<第二話> その4
掃除機の音に目が覚める。時計を見ると十六時を過ぎていた。
――寝過ぎた。
そう思いつつ、部屋を出ると鼻歌交じりで掃除機をかけている奈島さんに遭遇した。
「ども」
「……あ、えーと、おはようございます?」
眠そうな俺の挨拶に、戸惑いながら返事する奈島さん。おそらくは、しつけが厳しすぎる環境にいたっぽい奈島さんとしては昼間でぐーたら寝てるダメ人間は想定外なのかもしれない。
――いや、そんなことより。
俺は目をごしごしとこすり、自分の意識がちゃんと起きているのか、と確認する。
「あの……変ですか?」
無遠慮に見つめられて目線を逸らし、頬を染める奈島さん。
――この子、こんな表情できたんだな。
昨日までは幽霊みたいな雰囲気だったのに、完全に普通の恋する乙女みたいな反応である。いや、実際に恋する乙女になってしまったのだが。
「髪切ったんだね」
「……はい。京士郎さんの勧めで」
そう、日本人形みたいに長い黒髪だった奈島さんはいつの間にやら黒髪ショートの美少女へクラスチェンジしていた。
――しかも、これ、完全にとあるゲームキャラと同じ髪型じゃねーか。
「……京士郎さんが知り合いに予約とってくれて、そこに行ったら話は全部ついてて、合い言葉の『カンコレノハマカゼミタイニ』と言って、気付いたらこうなってました」
女優の○○みたいな髪型にして、と言う注文はよくあるが、ゲームキャラの○○みたいにして、と発注するとは。うちに転がってる雑誌は俺がオタクなせいでゲーム・マンガ・アニメ系の雑誌しかないし、そんなものかもしれない。
――とはいえ、父は黒髪ロン毛の美少女が好きだったはずだが……。
「……私、変でしょうか? 京士郎さん、喜んでくれると思います?」
「そら、すごく喜ぶと思うよ」
某ゲームで人気の、巨乳で片目の隠れるキタローヘアーな感じ。
控えめに言っても、メチャクチャ可愛くなってる。我が父ながら、すごくセンスのいいセレクトだと思った。
奈島さんの陰のあるイメージがやや抑えられて明るく見える。
「……ならよかったです」
掃除機を抱きしめ、はにかむ奈島さんに思わずぐっとくる。いつの間にこの人はこんなにかわいい生き物になったのか。
――おのれ親父め。こんな可愛い子を手籠めにしおって。
「……あと、それから」
「それから?」
「私のこと……ママって呼んでもいいんですよ?」
――え?
上目遣いで言われ、俺の思考は訳も分からず停止した。
真顔で動かなくなった俺を見てようやく自分の放った言葉の大胆さを把握したのか、数秒遅れて彼女の顔が紅潮する。
「……ああっ! その、……すいませんっ! 今の忘れてくださいっ! まだ早かったですねっ!」
彼女は数歩後ずさった後、背を向けて慌てて掃除を再開した。
しかし、背中越しに見える横顔はやたらめったらにやけていた。
――この子……舞い上がってるっ!?
