第3話

 年が明けると月日の進むスピードはさらに加速して、お疲れ様会はすぐにやってきた。僕は駅前で大きく手を振りながら高橋を呼ぶと、彼は顔を赤くしながら走ってきた。

「そういうの、恥ずかしいからやめてくれ」

 彼の肩に手を回し、僕は笑みを浮かべた。

「いやー、助かるよ。高橋がいれば百人力だ」

「うまくいかなくても、俺のせいじゃないからな」

 僕はその先制攻撃に、よろめきそうになったが笑顔で返す。腕時計をみると、お疲れ様会のスタートまであと二時間を切っていた。さっそく僕たちはデパートを目指した。

「予算は気にしなくていいから、なんかこう、印象に残るようなものをさ」

「プレゼントの候補は、あるわけ?」

「その前に、高橋の意見を聞かせてくれよ」

「意見? 俺は唯川さんなんて全然知らねえよ。まともに会話できるの、お前くらいじゃん」

「僕はいまどきの女の子が欲するもの、全然わからないんだって」

「唯川さんて、いまどきかあ?」

 高橋は真面目に聞こうとしない。

「そう言わずにさ、いままで自分で考えてもうまくいかなかったから、知恵を拝借させていただきたいと、そう友達が言ってるんだよ」

「去年は何をあげたんだっけ?」

 忘れてくれていて、よかったと僕は思った。ちょうど信号が赤になり、僕たちは止まった。高橋は僕の肩をつついてくる。その顔は、半笑いになっていた。なんだよ、覚えているじゃないか。僕は赤信号をみながら、彼女の誕生日に差し出した、真っ赤な薔薇の花束を思い出す。

「結婚記念日か、プロポーズか、もしくは追っかけをしているアイドルへのプレゼントって感じだったよな。まあ、追っかけみたいなものか」

「でも、一応もらってくれたんだからな」

「なんて言ってた?」

「捨てたらもったいないって」

 信号が青になり、僕たちは歩きだした。高橋は僕の肩を笑いながらしつこく叩いてくる。

「お前の大学生活って、この話が一番思い出深かったんじゃない? サークルもやらないでさあ。正直なところ、引き際間違えたって感じだよなあ」

 僕は顔が高揚した。自分でそう思うのは大丈夫なのに、人に言われるのは嫌なものだった。

「うるせえなあ。こういう感情って、コントロールするものではなくて、自然体でいるべきものだろう?」

「まあ、そうだけどさ。彼でもないのに毎年誕生日プレゼントをあげるっていうのは、ちょっと気持ち悪いと思うぞ」

「でもまあ、これで最後なんだろうな」

「なんだよ、卒業したら諦めちゃうのかよ!」

 声が小さくなった僕と異なり、高橋は、大きな声を上げた。

 引き際云々と言ったのは、高橋の方じゃないか。僕はその言葉を飲み込み、足を進めた。

 デパートにたどり着くと、僕たちは案内板の前に立った。高橋がスマホをチェックすると、急に静かになった。しばらくその画面を見続けて、一度だけ僕を見て、またスマホの画面を見つめた。

 どうしたのだろう。僕が声をかけても、「ちょっと待って」というだけだ。そして小さく息を吐いたあと、再び僕に視線を向けてくる。

「なんだか感慨深いな。一緒に唯川さんのライブを聴きに行った縁で、こうやってお前の恋を応援してきたけど、なあ」

 高橋は少しまゆを下げた。

「なあ、ってなんだよ」

「なんだか、気合が入ってきた。この状況からの大逆転勝利を、俺は見届けたい気分になってきたぜ!」

 そう言って高橋は腕を回した。まるで、戦闘態勢に入る格闘家のように。僕は慌ててその高橋のあとについていく。高橋は同じゼミの中でもリーダー的存在で、唯川さんのライブを一緒に聴きに行った仲で(つまりは初めて告白したときの立会人で)、そして経験人数が僕の知る限りもっとも豊富である人物だった。

