第9話なぜ「舞台を作るガジェット」であってはならないのか
「あってはならない」というのは実のところ少し違います。「舞台を作るガジェット」であってもSciFiにもSF(それが何であれ)でも必要です。ここで言いたいのは、「舞台を作るガジェット」が作の根っこにあること、あるいは「舞台を作るガジェット」で行き止まりになっていることです。
なぜ、それではいけないのでしょうか。理由はいくつかあります。
まず、「舞台を作るガジェット」は、ただそれであるのみであり、「思想そのものであるガジェット」ではなく、そのために「それこそがまさにそれである」というガジェットではないからです。つまり、何の思想も、そこにはないということです。
そして、「舞台を作るガジェット」ですから、舞台の設定には寄与しますが、その舞台で何が起こるのかには関係がないということも言えます。
三つめとして、この二つから言えるだろうことはいくつかあります。
一つめは、「舞台を作るガジェット」によって作者が満足してしまっているのかもしれないということです。
二つめは、もしかしたら「これで読者をごまかせるだろう」という浅知恵があるのかもしれないことと、あるいは「そこが作者の限界である」ことを理解していないのかもしれないことです。
三つめとしてさらに言うなら、「これで何話も書けるだろう」というあざとさを感じることもあるということです。
SF(それが何であれ)で満足する読者は、作者の浅知恵やあざとさに乗せられて満足しているればいいんじゃないかと思います。猿として、おっと失礼、人間として娯楽を享受していればいいんじゃないかと思います。読むにせよ、書くにせよ。
SciFi読みもSciFi書きも、それでは満足しません。猿の、おっと失礼、人間の自家発電では満足しません。
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