カニバリズム・シンドローム

赤魂緋鯉

カニバリズム・シンドローム


「――嘘つき! お前なんか居なくなれ!」


 こんな記憶なんて無いはずなのに、子どもの頃の僕が泣きながら、女の子に詰め寄って怒鳴っていた。

 その子は、僕の言葉に反論するでもなく、じいっと下を向いている。


「ジャア、タベテアゲルヨ。キミモ、ソノコモ」


 すると突然、ノイズがかったような声がしたと思ったら、女の子の後ろから化け物の口が現われて、目の前の「僕」と女の子が食べられてしまった。


「またか……」


 この夢を見るといつも、決まって午前二時ちょうどに僕は跳ね起きる。

 夢占いとかに詳しい、同じゼミの同級生山口曰く、


「自分という存在を食べられる夢。つまり自己否定の夢さ。祐樹くん」


 いや、そこまで自分が嫌いじゃ無いつもりなんだけどなあ……。


 まあ食べさせるほどでは無いにしろ、大なり小なり自分を否定をしてはいるのは間違いない。


 面倒くさい事を忘れるために、深夜の散歩に行くことにした。日中の夏真っ盛りなおかげで、外は無駄なぐらい蒸し暑い。

 人っ子一人いない街は、近所なのに全く知らない、別の世界のように見えてくる。なんとなく、僕が人々から世界を奪って、自分のものにしている感じがする。


 まあ実際の所、それをしているのは夜の暗闇だけどね。


 そんな事を考えながら歩いているといつの間にか、等間隔に街灯が配置されている道から、ほぼ真っ暗で見覚えの無い路地に立っていた。


「……おいおい、なんで近所で迷うんだよ」


 ここまでボンクラだったのか、僕は。


 ひとまず闇雲に動こうとせずに、スマートフォンを取り出してアンテナを見ると、


「ええ……」


 3Gすら入らない完全な圏外になっていた。これじゃあ地図も出せない。


 この会社アレなのは分かってるけど、いくら何でも街中でコレはないよ……。


 心の中で軽く苛つきつつ、僕は大きくため息を吐いた。とりあえずここは、堅実に向いている方と逆に進むことにした。

 しばらく進んでいると、またいつの間にか場所が変っていた。次はさっきよりも狭い左右に高い壁がそそり立つ路地に、僕は立っていた。もしやと思ってスマホの画面をみたけど、相変わらず圏外だった。


