Middle Phase 3 ~腹話術師~
インシナレイターがベントリロクエストとの合流地点に選んだのは、小さなガソリンスタンドの廃墟だった。ここ数年の間に原油価格高騰の煽りを受けて廃業したのだろう。風雨によって看板や外壁の塗装は剥がれ、給油器や車両洗浄機などの大型の機械には赤茶けた錆とヤブガラシが巻き付いていた。
事務所だった建物も窓ガラスが割れ落ち、雨風は容赦なく内部にも吹っかけている。窓が割れていたことが幸いしたのか、閉鎖された廃墟特有のこもった臭気は感じなかったが、逆に何度も雨水を吸った床からは独特のカビ臭さが立ち上っていた。
「――こんな色気のないところで女を待たせるなんて、今度の依頼人は相当に趣味が良いみたいね」
インシナレイターたちが入ってくるのを見るやいなや、事務所の奥にいた灰白色のインバネスコートを羽織った女は皮肉げに笑った。
「
透き通るような金髪には、デルゲットの髪のような不自然に脱色したような安っぽさはない。琥珀色の瞳はインシナレイターたちを値踏みするように、その隙を伺うように睨め回している。
アレは油断のならない女だ――カルキノスは、ここに来るまでの道中、インシナレイターから彼女についての事前情報を得ていたが、殺戮を好むカルキノスでさえ、この女の悪趣味さには苦笑せずにはいられなかった。
曰く、何の理由もなくUGNエージェントを誘拐して拷問し、被害者が絶命するまでの苦悶や悲鳴を録画した映像データがエンドレス再生されるタブレット端末を、死体の腹に縫い付けてUGN支部に送り届けた――
曰く、あるハイスクールの1クラスの生徒全員を洗脳し、生徒それぞれを異なる価値観・信条・宗教のテロリストに仕立てあげ、ホームルームで殺し合いを演じさせた――
その悪名だけで百科事典が出来るほどだ、とインシナレイターが警戒を口にしていたが、その評価は間違いではないとカルキノスは肌で感じていた。この女は底が見えない。底が知れない。油断すれば喉笛を噛み千切られるのではないか、そんな疑念さえ胸に湧いてくる。
だが、同時にカルキノスの中に熱いものが湧き上がってくる。
試したい。この油断ならない女の虚を突き、その胸にナイフを突き立てることが出来たなら、どれほどの快感を得られるだろうか。
殺したい。死の間際、この女はどんな表情で俺を見るのだろうか。どんな吐息を漏らし、どんな悲鳴を上げ、どんな怨嗟を俺に投げかけるのか。
抑えきれない殺人願望――
「……ちょっと。そっちの彼、大丈夫なの? 私のこと殺したいって顔で、ずぅーっと睨んでるんだけど」
「――ッ!?」
心臓が跳びはねる。その言葉を合図に飛びかからなかったのは、大した自制心だと自らの我慢強さにカルキノスは苦笑いめいた吐息を漏らした。
「待ちたまえ」
絶妙とも言えるタイミングで、インシナレイターがベントリロクエストとカルキノスの間に割って入った。
「部下が失礼した。笑顔で殺気を飛ばしてくるような相手には、合図一つでいつでも飛びかかるように教育しているものでね」
「あら。それは大した猟犬ね。私も欲しいくらいだわ」
私の周りには狂犬か脳筋しかいないのよね、と彼女は肩をすくめた。
「ごめんなさいね。変に名前が売れていると、私を倒して名を上げようなんて良からぬことを考える輩もいるのよ。依頼に見せかけた罠だったことが度々あるもんだから、少し警戒してたわ」
「よく言う。我らの依頼を受けた時点で既に、我々の裏を取っているくせに」
「石橋を叩いて、迂回路を探して渡るのが私の信条なのよ」
「用心深いことは美徳だ。我々の世界では、な。それに――回り道をしてまで、我らが来るのを呆けて待っていたわけでもないだろう?」
「もちろん。傭兵派遣セル《
不敵に笑ってベントリロクエストはコートの内側からタブレット端末を取り出した。画面に指を滑らせて、一枚の画像を表示させる。
「まあ、見て。これが標的が隠れている山荘の見取り図よ。持ち主は、早宮俊雄――ほぼ忘れてるかもしれないけど、そこの彼が殺したジャーナリストね――の仲間ね。いろいろ危ない橋を渡った時の隠れ家よ。職業柄セーフハウスを複数持つのは悪くないし、きちんと備えているのは偉いわね。死んだら意味ないけど。で、肝心の内部構造を確認するわね。ロフト構造の二階建て。煙突はあるけど飾りだから侵入不可。これ見る限りだと、玄関と勝手口、風呂場の窓の三ヶ所が侵入経路として妥当。私が調べた情報は、これでお終い。何かご質問は?」
「情報の精度は?」
「……この見取り図は建築業者のサーバ管理者を
インシナレイターの仏頂面へ不服そうな視線を返し、ベントリロクエストはタブレット端末で顔を扇ぎながら肩をすくめた。
「この程度の情報なら、貴方たちが調べたって良かったでしょうに。どうしてまた私のような傭兵を雇う気になったのかしら?」
「大した理由ではない。今後のこともあって《
「今後のこと、ねぇ……」
「無駄話はここまでだ。各自、見取り図は頭に叩き込んだな?」
インシナレイターは、訝しがるベントリロクエストから端末を受け取るとカルキノスとデルゲットに向き直った。カルキノスは無言でうなずき、デルゲットは汚らしく唇の端を吊り上げた。
「再度通達する――我々の任務は、この山荘に隠れている目標の確保だ。目標の名称は早宮詩織。女性。二十歳。早宮俊雄の『取材』データを隠し持っている可能性がある」
「その『データ』とやらの隠し場所を吐かせるために、この
ベントリロクエストが愉快そうに笑った。釣られるように笑ったのはデルゲットだけだった。カルキノスは不愉快げに舌打ちをし、インシナレイターは眉根を動かそうともしない。
「そのプロセスは非効率的だ。ドラッグの
「……かの高名なエージェント、
薄桜色のルージュが引かれた上唇を艶やかに舌で舐め濡らしながら、彼女は捕食者めいて嗤った。
「私は好きにさせてもらうわ。私の能力ならストレスを与える前にクスリでは味わえない快楽で神経を焼きつかせてあげられるもの」
「勝手にしろ。目標を殺すにしても、レイプして廃人にするにしても『データ』の隠し場所や情報が拡散しているか否かを確かめてからだ。確認が済み次第、俺が全ての痕跡を焼却する」
インシナレイターは端末を彼女に返すと、二人の部下に向き直った。
「三十分後、作戦開始とともにデルゲットは玄関を押し破って侵入。目標以外の住人が居た場合は、これを殺害せよ。同時刻、カルキノスは風呂場の窓から侵入し、デルゲットを援護せよ。俺は離れた地点から観測して指示を出す。インカムのチャンネルは3番に合わせろ」
「それじゃあ、私は勝手口から侵入させてもらうわ。そっちの二人があらかた制圧し終えた後でね」
ベントリロクエストはコートのポケットから、カルキノスらの物と同型の小型インカムを取り出して3番のチャンネルに合わせた。
カルキノスは複雑な表情で、インカムを装着するベントリロクエストを見ていた。
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