幸福感が閾値を超えて自分でも制御できないくらいに舞い上がってるらしい。
父にどれだけ甘い言葉を囁かれたと言うのだろうか。
――あるいは、あんな四十過ぎのオッサンに必要とされたくらいで幸せの限界突破してしまうほど、彼女の生い立ちは不幸だったのか。
少なくとも、彼女自身は現在の状況は幸せで仕方ないって感じのようだ。
――本人がそれで幸せなのなら俺が口出すことじゃないな。
ガタンッ
そんな俺の思考を遮るように玄関が乱暴に開かれる。
そこに居たのは――頭からバケツを被った全身びしょ濡れ制服姿の女子高生だった。
「……ひぃぃっ!」
奈島さんが先ほどまでの限界突破した幸福感を持て余した感じから一転して悲鳴をあげる。そんな彼女とは対照的にひどく冷めた気分になるのを自覚する。
「ええ? お前、またかよ」
「……え? なんですかその薄い反応? 知ってるんですか?」
「いや、こいつリョナだろ?」
俺の言葉に応えるように彼女は頭のバケツを投げ捨て、ずぶ濡れの素顔を晒した。果たしてそこにいたのは予想通り久所良奈ことリョナだった。
「ただいま。シャワー借りるわよ」
「ああ、リンスも使っていいぞ」
「それは私が持ってきたのでしょ」
軽口を叩き合う俺達二人に奈島さんだけが「え? え?」と混乱した様子を見せる。
リョナはそんな友人を気にせずそのまま玄関からバスルームへと歩いていった。無駄に慣れてる。
俺は扉越しにバスルームへ声をかける。
「つーか、なんでバケツ被ったままやってきた。歩きにくいだろ」
「いや、よく考えたらこの状態で歩くのは周りの視線が痛くて」
――バケツを被ったままの方が恥ずかしい気もするが、顔を見られないことを優先したのか。
扉越しにびしゃっ、びたーん、と濡れた服を脱ぐ音が聞こえてくる。ちょっと想像力を働かせてしまう自分が悔しい。
「……えっと、いつものことなんですか?」
そもそも、奈島さんが知らないことの方が俺には意外なのだが。
――こいつ、友人にも秘密で学校の外で何をやっているのか。
ますます謎が深まっていくばかりだ。
そんな友人を気遣うようにリョナが反論する。
「いや、そう言う訳じゃないけど……まあたぶんもうこんなことにはならないから安心して」
「どういう意――」
リョナの真意を計りかねて質問を返そうとして、大音量の警告音が辺りに響いた。
街一帯に響き渡る消防車のヴーチンチンチンチンッ、という音とパトカーのファンファンファンファンッという耳障りな音。
どこかで火事とか事件が起きた、と言うことなのだろう。日常ではなかなか鳴り響かない、非日常な音。
そして、扉の向こうに居る非日常にびしょ濡れな女子高生。
「お前、まさか何か犯罪とかに手を出してないだろうな」
「まさか? それは気のせい。家に帰ったら偶然パトカーの音が聞こえただけじゃない。考えすぎ」
そしてシャァァァァとシャワーの音が鳴り響いた。それっきりリョナは何も言わなくなった。
――こいつ、消防車の音じゃなくてパトカーの音を気にしたな。
俺は息を吸い、深呼吸と共に考える。
冷静に考えて、このパトカーの音と目の前のリョナに関連性があるか、と考えれば――ない可能性の方が高いはずだ。
あるいは、これが何かのノベルゲームなら、下手に真相を追及したら突如豹変した女子高生に刺殺される可能性すらある。
――よし、すべては気のせいだ。
「じゃ、奈島さん、こいつの着替え用意してあげて。俺は散歩でもしてくるわ」
「……ええっ!? いいんですか?」
さらっと流そうとする俺に奈島さんが驚く。
「何が?」
「……こう言う時は徹底追及して洗いざらい吐かせるのが普通では?」
――間違っちゃいないが言い方にトゲがあるな。
奈島家で門限破りをしたらどうなるのか想像してちょっと怖くなった。この子は子供の頃からどれだけ家に縛られてきたのだろう。それを思うと少し胸が痛い。
――というか、この子は現在進行形で家出中……だよな? 実家はどうなってるのだろう。
色々と怖くなったが、その全てを考えないことにした。
「少なくとも俺は放任主義でね。それに、別に俺は彼女を叱る立場でもない」
「……そんな! あなたはりょーちゃんの彼氏なんでしょう?」
奈島さんの言葉に眼をぱちくりする。
「あいつがそう言ったのか?」
「……いいえ。でも、互いに愛称で呼び合ったり、友人込みで泊めてくれるしてっきりそうなのかと……」
まだ知り合って一週間も経ってなくて、正直友達未満の感覚すらあったのだが――よくよく考えれば世間一般の感覚では十二分に友達以上の関係に見えるのかもしれない。
「俺にとってあいつは――ガールのフレンドなのは間違いない」
しかし、それがどのような意味を成すのか、俺自身もよく分からなかった。
「なにはともあれ、あいつに着替えを。俺が下着とかを用意する訳にもいかないからな」
そうして俺は散歩に出かけた。
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