ティエラ
そこは、まず一般的な家庭ではあり得ない寝室だった。
細かい模様の刻まれた豪華なカーペットは、隙間なく部屋の隅から隅まで広がっている。照明、天井まで伸びる窓は開いている。そこにかかるカーテン、シックな壁紙、レースのかかったテーブル、その全てが上品で、清潔で、中世の貴族が住んでいたかのような、そんな空気がその寝室に充満していた。
大きな木製のドアが、外から優しく叩かれる。
「失礼します……」
ドアが開くと同時に窓にかかったカーテンが風を受けて大きくなびいた。入ってきたのは、白い簡素なワンピースに似た服を着た少女。おどおどとして、やけに身体に力が入り、暑くもないのに額には汗が滲んでいた。
「あの、フクシア様……そろそろ、昼食の時間で……」
部屋の中でもひときわ大きく目立つふんわりとしたベッドに、震えた声で呼びかける。
「誰、あんた。初めて聞く声ね」
ベッドの中から不機嫌そうな返事が飛んだ。姿は見えない。
「あの、私、今日からフクシア様の、侍従に……」
「そうなの? じゃあこっち、来て」
ベッドから腕だけが伸び、手招きする。少女は少し躊躇しつつも、ベッドに近付いた。
「あたし、今日体調良くないの。熱があるかも。触って」
「ね、熱ですか……?」
少女がベッドをめくろうとした瞬間、その手は付き人の手首を掴み、その柔らかなベッドに倒す。
「……!」
驚きの声をあげながら目を瞑ってしまった少女が恐る恐る目を開けると、見た事もない、目つきがいいとは言えないその赤い瞳と、その瞳や顔をところどころ隠す、銀色の長く柔らかい髪。艶のある肌は何も纏っていない。
ベッドの中に横たわったフクシアの姿が、視界を支配していた。
「あんた、名前は?」
少女の手首を淡く掴んだフクシアの手はしかし、もがいても離しそうにないような、そんな力に溢れていた。
「ティエラ、と申します……」
名前を聞いたフクシアは、ああ、と納得したような声を出して、
「あんたが"新しい"ティエラか。良かったわね、あたしの機嫌がまだ良くて。明日だったら大変だったよ」
と言いながら、ティエラの黒髪を手で
「それは、何故です……」
「前のティアラみたいにここにいられなくなる事になるからね」
フクシアはティエラに向かって口を開け、見せつけるようにその歯を舌でなぞる。はあ、と口から流れる吐息は上品なミントの香りがしたが、その奥にある血生臭さを完全にかき消す事が出来ずにティエラの鼻に届いた。自らの目の前で横たわるその絹のようにつややかな肌すら、ティエラの目には人間離れしたものに映り始めた。
フクシアはティエラの身体が震えるのを感じて、にやりと笑った。
「あたしが、怖い?」
「いっいえ! ……そんな、事は」
「ふーん。別にいいけど」
フクシアはティエラから手を離して、上体を起こした。背中の辺りまで伸びた髪の毛が裸の背中や胸にかかる。
「ティエラ、あたし今日昼食いらないから。夕食はテーブルにフルーツを置いておくようにして。あと、その時この部屋の鍵を外からかけて、明後日の朝まで絶対扉を開けないで。まあ、興味があるなら開けてもいいけど」
フクシアのその言葉を、ティエラは冗談なのか本気なのか、そしてどういう意味なのかをやはり、理解できなかった。今はただ、これ以上フクシアの機嫌を損ねないように……それだけを考えていた。
「わ、分かりました……それでは、失礼します」
ティエラは慌てたように、しかし深々とお辞儀をして寝室を後にした。
そして翌々日、フクシアが寝室を空けている間に呼ばれたティエラが見たのは、嵐が去った後かのようにずたずたになったその寝室だった。
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