横断歩道のロボット

砂部岩延

 家の近くに横断歩道がある。

 ここにロボットが立っていた。

 郊外の住宅街と住宅街の間を抜ける片側一車線の道路は国道と旧国道を繋ぐバイパスになっている。もともと道幅のわりに交通量が多かったのだが、最近になって、駅前に向かう小路が拡張、整備されてT字の交差点になった。往来はますます盛んになった。

 道沿いにはスーパーマーケットやガソリンスタンド、ファミレスなど生活に根ざした商業施設が点在し、小中高の学校も近い。駅前の繁華街ともつながった。近隣の住民は常に何がしかの理由でこのT字路を渡ることになる。

 交差点にはもちろん、横断歩道と歩行者用の信号もついている。しかし、車の通行量が多いために、点灯時間は十分と言えず、健常な大人の足でさえ時折、不便を感じる程度に短い。さらには押しボタン式で待ち時間も長いため、車の往来の間隙を縫って渡ってしまおうとする者が多いのは、ごくあたりまえの帰結と言えた。

 幸いにして道の見通しは悪くないので、これまで大きな事故があったという話は聞かない。しかし、大きなトラックも通るし、どの車も大抵はスピードを出いているので、小さな子供やご年配のいる家庭はいつも気を揉んでいるようだった。平日の朝夕には町内会の保護者たちが黄色い手旗を持って立つのが常であったが、それも万全にはほど遠かった。

 度重なる近隣住民の訴えに応えたのか、ある時、自治体がこの交差点に一台のロボットを置いた。横断者の介助を主な役割として、他に簡単な交通整備や景観維持も可能な多機能型のヘルパーロボットだ。

 背丈は大人の腰よりも低いくらい、胴回りは大人が両腕を回したほどで、やや楕円がかった円筒形の胴体をしている。胴の下には、隠れて見えないが、タイヤのついた三本の頑丈な足を持ち、多少の段差ならものともせず、道路と歩道の間を淀みなく行き来する。胴の横には二本の華奢なアームがついていたが、普段は胴体の中に収納されており、必要に応じて亀の手足のように飛び出す。最先端の思考エンジンと言語機能を有して、あらゆる状況に対応し、二十四ヶ国語を操るという。見た目の第一印象は、端的に言って、喋って動く巨大な炊飯器だ。

 良く言えば愛嬌があり、悪く言えば間の抜けた姿のロボットは、しかしその実、よく働いた。

 歩道の隅には専用の無線給電ステーションが置かれていたが、この上に姿を見かけるのは、人通りが途絶えた深夜から明け方くらいのものだったろう。

 昼夜を問わず、横断者の動向を見守り、小さな子どもやご年配がいれば即座に黄色い手旗を持って、車道に立った。無理な横断者は身を呈して押しとどめた。路上のゴミは内蔵した薄手のネットに拾い集めて、定期的にゴミ集積所に排出する。

 ある時、横断中の男性がハンカチを落とした。ロボットはすかさずそれを拾うと、気付かずに行き過ぎようとする男性を追いかけて、これを届けた。

 またある時は、ヒールが折れて転倒した女性がいた。ロボットは華奢な見た目に反して頑丈な二本のアームを器用に使って助け起こすと、見た目通り頑丈な胴体を支えにして、歩道の脇まで連れ立って、傷と靴の応急処置までしてみせた。

 地図を片手にさまよう人に道を教えていたことがあった。薄暗い夜にはライトで歩行者の足元を照らしていた。休日の深夜に歩道の上の吐瀉物を洗い流す姿は、一種の風物詩だった。

