第2話 プールには秘密がある

次の日。


 夏はより一層夏らしさを増し、クーラーのない教室のムシムシした空気は、生徒達から意欲だとか行儀の良さだとか、自制心といった様々なものを奪っていく。開け放たれた窓からは、風が吹き込むというような事は一切なく、校庭からかすかに聞こえる体育の喧騒が、ことさら学習意欲を奪っていく。


 夏に風紀が乱れがちなのは、開放的な気持ちになるから、ということばかりではなく、持てあました時間を急きたてるように暑さが追い打ちをかけ、「なんだかやってらんないよ!」という気持ちが臨界点を超えてしまい、衝動的にバカな事をして発散したいというような、そんな理由もあるに違いない。ハメを外すのは気が大きくなった時か、追いつめられてヤケクソになった時のどちらかと相場はきまっている。

 昨日までの僕はそういう生徒達の一人だった。とりわけ水泳部を辞めてからは、チャイムが鳴るたびに今日はどうやって退屈をやり過ごそうか、とそればかり考えていた。それに、そういう状況にイライラもしていた。

 でも今日は違う。放課後が待ち遠しかった。これまで一度も味わった事のないほど待ち遠しかった。


不思議な少年ツツカナは予告どおり転校してきた。


残念な事に僕のクラスではなく、「そこに運命はなかったのか!」とがっかりもした。しかし、一限目の終わった休み時間に、ツツカナは僕を探しに来てくれて

「放課後、学校を案内してくれるかな。」と言ったのだ。もちろん、二つ返事でOKした。

 彼の登場で、僕の夏は退屈とは無縁のものに変わる。そう確信していた。


 昨日、ヘンテコで不思議な出会いの後、彼は「タオルとジャージのお礼に、君に秘密を教えよう」と言い、いくつかの事を教えてくれた。彼の仕事は”不思議”を封印することだそうだ。

「不思議っていうのは、不思議としかいいようのないもののことだよ」ツツカナは言う。

「昔は、そこらじゅうにあって、それに遭遇した人が、自分達に理解しやすいように、妖怪やら産土神という形を与えて、祀ったり、逆に忌み嫌ったりしてたんだ。今はだいぶ数が減ってるけど、それでも、まだ時々なにか悪い事をしでかしたりする。僕の役割はそれを封印したりお清めしたりすることなんだ」

「つまり、君の仕事は妖怪退治ってこと?」

「少し違う。妖怪というのは”不思議”の呼び名の一つだよ。不思議なものを見て、それが何か、名前も解らなくて、理解できないままだと人は不安になるでしょ? 不安は恐怖より厄介やっかいなんだ。恐怖はそれと解っていれば、我慢も克服もできる。だから人は不思議な何かに恐ろしげな名前や形を与えて、対処可能にした。それが、たとえば妖怪っていう概念がいねんだよ」

「良く解らないけど、それで、綾南中学に、その不思議が居るってのかい?」

「うん。’る’、なのか’る’、なのか、まだどっちかわからないけど。不思議は、学校や博物館、大きな図書館なんかに出やすい。古いものがあって、人が大勢あつまる場所。そういう所だね。人の居ないところに不思議は生まれない」そう言われれば、学校というのはとても人口密度の高い場所ではある。

 不思議の話をする時、ツツカナは妙に饒舌じょうぜつというか手慣れた説明口調で話した。そのことは、彼がそれを「仕事だ」という話に説得力を持たせていたし、何より、僕は自分の目で不思議を見ていた。だからツツカナの言うことを疑いようもなく信じた。ジャージと引き換えという、ずいぶんと安い「秘密」ではあったけど、僕は信じた。



 待ち焦がれた放課後、僕は、ツツカナの居る2年4組に向かった。彼は僕を見つけると、「やぁ」と言いながら教室を後にする。制服は学校指定のブレザーに変わっていたが、持っているカバンは昨日と同じくピッチリしたカバンだった。帰り際、4組の女子に「筒井くん、さようなら」と声をかけられていた。

「君、本名は筒井っていうの?」

「いいや、本名はツツカナ。でも不自然だから、筒井カナタって偽名を名乗っている」本名が筒井であだ名がツツカナじゃないのか。なんだか煙に巻かれてるような気もする。

「今の子は?もう友達できたの?」並んで歩き出しながら、そう聞いてみた。

「名前は知らない」その答えを聞いて、少しホッしてしまった。理由はうまく説明できないけど。

「それに僕は友達を作る気はない」そう、素っ気なくツツカナは続けた。その声音に酷薄こくはくなものは含まれてはいなかったが、ひどく落ち着かない気分にさせられた。

 僕はどうなんだろうか。もう友達なんだろうか。友達になるための儀式のようなものは、既に昨日済ませてしまったような気がする。困っている彼を助け、ジャージを貸した。ちょっと汚されもした。それと引き換えに秘密も教えてもらった。

