第17話:よこせ! 温泉ハプニング
かぽーん――……
「……」
「……」
ししおどしの雅な音色が、黙りこくる俺たち2人の間に響く。
俺とダクネスは並んで腰掛け、もう数分互いに目を合わせないまま動けずにいた。
お互いに裸でなく、下半身を湯につけていないならもう少しやりようもあるんだが。
ガン見してやっても構わないのだが、多分今ガン見し始めるとこいつは拒まない。
その確信が逆に、今を身動きできない状況に持ち込んでいる。
「な、なあカズマ……少し、話をしても良いか」
ダクネスの顔は桜ん坊のように朱に染まり、それはきっと俺も同じだ。
温泉の熱だけではない。さっきから緊張でドックンドックン心臓が鳴ってる。
逃げ出そうにも、もう立ち上がりっぱなしなので立ち上がれない。
濁り湯なのだけが救いだな。静まれ、俺の息子よ――!
「ま、まぁちょっと待てよ。それって多分大事な話なんだろうし、そうなるとのぼせそうになりながら聞くってのもちょっと……」
ハメられた。ハメられたんだ俺は。
そしてこれからダクネスにハメるかも知れません。いかん、最低だ。
なんにせよ今ここで浅はかな振る舞いをすると、多分俺は一生後悔することになる。
ぎこちなく視線をやれば、ダクネスの顎線から汗が一滴したたり落ちて胸の谷間に落ちていくのが見えてしまった。
くそう、なんでそれを今見ちゃうかなぁ俺!
今じゃなけりゃじっくりじっとり見ていられるのになぁ!
「ああ、その通りだ。大事な話があるんだ――」
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――水とアクシズ教の街、アルカレンティア。
素晴らしい温泉と素晴らしい変態共が悪質な抱き合わせ商法のような形でくっついているこの街は、リゾートであると同時に宗教の聖地でもある。
アクセルの街からしばらく、ダスティネス家の馬車に揺られて辿り着いたこの街で、アイリスは1泊することに決めていたようだ。
ちなみに、バニルだけは「絡まれると厄介だから」と街に入らなかった。
まあ、高位プリーストもうろつく場所だから仕方ないかも知れないな。
アイリスは残念そうにしていたが、こればかりは悶着になる気しかしないし。
「いやー、実はここに来るのは初めてなんだが、面白い街じゃないか。流石は女神様だ」
「当の水の女神様は出禁だけどな、ここの温泉」
俺とミツルギが今浸かっているのは、アルカレンティアの中でも最高級の――それこそ一泊ウン十万エリスからになる高級旅館の温泉だ。
王女パワーでゴリ押ししたのかと言えば、そうじゃない。
魔王を倒したことで、「女神アクアに導かれし勇者」というのが公になった。
なので、俺たちの扱いは生き聖人のそれなのである。宿泊費もロハ。
しかし、一向にエリス教の印を隠そうとしないダクネスだけは酷い目に遭い通しなんだが……。
それを分かってて上の発言が出てくる辺り、ミツルギも大分染まってきたな。
ダクネス自身は満足そうだから良いんだけどさ、別に。
「普段、旅の仲間は女の子だからなぁ。こうして男の方が多いパーティで旅するのはなんだか新鮮だよ」
「まぁ、その気持ちは分からんでも無いが……どうしたんだよお前、どうもテンション高いぞ」
このテンションに近いのは……そう、修学旅行。
中学生時代に、はしゃぐ班員を見てる時の気分が非常に近い。
「いやさ、魔王が居た頃は『早く魔王を討伐しなければ』という使命感で一杯だったし、あまり周りを見る余裕もなかったが……今にして思うと、僕は君が羨ましかったよ、サトウカズマ」
「えー……そ、そうかぁ?」
仲間が駄女神と爆裂狂とドM盾だよ?