 僕はセレクトショップで彼女に似合いそうな淡色のマフラーを首に巻き、ジュエリー屋さんで煌くネックレスにおじけづき、ランジェリーコーナーを赤面しながら早足で通り過ぎたあと、結局は決められずに立ち往生していた。すると高橋の姿が見えなくなり、しばらくして小包を持って戻ってきた。手渡された小包は、スイスのスイーツ有名店のものだった。唯川さんはお菓子が好きだという情報と、高橋の主張で残らないもののほうがいいという案を混ぜ合わせた結果だった。

 チョコレート菓子は違うんじゃないかと文句を言う僕に対して、なんでもいいんだよと高橋は言い放った。じゃあ、いままでの時間は何だったのだと僕は憤慨したが、高橋はひそひそ声で、

「去年のような失敗をしないためだ」とつぶやいた。

 顔を赤くした僕に、高橋はまるで僕を見守る聖母のような笑みを浮かべた。

「あとは、このプレゼントをどうやって渡すかだな」と高橋は言った。

「え? 今日の飲み会のあとでいいんじゃないの? 誕生日当日に渡すなんて、もう諦めているよ」

 高橋はうーんと唸ったあと、首を振った。

「いい方法を考えておくからさ」

 そしてこう続けた。

「忘れるなよ。諦めない限り可能性はゼロじゃない」

 その言葉は、お守りとして心の中に飾られた。


 会場の居酒屋チェーン店に到着して、僕はまず唯川さんの姿を探す。幹事である僕と高橋は仕事を分担した。高橋は店員さんに飲み放題つきのコース料理と人数の確認をしに行き、僕は次々にやって来るメンバーからお金を回収した。そして一杯目の飲みものを聞いてまわった。しばらくして、大きなキャリーバックを持った指導教授がやってきた。僕が教授を上座に通すと、高橋が教授のそばに寄り、何やら耳打ちをした。乾杯挨拶のお願いだろうか。

 定刻になり、僕と高橋以外は席に座り、そこに店員さんがやってきた。

「もう、はじめてもよろしいですか?」

「あ、はい。OKです」

 その高橋の言葉を、僕は慌てて遮る。

「待てよ、まだ、一人来ていないじゃないか」

「あとで、説明するからさ」

 そういうと高橋は、自分の席へと向かった。僕は仕方がなく、事前に確認した飲みものの注文を店員さんに伝えた。自分の席に座ると、あれ? 唯川さんは? と質問攻めにあった。僕は首を振った。飲みものが運ばれてきて、そしてみんなに行き渡ったのを確認すると、教授がビールを高くかかげた。

「今日はよく集まってくれたね。ちょっとね、唯川さんが急用でこられなくなっちゃったみたいだけど、他はみんないるかな。とにかく、今日はたくさん飲んでください。あとは、卒業単位がまだ足りていない人は、ちゃんとテスト頑張ってくださいよ。過去にね、卒業論文をちゃんと出したにもかかわらず、単位が足りなくて卒業できなくなっちゃった先輩がいたんだよ。そしたら僕のところに泣きついてきてねえ。一緒に頭下げにいってさあ、なんとか単位もらってきたんだよ。こんなにね、やさしい先生は他にいないと思いますよ。でも、あれはもうやりたくないから、みんなちゃんと、テスト頑張ってくださいよ」

 笑いどころと思われる箇所で、きちんと笑い声が起きる。そして、「乾杯!」という声が華やかに響き渡った。

 僕は唇を一度かみ、うずまく感情を沈めてからゼミのメンバーと乾杯をしていった。自分の席は高橋と距離があり、視線を送っても反応は返ってこなかった。僕は近くにいるメンバーと、春休みの過ごし方や四月からの新生活の話題で盛り上がった。スーツはもう買ったのかとか、ひとり暮しをするのかしないのかとか。あとは、唯川さんのことだ。もう諦めるのか、唯川さんの実家に挨拶にいったのか、唯川さんの家系は皇室だから、平民である我々と口を聞いてくれないのだろう、とか。

 僕をいじる以外の理由で、唯川さんの話題をだれもしないことに、僕はひとり頭の中で悶々と反芻していた。

 そうしていると、事務室で見たチェック表とその空欄が、僕の頭のなかで蘇った。僕の言葉に反応もせず、階段を下りていった唯川さんの後ろ姿も。

 チェック表の空欄、あれは見間違いではなかったということか?