 雨が降り、風が吹き、陽炎が立って、雪が積もる。

 ロボットは毎日、道に立って働いた。休むこともなく、迷うこともない。正しく、理想通りに、誰かのために働いた。

 ロボットなのだから、それが当然だ。作った人間が斯く在れと思い描いた通りに、動き、役目を果たす。

 しかし、その姿に胸がざわついたのは、何故だったろう。


 私は最初、このロボットがあまり好きではなかった。理由はとても瑣末で、下らないことだ。

 ある日、近所のスーパーで買い物をした帰り道、このT字路へ差し掛かった。

 目の前には腰の曲がった老婦人がひとり、先に信号を待っていた。

 彼女の足ではおそらく、青信号の間に向こうの歩道まで渡りきれないだろう。こういう時のために、信号機の柱には横断者介助の黄色い手旗が常に挿してある。私は全て分かっていたし、知ってもいた。

 しかし、私は迷った。

 気恥ずかしさもあった。そして、それ以上に、面倒だと思う気持ちがあった。反対側の信号機が点滅する頃には、半ば覚悟を決めていた。自らの良心に従い多少の恥をかくことをではない。その逆をだ。

 その時、すぐ隣を丸い影が通り過ぎた。

 蟹の足にも似た華奢なアームを伸ばして、信号機の柱から躊躇なく手旗を引き抜くと、滑らかな足取りで老婦人の隣に立つ。

「こんにちは。良いお天気ですね」

 およそロボットらしくない明るく流暢な口ぶりに、老婦人は初めとても驚いていたが、すぐさま相貌を崩した。信号が変わり、老婦人とロボットはたわいない言葉を交わしながら、横断歩道を渡っていく。

 その丸い後ろ姿を見て、私は安堵よりもまず先に、苛立ちを覚えていた。

 その感情が何によるものだったのか、その時の私には分からなかった。


 ロボットは人々から、概ね好意的に受け止められた。

 平日の朝夕に手旗を振っていた保護者たちは、当番の頻度を減らし、思わぬ余暇に喜んだ。また、交差点に絶えず誰かの、何かの目が光っていることに、少なからず安堵を覚えた。

 朗らかに言葉を話すずんぐりむっくりしたロボットに、ご年配の多くは孫を見るような暖かい目を向けたし、子供たちは物珍しさから、新しいペットを手にしたようにはしゃいでいた。

 しかし、一方で、どうしたって気に食わない人間もいた。

 ご年配の中には、まるで人間のように話す機械を薄気味悪く思う者が少なからずいたし、子どもたちの関心と好意は行きすぎれば暴力にもなる。

 もっと直接的に、害を与えられることだってあった。

 とある平日の深夜のことだ。

 私は仕事の都合から終電に乗って最寄り駅まで帰った。ロータリーでタクシーを待つ長蛇の列に嫌気が差して、家まで歩くことに決めた。

 駅前の繁華街はしだいに明かりの消えたマンションや住宅にクロスフェードしていく。

 住宅街の深夜ともなれば、人通りはすでにまばらだ。同じように駅から歩く人影は一人、また一人と減っていく。迎えの自家用車とタクシーのヘッドライトが幾度も行き交い、しだいに途絶えていった。

 道は薄暗く、街灯の数は少なく光量も乏しい。近隣の商店や民家もすっかり明かりを落としている。

 遠目にあのT字路を見る頃、すっかり辺りに人気はなくなっていた。

 交差点にはあのロボットがいつものように立っていた。

 近くにもうひとつ人影があった。着崩れたスーツの背中に、進む足は覚束なく、右に左にふらふらと揺れている。

 私は微かに眉を顰めて、歩調を緩めた。誰だって近寄りたくないし、関わりあいにもなりたくないだろう。

 横断歩道に差し掛かった男は赤信号に構わず、そのまま向こう側へ渡ろうとした。それを傍らのロボットが制止する。

「青信号までお待ち下さい。あと百二十秒で変わります」

 両腕のアームを広げて、控えめに立ちふさがるロボットに、酔っぱらいが苛立ちの声を上げる。気持ちは分からないでもない。往来の途絶えた深夜、たった数メートルの距離を渡るために何分も待たされるのは、あまり愉快な気持ちではない。

