明かされた正体と信念

「はぁ? それはこっちの台詞よ。バカなの? 死ぬの? じゃぁ、殺してあげる」


俺は何が何だかわからないまま菖蒲さんを見ていた。俺は何をしてるんだ? ここにいたら巻き込まれる。そう確信しながらも動けない。

ふと俺の体が浮いた。何かにぶら下げられているような……。視線を動かすとそこには──しなやかな体躯の綺麗な銀色の豹、のような生き物。


『優多さん、取り敢えずは建物の外に出ますよ』


頭に響く声はこの生き物が発しているようだ。瞳がエドガーさんと同じ優しい目をしている。彼に間違いない。けれど、この姿は一体……。

一言も発せずにいる間に、外に連れ出された。夏の夜風が急に寒く感じられる。何が起きているのかわからない。先生は菖蒲さんを"同族"と言った。そればかりが頭を反復する。


『……見ての通り、私たちは人間ではありません。彼が"同族"と言うのも一理あります。しかし、私たちは決定的に彼らと違うことがあります。彼らは人間を獲物として扱います。……しかしながら私たちは、絶対に人間を傷つけない。人間を守る存在なのですよ』


二人は"妖怪"ってこと……か?

"人間の味方"と"人間の脅威"。そんな違いがあるんだ……。菖蒲さんとエドガーさんは"人間の味方"。……先生は"人間の脅威"?

信じたくない。


『お嬢様は神聖なるお方。性格はアレですが信念は揺るぎません』


銀色の豹みたいなエドガーさんがゆっくりと首を巡らせて、菖蒲さんのいる場所を見つめる。俺もそれに倣う。


……一触即発な空気の中に、菖蒲さんと先生が対峙していた。微動だにしない二人。

最初に動いたのは先生だった。裂けた口を目一杯広げて、菖蒲さんに襲い掛かる。俺は目を閉じない。きっと菖蒲さんは、避けるか反撃する。まだよく知らないけど、俺の中で大丈夫だという安心感と、先生が相手だという不安が入り交じった。多分、エドガーさんが冷静に成り行きを見ているからかもしれない。

信じているんだ。だったら、俺も信じなきゃいけない。でも、違う何かが俺を掻き立てる。



『ボクが優多を守るから』



思い出せない記憶の女の子と菖蒲さんが重なる。どんな女の子かも思い出せないのに。

……と、菖蒲さんがギリギリの一瞬で屈み、下段回し蹴りを咬ます。先生は物の見事に転倒していた。だけどすぐに立ち上がり、距離を取りながら体勢を立て直す。


「物理は敵わないか……」


あ、確かにこの先生は科学教師だもんな……。


「物理だろうがなんだろうが、ボクに敵うわけないでしょう? 」


今度は菖蒲さんが切り出す。助走もつけずに、逆立ちからの蹴りつけ。だけど、先生は辛うじて避ける。


「ちっ! 振りがでかかったか」


素早く後退した。


「……胸がでかい割りに身のこなしは流石だな」


裂けた口で笑う。


「一言余計だっつーの! あんたなんかには武器にしないし! 」


誰に……俺は考えるのを止めた。やめる前に答えは出てたけど。

不思議だ。こんな緊迫した状況でも菖蒲さんは菖蒲さんだった。ハンドルを握ったら狂暴になるとか、そんな感じはない。……まぁ、壁破壊したり、人並み以上の俊敏さが普通じゃないけど。


「……ふふ。今日は……綺麗な満月だ。理性的に話すのは辛いんだよ」


「あんたはそーかもね。ボクは"そっち"は関係ないから」


どちらからともなく、攻撃を始める。物凄い早さで、腕や足が交差した。鈍い音がひっきりなしに聞こえなかったらわからないくらい早い。

さながら、ドラマや映画のアクションシーンを見ているような感覚がした。


……すごい場面で申し訳ないんだけど、気になってることがある。エドガーさんもなにも言わないし、先生も言わない。

菖蒲さんのパンツがミニスカートのせいで、何度も見えてるんだよ。さっきの逆立ちのときもだけど! 本人気にしてないし、胸については言うくせに先生言わないし! 俺が意識し過ぎなの?! 俺、このメンツん中で一番、真っ当じゃね?! 健康な男なら気になるだろ、アレ!