今となれば気心も知れてるが、基本、癖がありすぎて一周してるような馬鹿どもだ。
絶対普通に旅商人でもしてた方が良かったよ。いや、少なくとも苦労はしなかった。
「自分で望んだこととはいえ、『真面目な勇者様』であり続けたからなぁ。君のように肩の力を抜いて周りと付き合っていくのも、良いなと思ったんだ」
「あー……まぁ、キマってる野郎だなとは思ったけどな。初対面から」
なるほど。理想に燃えていた頃はともかく、情勢が一段落すれば窮屈に感じるか。
お互いこっちに来てもう数年になるんだもんな。
ロールプレイを続けるには、長い時間だ。
「とはいえ、やっぱり自分で望んだことだからね。そういう人間になりたい、という意識も持っているし。あの2人にキャラを崩すようなことは言いたく無いけど……その点、君は僕が何言おうが気にしないだろ?」
「おう、まあな。男のキャラ付けとか心底どうでもいいわ」
「ハハハ……ま、僕が羨ましいのは君のそういう所だよ」
そこまで言うと、ふー、とミツルギは湯に沈むようなため息を吐き、空を見上げた。
最高級宿と言うだけ有って、景観も素晴らしい露天風呂である。
宿全部とは行かないが、風呂もこの時間は貸し切りだ。
あと一刻くらいならば、誰の邪魔が入る心配もない。
……この敷居、女湯に繋がってんのかな。
「まあ、そんな感じで……僕も、パーティーメンバーに他愛のないイタズラをするような。一度くらいそういうことを仕掛ける側に回ってみたいって憧れてたんだよね」
「おう、そうかそうか。頑張れよ」
「ああ。それじゃ僕は上がるから、後はゆっくり楽しんでいってくれ」
ん、もうか? 早いな。
しかしそれはそれで好都合だ。俺はじっくり隣に誰かが入ってくるのを待つとしよう。
……いや、貸し切りだからアイリスとダクネスしか居ないのか。
まあそれでも無いよりマシだな。覗きは男のロマンである。
――カラカラ、トン。
そんな風にのぼせないようにしながらしばらく待っていると、壁の向こうで脱衣所の扉が開閉した。
つまり、もうすぐ誰かが入ってくるということだ。
俺は決して慌てず静かに、けれど確実に柵の向こうに聴覚を集中させる。
足音の数からして恐らくは一人。アイリスか、ダクネスか。どっちだ?
「ほう……流石は最高級の温泉宿だな。貸し切り式の温泉なのに、充分な広さだ」
ひたり、と石畳に足を乗せた闖入者は、周囲を見渡しそう呟き……俺と目が合った。
「……え?」
「え?」
互いにほぼ無警戒のまま。
隠すものも隠さずに、俺とダクネスは目を点にする。
「はぁ!? な、な、な……」
「キャー、エッチぃー!」
「お、お前が言うのか! それをお前が言ってしまうのか! その台詞を取られたら、私はなんと言えば良いんだ!?」
先手必勝。相手が何か声を上げる前に、向こうの台詞を奪ってしまう。
こうすることでダクネスは声を上げられず、俺は遠慮無くこいつの身体を眺め続けられるというわけ。
そうして動きを封じたダクネスに、俺は遠慮無く言葉を浴びせていく。
こいつが逃げ帰るまでのわずかな間、少しでも多くこの光景を脳裏に焼き付けておかなければ。
前に一度こいつと風呂に入った時は暗くてよく見えなかったからな。
「いや、なに普通に入ってきてんだよ。ここは男湯だぞ。ひょっとしてお前、日頃育んでる妄想が遂に現実の行動にまで滲み出してきたの? 罪もない青年を性犯罪者に仕立てあげる気なの?」
「ち、違わい! わ、私が入った時には確かに女湯の暖簾だったんだ! 私はそんな、常日頃から男湯に侵入してあられもない辱めを受ける想像など……!」
「してない? 本当にしてないって言える? エリス様に誓える?」
「して……ま……すん!」
してるらしい。
「くっ……さてはアイリス様だな……? 道理で不自然に忘れ物をしたはずだ……! か、貸し切りだから良いものの、カズマのような
「誰が
ミツルギが言い残していったことからして、恐らく暖簾を入れ替えたりしたのはアイツだろう。
すると発案はアイリスだろうか。なんだ、二人共いい奴じゃん!
特にミツルギ。僕はちょっとアイツの事を誤解していたよ。今度こっちからもお歳暮を贈ろう。
「ほら、もういいよ帰って。俺はもう充分に堪能したから、隣の風呂で暖まってくればいいさ」
「……」
流石に、これ以上引き止めるのは不自然になりそうだ。
しっしっと手を振るジェスチャーをすると、ダクネスは下唇を噛みながら俺を睨む。
「……いや……」
「は?」
そしてタオルを握りしめたままのっしのっしと俺の隣まで歩いてくると、そのままそこに腰を下ろした。
「いや、もういい。ここに入る」
「な、何言ってんだよお前」
ダクネスの滑らかな肌がぴったりと吸い付いてくるほどの近さ。
互いの心臓の音が交じり合う程度の距離。
ていうか近い。どうしようこれ、近いんですけど。
「馬鹿野郎お前、入るにしてももっと離れられるだろ。なんだよお前痴女かよ怖えな」
「ふ、ふん。相変わらず攻められると弱いようだなカズマ。確かにお前は
なんだとこの野郎、調子に乗りやがって。腹筋女のくせに偉そうにすんじゃねーぞ!
……そう言えたらいいんですけどね、はい。口がパクパクするだけでした。
だってこれやべーもん。ダクネスがこんな柔らかいとか想像してなかったもん。
おかしくない? こいつ剣を素肌で弾くんだよ?