 確かに、あのときの唯川さんはいくらなんでも不自然だった。少なくとも、僕と唯川さんの間では、コミュニケーションは一応成立しているのだ。唯川さんがこの場にいない理由と、あのときの出来事が、重なり合っては消えていく。酔いもあいまって、僕は目を閉じたり両手で口を抑え大きく息を吐いたりした。

 高橋が席を立ち、トイレから戻ってきたタイミングで僕は立ち上がろうとした。それに気がついたのか、高橋は僕の横のスペースにすっと滑り込むように座ってきた。僕は慌てて聞いた。

「高橋は、唯川さんが卒論出さなかった、その理由を知っているのか?」

「はあ?」

「誤魔化すなって!」

 僕は酒の勢いで今にも高橋に飛びつきそうだったが、そこで教授が大きく手を二回叩いた。そして、大きなキャリーバッグから、分厚い冊子を出した。みんなが歓声をあげた。

「今年もね、ちゃんと作りましたよ。みなさんの卒論を一冊の本にまとめました。ちゃんと、冊子を入れる袋も持ってきたから安心してくださいね。オープンキャンパスで余ったエコバッグをね、事務員さんからもらってきたから。こんなね、わざわざ卒論生の論文を冊子のカタチに残してあげる人なんてね、僕くらいしかいないですからね」

 よ! さすがです! と期待通りの言葉が居酒屋に響き渡る。ゼミメンバーは一人ずつ名前を呼ばれて、教授から一言頂きその論文集を受け取っていく。受け取る際は、自然と拍手が起きた。高橋が呼ばれて、そして論文集とエコバッグを両手に戻ってきた。

「見せてくれ」

「あとで自分の見ろよ」

「いいから」

 高橋から論文集を奪い取ったものの、僕は目次を開く勇気がなかなか生まれなかった。そうこうしている間に、僕の名前が呼ばれた。高橋が僕の手から論文集を奪い取る。教授の前までいくと、僕の顔を見ながら、何度も何度もうなずいた。

「君はね、ほんとうに文章を書くのも下手だし、テーマもあっちいったりこっちいったりするし、一番手間がかかったなあ。完成度もね、正直言っていまいち! でも、一番粘り強くやったよな! その姿勢は、うーん、立派! 立派だよ!」

 僕はその教授の言葉とみんなの笑い声を上の空で聞きながら握手をして、そして席に戻った。そして、息を勢いよく吐いてから、目次を開いた。

 大きなため息をつくと、僕は全身の力が抜けてくらげになった気分だった。

 唯川さんの卒論は、ちゃんと掲載されていた。

 簡単には、次々と脈打つ鼓動は収まらない。まだ身体は興奮しているようだった。

「驚かすなよお」と僕は言った。

「何を?」と高橋は言いながら、ほっけに箸を伸ばした。

 杞憂であったことに安堵するとともに、自然と一つの疑問がわいてきた。

「じゃあ、どうして唯川さんは欠席なんだ?」

 僕がそう言うと、高橋は嬉しそうにジャケットからスマホを取り出して、その画面を見せてきた。それは唯川さんからの連絡メールで、そこには、

『すみません。今日はいけなくなりました。お金はあとで払います。唯川』とあった。デパートに入る直前にこのメールが来たんだぜと高橋は言った。

「なんだよ。心配して損した」

 再び大きく息を吐いたあと、「風邪かなあ」とつぶやくと、高橋は首を振り「それがさ、どうも違うっぽいんだな」と言った。

「え、どうしてわかるんだよ。ていうか、今日来ないならもうプレゼント渡せないじゃん。まさかお前、自分で食うためにお菓子にしたのかよ」

「おいおい、そんなわけないだろ」

 高橋はそう言いながら、

「勝負の日は、今日みたいだぜ!」と、もう一度スマホを見せてきた。

 それは唯川さんの、アーティスト名「MAHOKO」のライブ情報だった。唯川さんの出番は、今日の二十一時――。僕は時計をみた。場所はそう遠く離れていないため、この飲み会が終わってからでも間に合う時間だった。僕の心臓は再び高鳴り始めた。

