Middle Phase 1 ~高脚蟹~
昨日と同じ今日。 今日と同じ明日。
世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。
だが、世界は大きく変貌していた。
二十年前に起きた飛行機事故によって引き起こされた、未知のウィルス――レネゲイドによる
人智を超えた異能を発症する人々。あるものはバケモノとなじられて排斥され、またあるものは異能に溺れて暴走し、そしてあるものは己の欲望を満たし、快楽を得るためだけに人を害した。
カルキノスもまた、己の欲望のために異能を振るう
切っ掛けは些細な事であった。巡り合わせが悪かったのかもしれない。パート帰りの母親と仕事帰りの父親が、自分の受験のことで口論をしていた。それがうるさかったから静かにして欲しいと頼んだだけなのだ。なのに両親は罵倒の矛先を大学受験に失敗したカルキノスに向けた。
「要領が悪いお前が――」
「浪人生の息子がいて恥ずかし――」
両親が胸に溜め込んでいた日常の不満が、ほんの少し漏れ出ただけなのだろう。しかし、パキン、とカルキノスは自分の中で何かが砕け散るのを感じていた。
それが発症の――
彼は隠し持っていたナイフで父親を両断し、悲鳴を上げて命乞いをする母親を2時間かけて細切れにした。別にひと思いに殺すことは出来たが、毎日鬱陶しい小言を聞かされた礼をしてやりたかっただけだ。お前の小言が無ければ、俺は今頃志望校に受かっていたんだ。お前の小言が俺のやる気を削いだのだ、と。
もちろん、それは彼の思い込みでしかなかった。毎日の小言は母親なりに息子への叱咤激励のつもりだったろうし、事実、割高な予備校の授業料は母親がパートで稼いで支払っていたのだから、母親なりに彼のことを思いやっていたのだろう。
だが、彼にとっては
それから彼は血で汚れた服を着替えて、家を出て、予備校に向かった。受験に失敗する訳にはいかない。人気講師の授業を受けて、課題を提出する。返却された模試の答案には志望校の合格率が書かれていたが、前回よりも下がっていた。落胆した彼は予備校が終わると、隣の席に座っていた少女を繁華街の路地裏に引きずり込んで解体した。模試の成績が悪かったのは、この女のせいだったからだ。いつもいつも俺の隣りに座ってはスマートフォンを弄ってSNSを見てやがる。あばずれめ。きっと援交相手でも漁っているのだろう。そんな下らない理由で俺の集中を乱しやがって――
もちろん、それは彼の思い込みでしかなかった。この憐れな少女が彼の隣りに座ったのは今日が初めてで、単なる偶然でしかなかった。スマートフォンを見ていたのも帰宅予定時間を家族に伝えるためだった。
だが、彼にとっては
少女を解体し終えた彼は路地裏を後にして急いで予備校に戻ると、地下駐車場で車に乗り込もうとしていた講師を運転席に押し込んで、そのまま斬殺した。成績が落ちたのは、この男の教え方が悪かったからだ。
そうやって、彼は一晩のうちに何人殺害しただろうか。おそらく十人は下るまい。この凶行が露見しなかったのは、彼が本能的に都市の死角となる場所を選んで襲いかかったのと――
「なかなか面白い特技を持っているじゃないか」
夜中に吠え立てる犬を放置していた老夫婦をバラバラにして、その手足を飼い犬に食わせていたところに、その男は現れた。
「俺の名は
仕立ての良いグレーのスーツを着た、白髪交じりの髪をオールバックに整えた壮年の男。鉄板めいた固い表情筋に動きはなく、声音すらも平坦だ。
「君のことは調べさせてもらった。受験に失敗した浪人生――それ以外は何の特徴もない。たゆまぬ努力を重ねてきたが、いつも要領が良いだけのニンゲンから足蹴に、踏み台にされてきた。そのままで良いのかね?」
インシナレイターと名乗った男は、床の死骸には目もくれず、彼の顔をじっと見据えていた。
「喜びたまえ。君は幸運にもオーヴァードとなったのだ。ニンゲンを超え、ニンゲンを支配する新たな人類、その一人に」
オーヴァード――聞き慣れぬ単語ではあったが、その言葉が彼の全神経を昂ぶらせた。
彼は興奮していた。両親を殺した時よりも清々しい気分だった。家族よりも、学校の教師や予備校の講師よりも、他の誰よりも、このインシナレイターという男が自分を理解してくれている。
「俺と一緒に来い。お前に必要なのは受験でも家族でもない。お前が必要としているのは――我々、ファルスハーツだ」
差し伸べられた手を取る以外の選択肢は、もはや彼には見えていなかった。
インシナレイターによって、彼の戸籍や存在は全て『焼却』された。高度な情報操作によって、一晩で発生した十件以上の惨殺事件は、すべて事故か『無かったこと』にされた。十年以上暮らしていた家は漏電事故によって消失し、焼け跡から一家全員の遺体が見つかったことで、彼の存在は誰からも忘れ去られた。
そうして彼に残ったのは、インシナレイターから与えられた
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