「思えば……これは好機だ。アイリス様が私に授けてくれた、最後の好機だ」
「何言ってんだよ、ダクネス……」
「な、なあカズマ、お前……」
だが、緊張しているのは向こうも同じらしい。
何度か息を大きく吸っては、ダクネスはついぞ吐き出せず消沈して目を伏せた。
「いや……やはり、もう少しこのままでもいいか?」
NOと言える男には、なれませんでした。
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「ぶぇっくちゅん!」
後頭部にいくつか飛沫がかかり、私は嫌な顔をして顔を上げた。
「はぁー、寒う……ねぇ、なんで目と鼻の先に温泉街があるのに野宿なんてしなけりゃいけないのよー」
「それはですね、どこかの女神があの温泉街に立ち入り禁止を食らってるからですよ」
「ねー、お風呂まだ沸かないの? 私、早く暖まってお酒でも飲みたいんですけど」
「それはですね、どこかの女神がさっきから私の邪魔ばかりするからなんですよ」
アルカレンティアから程よく離れた山の中。
私とオリジナル、そしてアクアの別チームはここにテントを設置していました。
季節はもう冬になりかけ、流石に野外では肌寒い季節である。
とは言えキャンプセットはあるし、こうしてマントから取り出したドラム缶で風呂も沸かしてあげているのだから、大人しく待っていてほしいのだけれど。
「この……ドラムかん? と言うのですか? これも何かのマジックアイテムなのですか、めありす」
「いえ、これ自体は何の変哲も無い鋼の筒ですが。こうして大容量の水を沸かすのに便利なので携帯しているのです」
「携帯できる物には見えないんですけど……まあ、便利ならいいですよね」
ちなみになんで収納できるかですが、私にも分かりません。
まぁ入れられる種類の数こそ限りがあるものの、同じ物なら何十としまえるので、そういう仕組みなんでしょう。
神様風に言うなら、「元々はチート用に拡充してある
残り少ない人類としての特権ですよね、言うなれば。
「にしてもまだるっこしいわねー。いちいち風で煽らなくったって、火炎魔法でパーッとできないの?」
「完全に沸騰したお湯に肩まで浸かりたいなら止めはしませんが。それに、『魔法でなくてもできることに魔法を使ってはならない』――冒険の鉄則ですよ。一度魔法を使えば、それだけ魔法を使える回数は減るんです」
「うわー、ケチくさ」
ケチくさくて悪かったですね。
まあ、オリジナルやアクアはこういう概念とは無縁でしょうが。
アクアはそれこそ無尽蔵の魔力がありますし、母はそもそも一発しか魔法を使えませんから。
「はー……あそこは私の聖地なのに……世の中って理不尽よね、ゼル帝?」
「……ちょっと待って。連れてきたんですか、その鶏?」
「当たり前よ。私が旅に出てる間、ゼル帝にひもじい思いをさせ続けろって言うの? 駄目よそんなの!」
「…………次の街にも入れませんね、これは……」
「なんでよー!」
そりゃあ軽くテロだからです。
オリジナルの爆裂癖だけでも厄介なのに、そんな戦略級めざましまで連れてマトモな街に入るなんて出来ません。
ぶーぶー喚きながら私の肩を揺らすアクアを肘で制しつつ、私はそわそわと落ち着かない様子の母を見る。
「父さんのことが気になりますか」
「あ、いえその」
「お気にせずとも。昔から、父さんが居ない時はずっとそわそわしてましたから」
声でも聞けば安心できるだろうかと、私は懐から例の装置を取り出した。
しかしスイッチを入れてもうんともすんとも言わず、微かな水音を拾うだけ。
「……? すでに着替えてしまいましたかね。しかし、父さんの服にはすべて仕込みが終えてある筈なんですが」
「水音がしていますし……温泉にでも浸かっているのでは? それなら、何も着ていなくてもおかしく無いでしょう」
なるほど。そうなると少し時間が悪かったか。
ならばとダクネスさんの方に焦点を合わせると、こちらも同じように水滴の落ちる音が聞こえてくるだけだった。
「こっちも温泉……ですかね?」
「あの、めありす。王女様やミツルギさんの方には?」
「流石にあの一瞬では……気になるんですか?」
「そ、そりゃあ、考えすぎかも知れませんけど、もしかしたら一緒にお風呂かもしれないと考えると……その」
確かに。あの王女様の強引な調子もあって、どうも引っかかる。
私がこの場に居る以上大丈夫だとは思いますが、運命とは決して不変ではないし。
「……分かりました。一応、直接確認してみましょうか。泊まっている宿まではわかってるんですし」
「ほ、本当ですか?」
「なに、『千里眼』スキルはマスタークラスですから。流石に山一つ向こうからの視認なんてあっちも警戒して居ませんよ」
まだ未来は救われていない以上、万が一にも私が生まれないとなったら困る。
もしそうなったら、私がこの世界に行った「警告」まで全て消えてしまうからだ。
そうなったら元の木阿弥。良い雰囲気になっているようであれば、それとなく水をさすくらいのことはしなくては。
「え、あれ? 私のお風呂は!?」
「勝手に入ってて下さい。水の女神にだって、火を起こすくらいできるでしょう」
まあ、少し確認するだけです。早々問題が起こるはずもない。
サッと見てきて戻るとしましょう。そう考えながら、私は山の中を駆け出しました。
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