「朝までに帰れるかなあ……」


 そう独りごちてから、僕はもう一度ため息を吐きながら、目の前にあるL字道を曲がる。すると、


「……」


 その先には、妙に白い人の腕のような物を、黙々と食べている銀髪の少女が座って居た。その毛先にはいかにも毒々しい色をした液体がついていた。

 それを手にしたまま、少女はこちらを見た。一部を左右縛られて、垂れている房が揺れる。

 月も出ていないのに少女の金色の瞳が、鈍く輝いているように見える。


「何?」


 そう言ってパンでも囓るように、さも当然といった感じで「手の平」を口にする。


「それ、どうやって?」


 僕は謎の少女の傍に転がっている、胸から下が吹っ飛んでいる、目が付いていない「白い人」を指さす。


「私が仕留めたものよ?」

 罪悪感を全く感じていない様子で、少女はそう言い放つ。


「ああ、そう」


 ……これはヤバイのと出くわしたらしい。


 迷わず回れ右をして立ち去ろうとすると、そこにあった道は無くなっていた。その代わりに、目の前は広い袋小路になっていた。


 どうなってんだ、これ……。


 錯覚では無く本当に、そこにそれは存在していた。

「どうやらここを生んだのはあなたのようね」


 少女は立ち上がって、残りを口の中に入れた。


「何だって?」


 ……頭がおかしいのかな、この子は。いやおかしくないと、あんなもの食べないか。


「いま、頭がおかしいって思ったでしょう」


 図星で言葉に詰まる僕に、まあ良いわ、と言って彼女は流してくれた。


「ここはあなたが世界から、「食べたもの」が集まって出来たものなの」


 他人の悪意とか、嫌いだ、と思う感情とかもそれに入るわ。と言って、彼女は「白い人」の耳を引きちぎって食べた。


「ここまで大きくなるって、あなたどれだけ食べたの? それ探すの苦労したのよ」


 迷惑そうな顔で、少女は僕に言う。


「知らないよそんなの」


 身に覚えがないのに言われても……。


「ちょっとしゃがんでもらえない?」


 理不尽な物言いに抗議しようとした僕に、彼女はそう言って拳を構えて一歩前に出る。


「何をするつも――ッ!」


 僕が指示通りにしゃがむと、好戦的な目をした彼女が構えた拳を突き出す。すると背後でガラスが割れる様な音がして、僕はゆっくりと振り返った。


「うわ、なんだこいつら!?」


 すると、そこには少女が食べていた「人」と同じような物の大群が居た。モノトーンで大小様々なサイズの怪物たちの頭は、どことなくワラスボに似ていた。

 どんどん増える怪物の数に合わせて、袋小路が広がっていく。


「ああなる、っていう事はあんた、かなりネガティブなのね」


「どうして?」


「自己否定をしがちな人ほど、人から離れていくのよ。アレは」


 彼女は好戦的な目のまま、舌なめずりをしてそれらを眺めて言う。


「で、ああなってる奴らは、創造主だろうと襲いかかるの」


 身体を伸ばしてから、彼女はそう言って、


「まあ、そこで見てなさい。あんたを襲わせはしないわ」


 何度かその場で跳ねた後、それらの大群に彼女は突っ込んでいった。


「さあ喰ってあげるわ。朝まで狂ったように踊りましょう?」


 一番先に彼女に向かって行った奴は、彼女の拳一撃で下半身だけになった。

 それを見た(目が無いけど)奴らが少女に殺到するが、それを難なく蹴散らして紫の霧にする。

 間髪を入れず、大きめの個体が飛び上がって、彼女を潰そうとするが、最低限の動きで回避され、地面にぶつかった所を踏みつけられて爆散する。

 少女の圧倒的優位で進む、非現実的過ぎる光景に、僕は呆然とみていることしか出来なかった。



 動く奴らが居なくなるのに三十分も掛からなかった。彼女は奴らの「指」を手にして、顔に付いた液体を拭う。


「数が多いだけで、たいしたこと無いわね」


 その持っているものを口の中に入れ、スナック感覚で指を食べた。


「あなた、しょうも無い事まで否定しすぎよ」


 「味」も薄いしやっぱり労力に見合わないわ、と彼女はぼやきたい放題ぼやく。


「それはまあ良いとして、僕はいつ帰れるんだ?」


「全部仕留めたし、もうそろそろ戻れるわよ」


 彼女がそう言った矢先、そこら中に散らかっていた破片が、


「まだいたのかよ!?」


「やけにしぶといわね……?」


 液体になったかと思うと、それが一カ所に集合して球状になった。


「まあ、何だろうと仕留めればいいだけよ」


 塊は、グニャグニャと動いたかと思えば、形状がどんどん人型に近くなり、目のような物が現われた。やがてそれは、二メートル近いアメフト選手みたいな、やたらゴツイ形になった。


「そうこなくっちゃ」


 金色の目が獣のように光る彼女は小ジャンプの後、さっきと同じように、奴へと突進する。


「――ッ!」


 彼女が突き出した拳を、しゃがんで難なく避けた奴は、


「うぐッ――!!」


 彼女の懐に潜り込み、強烈なタックルでその細い身体を、いとも簡単に打ち上げた。

 それと同時に奴が飛び上がり、自由落下を始めた彼女を、アームハンマーで地面に叩きつけた。その落下地点に立っていた僕は、間一髪でそれを避けた。


「あ……っ、あ、あ……」


 地面に叩き付けられ、全身がぼろ布のようになっている少女は、ビクビクと小刻みに痙攣している。


「お、おい。大丈夫か!?」


「か……、は……っ」


 彼女は目で僕に、逃げろ、と訴えていた。


「……」


 そんな彼女の上に、奴が覆い被さるように立って、じっと見下ろす。


「うぁ……」


 それから、おもむろに少女の長い銀髪を掴み、彼女をつるし上げた。身をよじり喘いでいる様が面白いのか奴は何もせず、ただ単にそれを見ているだけだった。

 やがて彼女の呼吸が整いだしたのを見た奴は、再び天高く飛び上がって、彼女を僕の目の前に叩き付けた。


「あ、が……っ」


 意識が朦朧としているらしく、彼女は目の焦点が定まっていない。今度は彼女の皮膚が所々裂けてそこから赤い血が流れ出す。

 そんな少女を奴は、また髪を掴み、つるし上げて眺める。


 このままだと、あの子は食べられてしまう……?


