Middle Phase 2 ~高脚蟹~
カルキノスは、インシナレイターに見出されて以来、彼の実働部隊で様々な任務をこなしてきた。その多くが暗殺だ。
カルキノスが所属している《
だが、麻薬という金のなる木を取り扱っている以上、暴力団やアジア系マフィアなど利害が衝突することも多い。警察関係者や正義感にあふれるジャーナリストが嗅ぎまわることもある。そのようなセルのビジネスにおける障害を排除するのがカルキノスの役目だった。
今回の事態の発端となった任務も暗殺だった。《
もちろん、暗殺そのものは成功した。カルキノスがオーヴァードとして発症した
いつも通り死角に潜み、標的の虚を突いて殺害した。本棚と壁の隙間から飛び出したナイフを、ただの人間が避けられるはずもなく、件のジャーナリストは自分の身に何が起きたか理解出来ぬまま、四センチの隙間から這い出してきたカルキノスを見上げ、絶命した。
あとは余韻に浸りながら、
「――
カルキノスは、心臓を鷲掴みにされたような心地だった。殺戮の余韻も高揚感も、何もかもが吹き飛び、冷たいナイフを背骨に押し込まれたような不快感だけがカルキノスの身体を駆け巡っていた。
理由は明白だ。インシナレイターによって焼き捨てられたはずの自分の名が、買い物袋が床に落ちる音とともに聞こえたからだ。
玄関先で若い女が、青ざめた顔でカルキノスを見つめていた。カチカチと奥歯が当たる音は彼女の漏らしたものか、それともカルキノス本人のものか。
「お前は――」
あの若い女には見覚えがあった。
高校の時、同じクラスだった
しかし、彼女は志望校に合格し、カルキノス――
それ以来、高垣誠司は彼女を避けるようになり、そして卒業と同時に縁は切れた。
切れたはずだった。
「クソがッ!」
苛立ちとともにナイフを翻す。ゴキリ、と肘関節の外れる音が鳴り、続けて筋繊維の断裂する音と、すさまじい勢いで前腕部の筋肉が再生してゆく悪夢のような光景が繰り広げられる。軟体生物が獲物に向かって触腕を伸ばすのを、カルキノスの右腕が無理やり真似ていると言っても過言ではない。
だが、触腕めいて伸びた右手よりも先に、詩織が外に飛び出す方が速かった。幅広のナイフは金属製のドアを横一文字に斬り裂くが、詩織の身体には届かない。カルキノスは右腕を引き寄せると、すぐさまドアを蹴破って外に飛び出した。
カルキノスの身体能力であれば彼女に追いつくのは容易いことだったが、運悪く――彼女にとっては幸運だろうが――詩織は警ら中のパトカーに保護されたところだった。
警官たちは不運だが、まとめて殺すしかない。カルキノスがナイフを構え直した矢先、インカムにインシナレイターの通信が入った。
「――どうした、カルキノス。状況を説明しろ」
マイクロインカムから聞こえるインシナレイターの声には、いつも通り平坦だったが若干の戸惑いが滲んでいた。カルキノスは取り繕うことなく、ありのままを報告した。
「……申し訳ありません、インシナレイター。標的は殺害しましたが、標的の縁者らしき女に俺の姿を見られ――逃げられました」
叱責を覚悟していたカルキノスだったが、返ってきたのは普段と変わらぬ平坦な指示だった。
「そうか。こちらも警察無線を傍受した。数分後には、周囲は警察官で溢れかえるだろう。お前は一旦下がれ」
「しかし、俺の性能であれば、今すぐあのパトカーごと斬り裂いて――」
「下がれと言ったぞ、カルキノス。我々の目的は情報の抹消だ。お前は誰にも知られることなく標的を殺し、俺はあらゆる痕跡を『焼却』する。だが、お前の犯行はどこかの誰かに知られてしまった。故に俺は、この状況で痕跡を『焼却』するのは不可能と判断した」
「……了解しました」
不満を飲み込み、カルキノスは闇にまぎれるように、その場を後にした。
それが数日前の出来事だった。
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