朝起きて、お兄ちゃんとわたし。

白日朝日

朝起きて、お兄ちゃんとわたし。

 残念なことにわたしはお兄ちゃんの妹に生まれついてしまいました。


 別にそれがわたしの人生に対して強い拘束力を持つものじゃないということは知っているものの、せまくるしい洗面所に置いてある椅子にすわって、歯をみがくわたしをあきれて見るその顔や、あいさつするか先に歯を磨くかで迷っているらしいその間が、わたしにとって不可欠なものになっていたようです。


 朝食にはよくパンを食べます。

 お兄ちゃんの前にはマーガリン、わたしの前にはいちごジャム。

 

 お兄ちゃんはカロリーハーフでどこにでも売っているそれをきつね色のサクサクした物体に塗って、わたしはどうやらこの辺のスーパーには売っていない(ついこの間知りました)果肉入りのそいつを塗る。

 食べるタイミングはなぜだか一緒。


 ずぁくり。

 もぐもぐ。

「ねえ、お兄ちゃん」

「うん」

「今日は雪が降るそうです」

「そうかあ」


 ずぁくり。もぐぐ。

「って、まだ残暑の時期だから。とかツッコミをいれてください」

「お前がうそをつく日なら雪が降ってもおかしくない」

「そーですか」

「素直なことはいいことだぞ。お兄ちゃんはそういうのが好きだ」


 ずぁく。

「……わたしはお兄ちゃんが好きです」

「ほむ……食べ物はきちんと咀嚼してから話そうな」


「ふあい」


 もぐもぐ。ざくざく。もぐもぐずぁくり。


 朝食の時間が終わるとお兄ちゃんはテレビをつけるか小説を読む。

 わたしはここでまた歯をみがきに洗面所へ向かいます。朝二回はさすがに多すぎると友達に言われたけれど、女の子はいつでも臨戦態勢であるべきだと思うわたしは、なかなか家でこのくせをやめることができずにいます。


「これが、お兄ちゃんの歯ブラシ……」


 手にとるとなんだかお兄ちゃんの手のひらのあたたかさが残っているようなそんな感じがしたりして。先端部分を見つめていると、歯の跡か、ところどころがへこんだようになっていました。

 わたしのはそんな風になっていないのに、男のひとはそういう強さで歯みがきするのかな。


「お兄ちゃんの味がしそう」

 なんとなく気がとがめましたが、こっそりと匂いを嗅いでみます。歯みがき粉のやや人工的な清涼感をまとった中に口内の……いや、これ以上は危ない。そもそもの目的はこれではなかった気がします。


「はて、わたしはなにを」

 ひとまずお兄ちゃんのいるリビングに戻ってみました。


 ソファーに寝転び目が悪くなりそうな体勢で文庫本を読んでいるお兄ちゃん。めんどくさいのかその表紙は既に取り去られてまっさらな装丁。


「お兄ちゃん、それおもしろい?」

「わかんない」

「誰が書いたの?」

「グレッグ・イーガン」変な名前。


 ぱらり。


「タイトルは?」

「『ディアスポラ』」変な名前。


 ぱらり。


「何回読んだの?」

「十五回」

「おもしろくないのに?」

「おもしろさが分からないうちは何度だって読めるよ」


「お兄ちゃんはよく分からないことを言います」


 ぱらり。

「だから人生はおもしろいのですよ」

「そういうキメ顔の言葉は好きくないです」


 ぱらり。

「ねえ、お兄ちゃん」

「はい、妹さん」

「わたしはおもしろいですか」


「……さてね、何度見ていてもよくわからないな」

 お兄ちゃんのロジックでいけば、お兄ちゃんはわたしにとっておもしろい。

 わからないところがあるほどおもしろいとお兄ちゃんは言うのだだけれど、全部を知りたいなって思うことは、うん、けっこう、あるのかも。

 結末まで読んで面白かった小説も、お兄ちゃんは何度だって読むのでしょうし。


 一日のはじまりには、だいたいなにも起こらない。

 ただお兄ちゃんがそこにいて、わたしがどうやら近くにいる。地球が月といっしょに回るのと似た感じでわたしたちは回っているようです。

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朝起きて、お兄ちゃんとわたし。 白日朝日 @halciondaze

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