮かび上がった。僕が、彼女を平常心で見られなくなった分岐点だ。

「くそっっ!!」

 僕は言葉を吐き出すが、身体は起き上がらなかった。

「いきたくねーなあああ!」

 そりゃそうだと、自分に突っ込む。結果がわかっている未来ほど、興ざめなものはない。瞼を閉じると、涙がこぼれ落ち少しだけ軽くなった。鼻をすする音が響く。

 高橋の、別れ際の「頑張れよ」という声が蘇ってきた。そして、「なんだよ、告白せずに諦めたのかよ」という、まだ言われていない言葉も浮かび上がる。その声を聞くと、身体の血がマグマのように煮えたぎった。

「好き勝手言いやがって! 俺はもう、二回も告白してんだ!」

 僕はベッドを叩いた。これ以上、考えることはできなかった。歯を食いしばった。考えていたって、何が正しいかなんてわかりっこない。僕はしばらくそのままでいた。――その数分間が、ずいぶんと長く感じた。いや、自分だってわかっているんだ。このままでは終われない。

 僕は叫びながら起き上がり、論文集の入ったエコバッグに小包をいれて、部屋を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る