 もう生きているのかすら怪しい彼女から、滴る血が地面に落ちて、灰色のそれに赤い染みを作る。


「何とかしないと……」


 僕はそう言って、何か無いか、と地面を探すと、ちょうど良いところに石が落ちていた。

 それを掴んで奴に投げつけてみたけど、どうやらノーダメージらしく痛がるそぶりを見せない。

 それどころか、それに怒ったらしい奴は、少女を放り出して僕の目の前にやってきた。それは僕のことを舐めているようで、何もせずに見下ろしてくる。


「……ッ」


 その後ろでうずくまっている少女が、戦慄の表情を浮かべて僕を見ていた。


「……」

 なんの前触れもなく奴の口が大きく開いて、僕を食べようと「腰」を曲げる。すると、その動きがかなり遅く見え始めて、今までの記憶が目の前を流れる。


 ……これが走馬燈ってやつか。


 僕はぼんやりと、そんな事を思っていると、


 昔にもこんな事があったような……?


 唐突に、そんな記憶が蘇ってきた。


 その時は確か飼っていた犬と一緒に、この空間に飲み込まれた僕は、あの白い奴の一体に追い回されていた。

 疲れ切って動けなくなり、とうとう追い詰められたそのとき、


「わ、私が……、どっちも、帰らせてあげるから」


 目の前に小さな女の子が現われ、震えた声でそう言った。彼女の顔は何故か影のように真っ黒で、その表情はもちろん、どんな顔をしているかすら分からない。

 その少女は、銀髪の少女が難なく蹴散らしていた奴を、ボロボロになってやっと倒した。


「これでもう大丈夫」


 嬉しそうな声で彼女がそう言った瞬間、奴のかなり小さいのが現われて、僕を護ろうとした飼い犬を食べてしまった。


 僕と満身創痍だった彼女は、それを見ていることしか出来なかった。彼女は何とかその小さい奴を倒したが、飼い犬は帰ってこなかった。


 ここから、あの夢の場面に繋がった。今までとは違って、僕が責め立てる少女の顔がうっすらと見え始めた。


 泣きそうな顔で俯いているその少女は、血まみれでうずくまっている、銀髪の少女とうり二つだった。


 いや、この子は――。


「ジャア、タベテアゲルヨ。キミモ、ソノコモ」


 どこからか、あのカタコトの低い声が聞こえてきた。それはどうやら、目の前の大きな奴から発せられているようだった。


「それはごめんだ。僕はまだ、あの子に謝ってないんだよ」


 そう言うと僕は、自然と笑い顔になった。


「食べられるのはお前だ!」


 僕がそう言った途端、奴よりもさらに大きな口が、その背後に現われて奴を丸呑みした。

 それと同時に、空間が崩壊を始めた。僕は銀髪の彼女の元に駆け寄り、


「護ってくれたのに、あんな事言ってごめん」


 その身体を抱いて、泣きそうな顔をする彼女にそう言った。



 直後、僕の視界は真っ白になった。


                  *


 僕が目を覚ますと、住んでいるアパートの見慣れた天井が目に入った。


「夢……、だったのか?」

 あの少女は、あの空間は、奴らは?

 いまいちはっきりしないけど、とりあえず適当に着替えて朝食の買い出しに、夏空の下、汗だくになりながら向かう。



 スーパーに着くと朝のタイムセール中だったらしく、出入り口から入って突き当たりに人だかりが出来ていた。僕はそこには行かず、売り場の片隅にあるワゴンへと向かう。

 いつもお世話になっている、おつとめ品の食パンを手に取ろうとすると、僕と同時に誰かがそれを掴んだ。


「あ、すいません――」


「いえ、こちらこそ――」


「何で君(あなた)がここに!?」


 その「誰か」は目の色こそ違うが、間違いなくあの銀髪の少女だった。 


「あ……、えっと。あの時は悪かったね、あんな事言って」


「いや、あの時は私も弱かったし……」


 謝るのはこっちの方よ、と言って彼女は頭を下げた。


「これでおあいこ、っていう事で良いかな?」


「許して……、もらえるの?」


 僕より背の低い彼女は、上目使いに僕を見上げてそう訊ねてくる。


「うん。昔の事をいつまでも言うのはよくないからね」


 なんてやっている隙に、すらりとした体型の女子高生が、おつとめ品の食パンを持って行ってしまった。


「あ」


 その後ろ姿を、僕らは呆然と眺めるしかなかった。


「……せっかく再会したんだから、どっか食べに行かないか?」


「いいわね。行きましょう」


 彼女はにこやかに笑って、あ、もちろん普通の食べ物をね、と付け足した。

                                  

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