「たぶん二次会あるけどさ、お前はこっちに行けよ。みんなだって応援してんだから。あと、これもやる」

 高橋は、論文集とエコバッグを渡してきた。

「これを届けにきたっていえば、大義名分立つだろう。その時にささやかなプレゼントと、あとはお前のありったけの気持ちを届けてこいよ」

 その言葉に僕は身体が熱くなり、心は揺さぶられたが、釈然としない気持ちがあった。

「高橋は、どうして、今日がライブって知ってんの?」

「え? もちろん知らなかったけどさ、唯川さんのメール見て、今日渡せないじゃん、どうすんべと思ってたわけよ。そんで、後日ライブ会場に行く作戦が一番いいかなあと思ってさっき調べてみたら、なんと今日だったってわけ!」

「僕は、唯川さんがまだ音楽活動しているって知らなかったぞ」

「はあ、なんで?」

「だって、もう二度と来るなって言われちゃったじゃないか。だから、その、なんかチェックしちゃマズいんじゃないかと思って」

「お前は本当に、ストレートのど真ん中でしか勝負しないタイプなんだなあ」

 高橋がそう言いながら、笑った。そして言葉を続けた。

「ちょっと情報を整理してみてくれよ。ポイントはな、今日になって、行けませんって連絡がきたことなんだよ。ライブでこられないって、事前からわかっていたにもかかわらず、今日になって欠席の連絡が来たんだ。考えてみると、これ、けっこうおかしいだろ?」

 ほんとうだ。僕は二回も頷く。

「どうしてだかわかるか?」

「……、忘れていたとか?」

「んなわけあるかよ」

 僕は、目の前にあるビールを飲み、考えた。しかし、何も思いつかない。

「教えてくれ」

「実際のところ、俺もよくわからない」

「はあ?」

 高橋はビールを飲み干して、そして目を輝かせた。

「ただ一つ言えるのはさ、唯川さんは、何かしら、悩みを抱えているんじゃないかってことだね。推測してみるとだな、今日この場にきたくない理由があったんじゃないか。今日にライブの予定を入れることで、この会に来られない大義名分が立つでしょ? こうするだけで、嘘つくより心って軽くなるからねえ。そんで、本当はすっぽかす予定だったけど、それだとやっぱり良心が痛むから、最後の最後で幹事の俺に連絡はした。そんな感じじゃないかな。悩める女ほど、落としやすい状態はないぞ!」

 僕が黙って聞いていると、高橋は顔を覗き込んできた。言いたくないが、言うしかなかった。

「悩みって、僕に告白されたくないってことか」

 高橋は、笑っていた。まるで、僕のその言葉を待っていたかのように。

「だ・か・ら! そこからの大逆転勝利を俺は見たいんだって! 九回ノーアウト満塁だぜ。ここから、お前の得意のストレートで押しまくれよ」

 僕は高橋を睨みつけた。

「そんな顔するなよ。こえーよ。大丈夫、諦めない限り可能性はゼロじゃない。別にからかっているわけじゃねーって。嫌われているとすると、お前がしつけーってことだろ? 嫌いって感情は、割と好きって感情に反転しやすいもんなんだよ。無視されているよりよっぽどチャンスあるんだから。俺は、本気で応援しているんだぜ?」と言う高橋の頬はあがりっぱなしだった。

 そう言う高橋の言葉が、さっきのようにお守りになるはずもない。

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