清掃
「あの、これは……」
目の前の光景に、呆然とするティエラ。
「ティエラ、掃除するわよ」
背後に、ティエラよりも頭ひとつ分背の高い、同じ簡素な白い服を着た少女。
荒れ狂った寝室に、従者が2人。
「これ……どうするん、ですか、アグワさん」
「今言ったでしょ、掃除するの」
ティエラは振り返り、戸惑った顔をアグワに向ける。
「……どこから手を付けたら、いいんですか」
「片っ端からやるしかないわよ。まずはもう使えなさそうな物……がほとんどなんだけれど、それを全部、捨てて。じゃないと
ティエラとアグワは、黙々とフクシアの寝室を清掃し始めた。
「髪の毛とかも落ちてるかもしれないけれど、勝手にゴミ箱には捨てないで。全部示された袋にまとめるから」
「は、はい」
ティエラは羽毛の飛び散った布団の切れ端を拾い集めながら、一体何万円の布団なんだろう……と思う。思いながらも、ベッドに乗っかっていた1番大きな塊をずらし、それを見た。
赤く染まったベッドのシーツ。まだ乾ききっていないようで、鉄の香りが立つ。ティエラはその鮮やかさに身体をふるりと震わせた。その小さくない血溜まり……何が原因でこれだけの出血を、それも怪我をしそうな物もないベッドで起こしたのだろう……と思っていると、いつの間にか真後ろにいたアグワに声をかけられた。
「ほら、手を止めてたら間に合わなくなるわよ。3時間で全部終わらせないといけなんだから」
「は、はい、すみません……。ですけど、この血、大丈夫なんでしょうか……」
「ああ、それはいつものだから気にしなくていいわよ。それに血なんてそこだけじゃなくて色んな所に飛び散っているし……」
アグワが指差した先、カーペットの模様の上に点々と続く血痕。それはまばらに、しかし何個も、そしてアグワは別の所を何ヶ所も指差し、その先には確かに血の跡があった。
「……ね。だから全部取り替えて綺麗にしないといけないの」
綺麗にするのは分かっているのだが、肝心の答えが返ってこない感じがして、ティエラは何となく、これはあまり聞かない方が良い事なんだろうなと思った。
「あの……アグワさん」
「ん、なに?」
「……フクシア様って、一体、どんな人なんです?」
そしてティエラはアグワに訊いた。話題を変える為、恐らくあまり聞かない方が良いであろう質問を。純粋に、何も知らなかったから。
「ティエラ。それは知らなくていいと思うし、それに、知れないと思うわ」
アグワは千切れたカーテンをまとめながら、説明するのもうんざりという風に続ける。
「分かっているでしょう、私達の立場が。ティエラ、あなたも孤児院からやってきたのでしょう? 私達に質問する権利はあるようでないもの……むしろ休む部屋だって準備されていて、手に入るお金もたくさんあって、恵まれているのだから、あまり深くまでは聞かない方が賢明だと思うの。まあ、首を突っ込んだ人がいたから、あなたはティエラとしてここに来る事ができたのだけれど」
「……それって、どういう」
「言わなくても分かってるんじゃないの? 私達はあくまでフクシア様の為にここにいて、フクシア様の為なら何をされたって抵抗は出来ないのよ」
ティエラの脳裏をよぎるのは、一昨日のフクシアが見せた表情と、歯と、かすかな血の匂い。いや、まさか……。しかしティエラは返事の代わりに、黙り込んだ。
「私達の身体にかけられた金額が貯まるまで、3年。3年経てば、自由の身になれる。だから私は命令された事を忠実にこなして、生きているの」
アグワは続ける。
「もっとも、3年経った後に行く先なんて見つかってないのだけれど」
そう語るアグワの顔は、まるで屋敷にではなく死刑を宣告され牢屋に入れられた人のように、暗かった。フクシアはその顔を見て、この屋敷にまとわりつくどうしようもない死の冷たさを感じると共に、この屋敷に住む者全員の恐怖の対象であろうフクシアについて思いを巡らせた。しかし、どうしてもフクシアを恐怖の対象だと捉える事が出来なかった。
「さあ、こんな話をしてても時間は待ってくれないのよ。早く清掃を済ませてしまいましょう」
「は、はい」
そう言いながらアグワは、扉と施錠がリンクしている窓を開け、換気を始めた。強化ガラスでできたその表面には目を凝らせば見えてくる、無数の引っ掻いたような跡が、付いていた。
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