ちらりと姿形の変わったエドガーさんに視線を送ってみた。


『怖いのですか? 優多さん。でも、今しばらくお待ちください。終わりましたらお姫様抱っこで戻りましょう』


………頼るのはやめよう。本気でそう思った。


スカートが捲れて翻っている以外はカッコいい。悔しいけど男の俺が見てもカッコいい。明らかに先生が圧されている。

あ、先生……。俺は伝え忘れていた。あの"口裂け男"が俺の学校の先生だと。俺は考えた。菖蒲さんに叫ぶのが早いが、それはよくない気がする。


「……エドガーさん、あの"口裂け男"なんですけど。"口裂け女"に噛まれたうちの学校の科学の相良先生なんです」


『……情報提供ありがとうございます。でも、大丈夫ですから』


……大丈夫って、俺の考えてることわかるのかな? 妖怪になっちゃったけど、あれは紛れもなく俺の学校の先生で………。出来れば、殺さないでほしい。俺を襲おうとしたヤツだけど、妖怪になっちゃったからだと──思いたいし。授業中は普通の、女子に人気のある先生だ。


『……優多さん、困った顔をなさらないでください。我々は節操もなく殺したりしません。先ずは打開策を……分かりやすく言えば、捕獲を第一目標としています。"生態調査"が済んでいない対象を殺してしまうことは、我々にも痛手ですから』


殺すことは最終的だとはわかるけど、気持ちはわかるけど、なんか……。


『……すみません。更に困らせてしまいましたね。私はあなたの笑顔がみたいはずなのに……』


……何がしたいんだよ、この変態バイ執事は。


『……我々の目的は、"人間との共存"にあります。人間に害のある妖怪、妖怪に害のある人間は少なからず、排除しなければなりません。だからこそ、知らなくてはならない。正直……、こうやって抵抗されると困るんですよ。自我があるのなら協力して頂けないものかと……』


二人には……、人間も妖怪も関係ないってことなのかな?

……俺の考えが迷走しているってことはわかってる。信じたくない気持ちと、目の当たりにしている真実。先生だって苦しんでるはずなんだ、きっと。あんな……何もかもを諦めたような思いを払拭出来る打開策はないのかよ?先生が理性失ったら、手に負えなくなったら殺すとか、理解できないし、したくない。だって、元々人間なんだから……。


「………っ! 菖蒲さん! お願いです! "先生を助けて! "」


無意識に俺は叫んでいた。ハッとして口を塞ぐ。なんで俺……。俺以外の、菖蒲さんと先生、エドガーさんが俺を見た。それは当然のことで。


『優多さ……』


「……ボクを見くびらないでよ、優多! 」


エドガーさんの台詞を打ち消し、不適に笑う菖蒲さん。


「……なん……ナン……で……」


ギリギリの、本当にギリギリの理性で、先生が狼狽えた声を発する。


「ちゃぁんと聞こえてんのよ! こんな風になっても! 自分にすがってんでしょ? あんた?! 諦めるの早くない?! 諦めたら試合終了だってのよ! 」


……え? 菖蒲さんは"殺してあげる"って……。エドガーさんは"大丈夫です"って……。何がどうなって……? 殺さ……ない、ってこと?


菖蒲さんは叫びながらも攻撃を緩めない。先生も動きは変わらない。だけど、さっきまでの殺気は感じられなくなっていた。……先生の顔に焦りを感じる。俺の言葉、届いたのかな?


「強気だったのにもう弱腰かしら?! 」


「そんなコト……あるワケナイ! 」


あれだけ避けていた先生が、ガードするのに精一杯だ。余裕さえも、感じられない。


俺はそんなに先生のことを知らない。そりゃそうだろ? 授業でしか絡まないんだから。接点さえあればもう少しくらい知っていたかもしれない。

相良先生からしたら、見た目以外にも、成績とかで俺を知っていただろう。けど正直、科学が飛び抜けて好きなわけじゃないから絡まない。申し訳ないが。

だからって、見棄てたくはない。けど、俺は無力だ。この状況下では、俺みたいな人間に何も出来るはずねぇじゃねぇか。人間相手なら、そこそこ自信はあるけど。……女の子にモテモテは羨ましい。心底、羨ましい!いや、それは関係ねぇな……。

