<第一話> その2

「ちょっと! リンスないんだけど?」

 ザァァァァァと聞こえてくるシャワー音に混じって女子高生の罵声が響いてくる。

 シャワーを貸してる恩人に対して酷い言い草だ。

 スマホを弄りつつ、俺は適当に返答する。

「そんなものは最初からないよ」

「はぁっ!? だからあんたそんなボサ頭なんだわ!」

「そうだけど?」

「開き直るなっ!」

 ギャーギャーと喚く罵声を受け止めながら、俺は頬が緩むのを感じていた。

 俺は一般的に考えて最低最悪の人間である。

 自分の性癖に気付いたのは子供の頃、たまたまボクシングの試合をテレビ中継で見ていた時だ。

  試合前の着飾った無傷のボクサーには何の興味も湧かなかったのだが、試合後のボロボロになったボクサーがとても好きなことに気付いたのである。それ だけなら激戦を繰り広げた戦士に対する敬意かもしれなかったが、成長していくうちに、ドラマやアニメを見てボコボコにされて苦しむ登場人物を見るのがやたら楽しいことを自覚した。

 とどのつまり、自分は苦しんでる人間を鑑賞するのがとても好きなのである。

 人として最悪だな、と思いつつも、何故かそんな性癖を手に入れてしまったのだから仕方ない。

 そんな自覚があるせいで、将来にやりたいことが見つからず、大学受験に失敗。現在浪人生。

 真面目に勉強する気も起きず、無気力に街をふらついていたら、件の泥まみれで倒れている女子高生に遭遇したと言う訳である。

 ――我ながら実に罪深い。

 薄壁を挟んで同年代の女の子が裸でシャワーを浴びてるのに、そんなことよりもリンスがなくて喚いている女の子の罵声を楽しんでいる。

「あーもう、他に服ないの?」

「こちとら男所帯だ。パンツもブラもない。嫌なら帰るんだな」

「……あんたモテ無いでしょ?」

 身体を洗って冷静になったのか、はたまた助けて貰っているという立場を自覚したのか、やや声のトーンを下げる少女。

「すごいな。もしかして君は名探偵なのかい?」

「――馬鹿にしてるの?」

「その推理は正しいね」

「ああもうっ! なんなのあんたっ!?」

 何者なのか、と聞かれれば通りすがりのサディストでしかないのだが、それを言うと彼女の怒りが臨界を突破しそうなのでやめた。

 致命的になりすぎない程度、ちょっとイライラする、という状態を維持しつつ煽るのが俺の流儀だ。

 やがて、ガタンっという音と共にダサいプリントのされたダボダボのトレーナーとジーンズを着た女子高生が出てきた。

 美少女ってのはずるい生き物だ。無精髭を生やして髪ぼさぼさの浪人生が普段着てるものと同じものを着てるはずなのにちょっと可愛い。

「ええっと……その、助けてくれてありがと。…………サティさん」

 意表を突かれ、一瞬言葉に詰まる。飲んでたお茶を吹き出しそうになった。

「あれ? 表札に確か――」

「なんだそれ。そんなショッピングモールみたいな呼び方されたのは初めてだ。

 俺の名は茶堤祭介。チャヅツミ・サイスケってんだよ」

 名前を読み間違えてたことを笑われ、彼女はかぁっ、と顔を赤く染める。

「うるさいっ! 読みにくい名前をしてる方が悪いでしょっ!」

「ワーキャーと元気だな。お茶でも飲んで落ち着きなよ」

 そう言って俺はテーブルの対面を指さした。

「……そうする」

 ぶすっ、とした顔をしつつも彼女は勧めた通りに着席し、コップに入った冷えた麦茶を一気飲みした。

 それをニヤニヤしながら見つつ、俺は肩をすくめた。

「しかし、幾ら困ってるからと言って、知らない男の家にほいほいついてきて、シャワーを借りた挙げ句、出された飲み物を無警戒に飲むなんて……ちょっとは気をつけた方がいいぞ」

「なんなのその説教? 確かにあんたは怪しい感じだけど」

 言われて空になったコップを凝視し、ちょっと後悔した顔をする少女。

「ま、幸い俺は睡眠薬を持ってないし、犯罪をする度胸もない」

「……部屋は犯罪的に汚いけどね」

 そう言って彼女はリビングを見回す。そこには脱ぎっぱなしの衣服や読みかけの雑誌、買ってから封を切られず放置された買い物袋などが幾つも散乱してある。

「父と二人暮らしでね。父はきれい好きだが仕事が忙しくて月一くらいしか掃除できない。そして、俺はめんどくさがりだ」

「自慢げに言う事じゃないでしょ。そんなんじゃ、客が来た時困るでしょ?」

「我が家に他人が来るなんて数年に一度あればいい方さ」

「うわー、絵に描いたダメ人間」

 少女は顔をしかめ、なんでこんなところに来てしまったんだろう、という顔をする。

 まあ、彼女の家は電車で一時間かかる所にあり、その間泥まみれで移動する度胸がなかったらしいのだが。

「あー、その……なんにしてもありがと。私の名前は――」

「おっと、それはいらないな」

 彼女の言葉を遮り、俺は首を横に振る。彼女は予想外のことに唖然とした。

「何それ……」

「着替えたならとっとと出ていくといい。渡した服も返さなくていい。適当に捨ててくれ。

 それで俺とあんたの縁は切れる。明日からは他人同士。

 そういうことにしよう」

 俺の発言に目を白黒させる女子高生。

「でも、この服とか……」

「シャツ・トランクス・靴下はそれぞれ五つセットで千円のバーゲンセールだったから一つ二百円。トレーナーとズボンは親戚からタダで貰ったもの。

 俺からしたら全部合わせて六百円くらいの価値しかない。気にすることはないぞ」

 バンッと机を叩き、彼女は立ちあがる。

「そういうことじゃなくってっ! そんなんじゃ……私の気が晴れないでしょっ! その……えっと、お礼くらいさせなさいっ!」

 ――恩人に対し怒鳴りながら言うことじゃないな。

 俺はニヤニヤと笑いながら、手元にあるお茶をすすった。その間、彼女はきっ、と睨み続けてくる。

 緊張の糸が切れそうになったところでそっと言い返す。

「嫌だね。言ったろ。俺は通りすがりの意地悪でね。このことを一生、恩に着ながら生きていくといい」

「意味分かんない」

 彼女の怒りを半笑いで受け流し、玄関に目を向ける。

「後腐れなく生きたいだけだよ。お帰りはあちらだ」

 それだけ伝え、俺は手元のスマホを弄りを再開する。

 彼女はしばらく何か言いたげに立ち尽くしていたが、やがて荷物をまとめて玄関へ向かった。

「言っとくけど、この恩はいつか絶対に返すからねっ!」

 謎の捨て台詞を吐いて少女は出て行く。

 ――これでいい。

 俺は苦笑しつつ、彼女の去った玄関を眺めた。

 恨むのならば、俺のような変人に助けられた自分を呪うがよかろう。

 これっきり、彼女に二度と会うことはあるまい。

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