『振り向いてはならない』
開かれた石扉の向こうは薄明かりが等間隔に並ぶ、果てない通路。集められたコンクリートの部屋とは異質の空間。まるで異世界の一部を切り抜いたようなダンジョンめいた通路。
それもそのはず、コンクリートの部屋は非常に寒かったのにも関わらず、一歩、無意識に踏み出せば少し暖かい。
心なしか皆、無言でコンクリートの部屋から出ていた。寒さに耐えきれなかったからだろう。
「……ねぇ、これ使って? 寒いでしょ? 」
真理はそっと麻奈と呼ばれた少女の肩に着ていたカーディガンを掛けた。
「え? ……あ、ありがと。あの! これ何なの? わけわかんないんだけど……」
真理に借りたカーディガンを引き寄せながら上目遣いで訪ねる。新たに不安なメンバーが増えた。当たり前だ。皆、意味がわからないままなのは変わらない。
「あたしも……よくわからない。でも、"始まってしまった"みたい」
ゆっくりと皆が出たコンクリートの部屋の石扉が閉まっていく。
「……『振り返らないでください』その言葉を守って前に進むしかないわ」
麻奈は彼氏の要二を見つめ、頷いた。
……不安を抱えながら真理は歩き出した。他のメンバーも無言のまま歩き出す。それしか出来ることはない。
空調は安定している。しかし、均一に灯りが合っても奥は深く、果てしなく思える。けれど終点は絶対にある。そう信じなければ挫けてしまう。
……誰も口を開かない。『振り返らないでください』以外何もないのだから。何が自分達に待ち受けているのかもわからない。
だがただ歩くだけでは終わらない、そんな気がしてならない。ふと真理はまたあの噂を思い出す。"行方不明者がいる"噂を。きっと皆同じように集められた? 同じように歩かされた?
………"振り向いたら帰れない"?
そんな不安が過る。同じ条件ならばそれしかない。"振り向いたら"何が起きるのか。この空間に取り残される? 取り残されたらどうなる? ……わかるはずがない。もしかしたら、取り残された人がいるかもしれない。助ける?自分に助けられる? ……きっと無理だ。他人にまで気を使えるとは思えない。
そんな考え事をしていたとき、後ろから何か聞こえた気がして立ち止まった。
「な、なに?何か……」
麻奈が後ろで怯えた声を発する。皆も言葉にならない声を発し、微かにざわつく。嫌な予感がした。
「振り向かないで! 嫌な感じがする! 」
真理が前を向いたまま叫ぶ。隣にいる最初に話した気弱な少女がびくりと肩を震わせた。
「……ごめん、叫んだりして」
「い、いえ……。そうですよね。何があっても振り向いちゃ……ダメ、ですよね」
震えながら答えてくれる。しかし……。
「……振り向くなって言われようが、確認しなきゃわかんねぇだろうがよ! 」
あの脳筋男が怒鳴る。それは振り向かなくてはわからないこと。皆立ち止まってはいるものの、振り向かない。だが、一旦静まった音が次ははっきりと聞こえてきた。
──ずるり、ずるりと。
何か、重い、引き摺るような音。まるで人が這いずっているような……。
「誰だ! 」
堪え性のない脳筋男が叫ぶ。振り向いたんだろうか。みることは出来ない。みるわけにはいかない。
「あ! あ! やめろ! ああ! おまえら!
た、助けろ!! 」
──だんっ!! ずるっ、ずるっ。
倒れる音。更に重い、引き摺るような音。
「あ、あ、あ、あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………………!! 」
声と音が遠ざかっていく……。誰も何も言えなかった。恐怖が勝ったのだ。見捨てた訳じゃない。皆と離れていたのだろう。声でしか居場所の把握が出来ていなかった。けれど、そばにいても何が出来ただろう。
会話が完全に途絶えた。今更だが、誰1人として自己紹介していない。呼びあったカップルの名前しか知らない。だから、彼が誰かもわからないまま。名前などわかったところで、後悔が増すだけだ。
この状況でお互いがお互いを助けるなんて不可能としか思えない。期待などしてはいけない。振り向きたい誘惑に勝って、クリアするしかない。振り向くなとお互い言い合うしか対処法はない。
前に進むしか、帰ることは出来ない。真理は唇を噛み締めながら、震える足を前に進めた。他の面々も、促されるようにゆっくり歩き出す。そして、それに呼応するかのようにあの音が……。
──ずるり、ずるり、ずるり。
一定距離を保ちながら、ゆっくりと音がついてくる。あの男はどこに連れていかれたのだろう?音は最初と同じ。彼が引き摺られたときの重さはない。
──ずるり、ずるり、ずるり。
止まってはいけない。歩き続けなければ、終わらない。恐怖による脂汗で、この季節に背中はべっとりしてくる。早く、速く、速く歩かなければ早くこの痛いくらい響く心臓を静めたい。
……暫くすると、少し慣れてくるのが人間だ。一定距離から付かず離れず。振り向かなければ追い縋って来ない?だからといって、立ち止まるわけにもいかない。
──ずるり、ずるり、ずるり。
皆付かず離れず、先に歩く真理の歩調に無意識に合わせている。だから変わらない。人の心理とはそういうもの。見えているものに同調し、自らを主張しないことで危険を回避する。恐怖から逃げる最善策だ。誰かが冷静であれば、それに合わせる。……取り乱さなければ。
「……ねぇ、ねぇってば! 出口まだなの?
早く帰りたい! 」
無言に耐えきれず、麻奈が声を荒げる。気持ちはわかるが、答えなど誰も持ち合わせてはいないし、誰もが知りたい。誰もわからないからこそ誰も何も言わない。
「うるせぇよ! 解ってたら誰か説明してるだろ! 」
彼氏の方が頭は回るらしい。
「もうやだ! 耐えらんない! 疲れた! 」
……また、嫌な予感がした。麻奈が止まって駄々をこね始めたようだ。
「歩かねぇと終わるもんも終わらねぇよ。
歩け! 」
「やだ! やだやだやだ! 」
痴話喧嘩が始まった。……不安が過る。あの気味の悪い音がしない……。皆で歩いていたときは聞こえていたのに……。
「あれ? 変な音しない。やっぱ、歩くと聞こえるだけなんじゃん? 」
果たしてそうだろうか?
「……あ。な、にこれ………。い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 」
──だんっ!
また倒れる音がした。
「痛! やだ、やだやだやだー!! 助けて!
」
──ずるり、ずるずる……。
引き摺られる音。麻奈が振り向いた! 皆がそう確信した瞬間……。
「や、やめろ! 掴むな! 」
「よ、洋二ぃ!! 見捨てないでぇぇぇぇ!! 痛い痛い痛い!!! 」
聞きたくない。耳を塞ぐしかない。
──ガン!!
「だっ!!! は、離せ!!! 俺は振り向いてないの!!! に!!!! 」
──ずるっずるっずずずずず………。
二人分の体重で動きが鈍い。
「何なの?! やだやだやだ! やだやだやだ! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──!! 」
「う、あああああぁぁぁぁぁぁ──!!!! 」
………二人の声が少しずつ遠ざかる。麻奈が音の主に捕獲され、必死で彼氏にしがみついて離れなかったのだろう。振り向いた相手の近くにいても巻き込まれてしまう……。
心なしか、歩調は変わらないものの、三人の距離が開いていく……。
忍び寄るものに体重も体格もない。振り向いた者は皆同じ末路、そう思わざる得なかった……。
(佐倉…………! 助けてよ…………! )
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