 それで友達認定されていないのだとしたら、次はどんなキッカケを待てばいいのだろう。




 僕がぐるぐると頭の中で考えを巡らせているのを余所に、「まずはプールに行こう。一番水が多いのはそこだからね」とツツカナは言いだした。

「え?」

不意打ちを食らって、一瞬たじろぐ。今、一番近寄りたくないのはプールだった。


「プールに案内してほしい」

「…給水塔も水が多い。屋上にあるんだ。そっちの方が近い」

「給水塔も後で案内してほしいな。まずはプールに行こう」

「……」

「どうしたの?なにか問題があるのかい?」

「問題などあろうはずがない」なんだか妙な喋り方になってしまったが、意を決する。どのみち、ずっと避けて通るわけにはいかないのだ。むしろ早めに片づけてしまう方がいいのかもしれない。


「プールな。まかせろ。僕は水泳部だったから」

「だった?辞めたの?」

「まぁ、一身上の都合ってやつで」

適当にごまかして、先導するように先に歩き出す。


 1階に下りて、3棟ある校舎をつないでいる敷きの渡り廊下を途中で曲がり、校庭の端にあるプールに向かう。

急にセミの鳴き声が大きくなったような気がする。

 水泳部が練習しているはずの時間だが、喧騒が聞こえてこない。慣れ親しんだ、塩素混じりの独特な匂いもしてこない。更に近づくと、金網張りになった基部のところで、体育の所沢先生がしゃがみこんで何か作業していた。


「先生、何されてるんですか?」ツツナカが迷いもせずに話かける。

「ん、成田か。と、君は誰だっけ」

 僕はこの先生があまり好きではない。

生徒が先生に名前を覚えてもらえていない、という事実を知った時に、どう思うか、というような事なんか全く考えもせずに、こういうデリカシーのない聞き方を平気でする。体育の教師というのは大抵がこの手合いだ。

「僕は今日転校してきた筒井です。よろしく」そういってツツナカは握手を求め、右手を差し出す。

「あ、ああ」

生徒に握手を求められたのなんか初めてであろう所沢は、少し変な表情をしたが、それでも握手に応じた。ツツナカのペースだ。いい気味だ、と思った。

「それで、何をしてるんです?」

「これか。鍵を変えてるんだよ。ちょっと前にプールの水が抜かれるいたずらがあってな。排水溝を開けるハンドルがこの金網扉の向こうにあるんだが、実は鍵がとうにバカになってたんだよ」

知ってる。

 水泳部の部員なら全員知っていた。夏の終わりに、プールの掃除をして水を抜くのは水泳部の仕事だったから。

「プールに水が張ってないようですけれど」ツツカナが鼻をくんくんとさせて聞いた。匂いで解ったらしい。

「ああ、検査というか、補修が入る事になってな。終わるまではプールは閉鎖だ。水が抜けたのは、排水口が壊れてるからじゃないのか、と騒いだ父兄がいるらしい。3年前に生徒が溺れる事故もあったし、設備が古いのは事実だしな」

「水泳部は?どこで練習するんですか?」僕は気になっていた事をきいた。

「近隣の中学で、一緒に練習させてくれるところを探すそうだ。ま、すぐ見つかるだろうよ」

心底ホッとした。練習ができなくなるわけではないらしい。長時間泳ぎこみが出来る夏場は貴重な練習時間だ。それがフイになっては相当な痛手だ。

「そういえば、成田は水泳部だったよな。お前、何か知らないか?」

「何かって?」

所沢がひじでついてくる「水を抜いた奴の心当たりさ。水泳部なら、鍵が簡単に開けられるのは知ってるだろう。練習さぼりたい奴がやったとか、そういうのじゃないのか」

こいつは本当にデリカシーがない。

「さぁ、知りません。排水溝が壊れたんじゃないですかね」

僕は、これ以上、この場に居たくなかった。

「ツツカナ。行こう」彼のひじを掴んで連れて行こうとすると、彼は反対側も見ていこうと言って歩き出した。



「ジャージャーには鍵なんて無駄なんだけどな」

「いや、あの事件はだれかのイタズラだよ。ジャージャーとは関係ない」

「でもここには、不思議の痕跡があるよ。匂いのようなものが」

「いや、関係ないよ。鍵は誰にでも開けられた。ジャージャーじゃなくてもね」


ツツカナはプールの校舎に面していない方の側に回り込むと、おもむろにしゃがんで何かし始めた。


「何してるの?」

り塩。古いおまじないだよ」見ると、正方形の小さな白い紙に、塩の山を作っていた

「これでジャージャーが倒せるのかい?」

「いいや。でも残ったカケラのようなものをお祓いできる。些細なことだけど、やれることはしておかないとね」そういいながら、彼は慎重に塩の山を成形していく

「ツツカナは真面目だな」

「後悔したくないだけだよ」

「僕は後悔してばっかりだよ」

「取り返しがつくものなら、努力はした方がいいと思うよ」

「やっぱり真面目だ」

「自分より大きな敵に勝つための武器は、真面目さしかないんだ」盛り塩に納得がいったのか、彼は立ち上がった。

僕は、なんだかいたたまれなくて、早く話を切り上げたくて、この場から離れたくて、言った。「さ、もうひとつの場所に行こう。給水塔だよ」

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