 しかし、それがロボットの使命だ。現下では安全上、妥当な行動でもある。酩酊して足元も覚束ない男は、道の先で瞬いていた車のライトにも、気づいていないに違いなかった。

 しばらく押し問答をしているうちに、信号が青に変わった。ロボットは一転して、男の歩行を妨げない位置まで素早く身を引く。

 その時、鈍い金属音が聞こえた。

 ロボットの体が大きくぐらつく。どうやら通りすがりざま、男が蹴りつけたらしかった。男もまたバランスを崩して、車道に尻もちをついた。

「お怪我はありませんか」

 すかさずロボットが助け起こそうと近寄ったが、男は腕を振り回して喚いた。悪態をつきながら自力で立ち上がると、歩道に向かって歩き出す。

「お足元が暗くなっております。段差にご注意下さい」

 ロボットは何事もなかったように、ほんのりと光るライトで男の足元を照らしながら、隣に付き従った。千鳥足の男がようやく向こうの歩道に上がったところで、横断歩道を引き返そうとする。

 その背中に、男が向き直った。

 男は両手でロボットの上部をつかむと、力任せに突き飛ばした。

 衝撃を受け止めきれず、ロボットは前のめりに倒れて、路上に転がった。金属の削れる耳障りな音が辺りに木霊した。

 男もまた反動で尻もちをついた。再度、口汚く喚きながら、転がるように、逃げるように、その場を後にした。

 倒れたロボットは二本のアームを使って胴体を起こすと、歩道の上の定位置まで戻りかけたが、交差点にさしかかっていた私の姿を認めて、真っ直ぐ近寄ってきた。

「お足元が暗くなっております。お気をつけ下さい」

 淀みない音声で告げると、ほんのりとライトが光り、暗がりに沈んでいた路面が、起伏の分かるくらいまで明るくなった。同時に、ロボットの胴体に刻まれた真新しい傷跡も夜の闇の中で白々と浮かび上がった。

「ありがとう」

 暗がりの向こうに遠ざかった背中に、私は小さく呟いた。


 心理学には「責任の分散」という言葉があるそうだ。

 例えば、清掃されたばかりの路上にゴミを捨てるのは躊躇われても、多少なりと汚れていれば、抵抗感は薄れる。

 ロボットの胴体に見られる傷や凹みは、日増しに増えていった。

 週に一度、自治体からメーカーの技術者がロボットのメンテナンスにやって来ていたようだが、小さなパーツの交換はできても、胴体の修理までは難しいらしかった。多少の擦り跡は研磨剤などで隠されたが、大きな凹みや深い傷はほとんどそのまま残った。

 ロボットの振る舞いは変わらなかった。

 当然だ、機械なのだから、どれだけ粗雑に扱われようとも、悪辣に言われようとも、次の瞬間には横断歩道に立って、黄色い手旗を振っている。朗らかな声で歩行者に話しかけ、安全と快適のために奉仕できる。

 正しく理想取りに、働けば働くほど、ロボットの傷は増えていった。


 その日の夜も、私は駅から歩いて帰った。

 交差点に差し掛かったが、ロボットの姿が見当たらない。

 この頃には目立つ傷もだいぶ増えていた。修理を望む声も多くあがっていた。自治体が重い腰を上げて、修理のために回収していったのだろう。

 気楽な予想は、すぐに打ち砕かれた。

 道路の向こう側、暗がりの中に横倒しになったロボットの姿を見つけた。

 一瞬、すでに壊れて動かないのかと思ったが、微かな作動音が響いて、胴体が斜めに起き上がった。しかし、鈍い音を立ててそのまま道路に倒れ伏した。何度も試みて、その度に達磨のように転がった。

 近寄ってみて、理由が分かった。

 アームの一本が、肘に当たる部分からへし折れて、無くなっていた。

 いつものように起き上がろうにも、折れた腕を使っては、長さが足りず起き上がれない。半端に賢いロボットは無事な方のアームだけに自重をかけて起き上がろうとしているようだが、片腕ではバランスを支えきれず、また目の前で無様に転がった。薄暗い街灯の下でもはっきりとわかる、無数についた真新しい傷跡。いったいどれだけの時間、その愚かな行為を繰り返していたのか。

