第2話理解から逃げよ。疾く逃げよ

 この「理解から逃げよ。く逃げよ」は、先の「非人間的であれ。どこまでも非人間的であれ」の続きみたいなものです。これもまた精神論と知識についてのものです。


 「非人間的であれ」というからには、理解されることからも逃げなければなりません。

 理解から逃げる方法は大きく二つあります。

 一つは、ナンセンスですらないナンセンスの方向です。ナンセンス詩とかありますね。それをさらに超えて行く方向です。端的に言えば、文字を乱数で並べたものなら、相当するかと思います。文字通りナンセンス。意味が存在しませんし、意味を求めようとすることすら無理でしょう。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「バベルの図書館」に收められている本のほとんどはこれでしょうね。ただ、SciFiとしてのみならず、文芸としても成立しないと思います。それが文芸として認められるということもありえないとは言えませんが、まだ今のところはそうではないと思います。でも、書道で一文字だけ書くような場合は近いのかな。そうだとしても漢字はアルファベットではなく、どっちかと言うとwordだから、そこまでは行ってないのかも。

 もう一つは、知識をぶち込む方向です。知識そのものが「非人間的」なのですから、その効果は言うまでもありません。この方向を取った場合、二つの反応が返ってきます。それをちょっと見てみましょう。

 一つは、「小説は専門書や論文ではない」という反応であり、「情緒云々こそ描くものだ云々」という反応です。まさに「人間的」なものを求めているわけでね。SciFiを書くにあたって「非人間的であれ。どこまでも非人間的であれ」と既に書きました。「人間的」な事柄で自家発電で満足したいなら、どうぞご自由に。ただしSciFiからは消えてください。

 もう一つは、「小説は専門書や論文ではない」という反応なのは同じですが、その先が違って、「並べ立てるのはどうだろう」という反応です。こちらは、それなりに納得できる意見です。一々ニュートンとかのあたりから全部書くなんて面倒ですし。その代わり、書いてない事を読み手も知っている必要が出てきます。書き手からすれば、「知ってるよね。だから一々書かないよ」という立場です。別の言い方をするなら「人間的な存在は始めから相手にしていません」という立場であり、さらに別の言い方をするなら「Idiotは自家発電してろ」という立場です。

 なお、知識は科学的な知識に限りません。トンデモ系の知識も含みます。さらには、既に否定された知識も含みます。これらの知識が多層になり、SciFi作品の世界内での知識となります。「現在、正しいと見做されている知識」だけを扱うわけではないのです。既に否定された知識も、「既に否定されている知識」として扱ったり、「ちょい設定をいじって、それが成り立つ世界における知識」として扱ったりもします。作品内の世界における知識は、「どういう知識」が「どの時点」で「どのように概ね確定したか」の組み合せになります。面倒くさい組み合せになります。それを、書く際にも読む際にも理解する必要があります。

 さらには科学的な知識、トンデモ系の知識にも限りません。創作されたものについての知識も同じように、そして同列に扱います。

 さて、これがどれほど非人間的であるかわかるでしょうか。2,000年とか5,000年をかけて、先端の研究や思想を行なっていた人々の成果を理解し、組み合わせ、組み替えるわけです。人間的な人間の手に負える仕事ではありません。

 そこで不思議技術に逃げるのは簡単です。逃げるなら、はいSciFiからはさようなら。不思議技術に逃げてSFで自家発電しててください。そのSFが何の略なのかは知りませんが。SciFiを書く際には、5,000年の間の思想家、研究者と渡り合う覚悟が必要です。そして、渡り合った結果は、人間的な人間の理解からは必然的に離れてしまうでしょう。

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