錯綜しながら、俺は固唾を飲んで見守るしかなかった。


……迷走していたら、俺は気がついちゃいけないことに気がついてしまった。


《一番カッコいいポジションは菖蒲さん》


……待てって。こんだけ男いて、菖蒲さんがカッコいいっておかしいだろ。そんなことは、この際いい。考えても始まらないし、終わらない。


気になるのは、先生。何で急に反撃って言うか、攻撃しなくなった? 授業もマイペースで、女子に囲まれても変わらずにマイペースを通してたはず。あれじゃまるで俺の言葉に狼狽えてるみたいじゃねぇか、タイミング的に。理性が本能と闘っているような……。


……迷走している間に、事態は急変していた。

やけに静かに………。


「……え? 」


先生が固まったように上空を見つめている。先生の目の前にいたはずの菖蒲さんがいない。


どこへ?


俺は先生の視線を追った。その先にいたのは……………。


「菖蒲……さん? 」


月に向かって高く舞い上がった菖蒲さん。あまりにも綺麗で見惚れてしまう。月に浮かぶように、空中で停止すると、月をシルエットに妖艶に微笑む。金色に髪の色を写したような、優しい色の瞳がこちらを見つめていた。


ゆっくりと降下し始める。驚愕に見開かれて動けないまま、菖蒲さんの接近を許していた。


「……さぁ、身を委ねなさい」


菖蒲さんの瞳が愉しそうに細められた。ゆっくりと、時間がスローモーションになったかのように感じられた瞬間……。

……あまりに綺麗な光景。菖蒲さんが、先生の首筋にキス……した? え……? どんな状況?でも、それだけじゃなかった。先生が…先生の血走った目が元に戻る。いつもの……イケメン……面に……。口は裂けたままっていうシュールな状態なのに、目鼻だけでもイケメ……やめよう、これ以上は。

……先生はそのまま、後ろに倒れていく。首筋から糸のような赤い線が二本、流れた。あれって……なんだろう。菖蒲さんの口の端も、少し赤かった。

俺は多分……、頭ではわかっていたんだ。でも、心で信じたくない思いがあったから。先生が倒れてすぐ、俺の思考回路も停止した。


「優多?! 」


近いのに遠くから菖蒲さんの声が聞こえた気がする。でも、俺は限界だったみたいで。そのまま、意識を手離した。


◆◇◆◇◆◇◆


…………あれ?何か柔らかい………?丸みを帯びたものに視界を遮られている。触れたら、わかる?


「!? 優多?! 目が覚めたのね! 」


この声……菖蒲さん? まだ明確ではない頭を動かす。丸みを帯びたものが……顔面を覆った。


「!? 」


い、息が出来ねぇ! でも、前にもこの感触……。バタバタと手足を動かし、抵抗を試みる。


「んー! んー! 」


窒息する! 窒息する! 明らかにこれは菖蒲さんの胸だ! 柔らかいし、良い匂いだけど、死ぬ! 死ぬ!


「……お嬢様、下を向いたら優多さんが起き上がる前に失神しますよ」


いつものエドガーさんの声。


「あ、そっか」


菖蒲さんが状態を戻す。俺は転がるように……落ちた。


「だっ! 」


頭を擦りながら振り返ると、事務所のソファーだったらしく、菖蒲さんが座っている。ギリギリ机に当たらなかったのが、幸運だ。


てことは……俺、菖蒲さんに膝枕されてたのか! 状況を把握し、みるみる赤面した。

起きた俺の顔色見ようとしたら、胸が邪魔したと。……けしからんってこーゆーことか。


一気に目が覚めた。


「あ! 先生! 」


相良先生はどうなったんだ?!