 ロボットの脇に立って、なんとか胴体を引き起こそうとしたが、見た目以上に重量があり、デスクワーカーの非力な腕ではびくとも動かない。胴体に刻まれた鋭い金属傷がやわな手のひらを切り裂いて血が垂れた。結局、ロボットの試みに外から手を添えて支えてやりながら、三度目の試みでようやくロボットは立ち上がった。

 ひどい有様だった。

 間近で見て、手で触れて、その胴体に傷のない箇所などないのだと分かった。片腕はへし折れて半ばからなくなっている。もう一方のアームも、よく見れば大きく湾曲していて、胴体に治めることは不可能だろう。一体何が起きれば、これほど傷だらけになり、腕がへし折れて、歪むのか。想像は出来ても、信じたくはなかった。

 ロボットは歪んだアームで、傍に落ちていた黄色い手旗を拾い上げる。

「ご協力に感謝致します。お足元が暗くなっておりますので、段差にご注意下さい」

 歪んだアームを精一杯伸ばして、手旗を掲げた。レンズが割れて光量の落ちたライトが、路面をまだらに照らした。

 私は促されるまま横断歩道を渡り、一度も振り返ることなく、無言のうちにその場を立ち去った。

 こみ上げる何かを堪えることが、私にできる唯一のことだった。


 ロボットは機械だ。

 人によって作られ、人のために働く。作られた通りに、定められた通りに、正しく、理想通りに。休むこともなく、迷うこともなく、躊躇うこともしない。

 では、正しさとは。

 ロボットに課せられた理想とは誰のためのものであったか。あのロボットの向こうに、私は、私たちは一体、何を見たのか。

 ロボットの存在は日常の中にありふれている。

 駅の自動改札や街中の自動販売機は、最も原始的なロボットだ。もっと高性能で、高機能なロボットも、巷にはあふれている。美術館の展示フロアには解説用のロボットが大抵二、三体は置かれているし、デパートの案内係も今やほとんどがロボットだ。街角の交番にさえロボットがいる。高度なAIを持ち、人間と同じくらい流暢に話し、適確に答えを返す。しかし、これらのロボットが正しく動くのを見て、私は苛立ちを覚えたことなどない。ましてや、誰かに突き飛ばされたり、何かで殴りつけられて腕をへし折られたりなど、そんな話は寡聞にして知らない。

 それらのロボットと、あの横断歩道に立つロボットは、何が違ったのだろうか。あのロボットはどうして傷つけられねばならなかったのか。

 この問いに、きっと私は答えを出さなくてはならない。


 ロボットはあの日を境に姿を消した。

 聞いた話によれば、明け方、道路の脇で踏まれた空き缶みたいに転がっているのを、近隣の住人が発見して、自治体に連絡、回収されていったそうだ。

 修理して再配置するという話や、後継機を置くという話もあったそうだ。それを望む声は実際、多く上がっていた。

 しかし、結局、あの横断歩道にロボットが戻ってくることはなかった。

 通りは相変わらず車の往来が多く、横断歩道の青信号も短いままだ。近隣の保護者たちは以前のように当番を組んで、平日の朝夕、黄色い手旗を振っている。

 私は今日も近隣のスーパーで買い物をして、あのT字路に差し掛かった。

 目の前には腰の曲がった老婦人がひとり、先に信号を待っている。

 あの日、ロボットに感じた苛立ちは何だったのか。その背中の向こうに、私は一体、何を見たのか。

 すぐ隣をすりぬける影を見た。その後を追って、私は一歩を踏み出す。

 信号機の柱から黄色い手旗を抜き取って、老婦人の隣りに立った。

「こんにちは。良いお天気ですね」


 家の近くに横断歩道がある。

 ここにロボットが立っていた。

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