「あの方でしたら、空き部屋で寝ておいでですよ」


「先生、生きてるんですか?! 」


「……あんたが助けてって言ったんでしょーが」


大人びた風貌の菖蒲さんが、タバコを加えながらため息をつく。すかさず、エドガーさんがホスト並の優雅さで火をつける。……絵にはなるけど何なんだよ、これ。


「……もやもやでしかわからないんです。説明、してくれますよね? 俺は逃げも隠れもしません。多分……、これからも同じことが続くんでしょうから、納得する説明がほしいです」


俺の選択肢は一つしかない。合っても、この選択肢しか選ばない。出会うことが運命だったって思ったら、怖くても前に進める、そう思いたいから。


菖蒲さんとエドガーさんは顔を見合わせながら、黙った。ただの破天荒な人じゃないことくらい、痛いほど痛感している。

理由なんてホントはどうでもいい。……迷惑でもなんでもいい。ここにいたいって思ってしまったんだから仕方ねぇじゃん。人間とか妖怪とか、差別感情なんてない俺が必要だって思われたいだけなんだ。

……普通の生活に飽きただけかもしれないけどな。


「……話すのは、纏めた方がいいわね」


菖蒲さんの視線の先を目で追った。そこには、空き部屋から出てきた相良先生が。


「……何故殺さなかったか聞かせてくれるのか」


……まだ夜なのに口は裂けていない。


「取り敢えず座りなさいよ。優多はこっち」


ソファーをぽんぽん。確かに理性ぶっ飛び掛けてたとは言え、襲われ掛けたから先生の隣は嫌だし。大人しく菖蒲さんの隣に座ることにした。


「……ま、あんたを殺さなかったのは必要がなかったのよね。あんた程度を殺してたら、今後に響くし。ボクたちの仕事は、"妖怪と人間の共存"。そのためには"こちら側"を把握するための地道な捜査が必要なわけ。殺すなんて簡単よ。……人間も妖怪も、ね」


先生が目を見開く。


「……何か? 俺は最初からあんたに勝てる見込みすらなかったって話か? 」


睨むように菖蒲さんを見る。


「そうなるわね」


先生は悔しそうに唇を噛み締めた。


「だからって、簡単にあんたを捕縛出来るわけではなかったわ。完全に理性を失っていたら、……殺すしかなかったでしょうね」


冷めた瞳で先生を見据える。


……俺は気になっていた。先生は妖怪にされて自暴自棄になっていたのは確かなはず。何だか違和感があった。先生は………死にたかったんだろうか。もしかしたら、殺されたかったのかもしれない。俺は先生じゃないからわかるわけがない。でも、そんな気がした。


「……死にたがりをほふる趣味はないの。てか、半妖程度くらいなら何とかなるのよ。あんたには、貴重な"ボクの血を分けてあげた"んだから感謝しなさい。あの時点であんたはボクの眷属になった……。こいつと同類ってことよ」


顎で示した先にいたのは、エドガーさん。エドガーさんは恭しく一礼した。


「エドガー・クロフォードと申します。……私も菖蒲お嬢様の血で理性を保てるようになったんですよ」


菖蒲さんの血……。


「てことで、あんたは妖怪の力を有したまま、自制の利く存在になれたの。これからはボクの下僕として働いてもらうわよ」


愉しそうに笑う。


「げ、下僕?! 」


……下僕って単語好きだよな、菖蒲さんって。


「……下僕とは言いましても、妖怪としての活動タイムに協力して頂く程度ですよ」


「当然の見返りよね」


先生がぷるぷるしてるんだけど。


「……先生」


俺は徐に立ち上がる。先生ははっとして俺を見た。


「俺、まだちょっと先生が怖いです。おかしい話だけど勉強は好きなんで、今まで通り講義してください。そして、……関わっちゃったんですから、とことん関わっちゃいましょうよ。生まれ変わったつもりで」


手を差し伸べる。


「……そう、だな。その……すまなかった。咲良への償いのつもりで協力するよ。真逆の発想が出来たんだから、何でも受け入れていけるだろうしな」


先生はしっかりと俺の手を握った。俺も握り返す。菖蒲さんはと言うと、ちょっと腑に落ちない顔をしていた。だけど何も言わない辺り、渋々納得してくれたんだろう。


「……優多さんに助けられましたね。お嬢様の言い方では、本心が伝わりにくいですから」


「ちっ。うるさいわね」


エドガーさんが笑っている。菖蒲さんが照れたようにそっぽを向く。俺には聞こえなかったが、エドガーさんが何かフォローしたんじゃないかな。


「あ、菖蒲さん。今更なんですけど聞いていいですか?まだ答えてもらってないし」


「ん? 何? 」


「菖蒲さんって妖怪なんですよね? 一体、何の? 」


……1拍間が空いた。


「……吸血姫よ」

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