番外編 奇人の流儀


 反撃の狼煙作戦から10日後のキャピタル駐屯地は日常を取り戻しつつあった。


「いいか! リボンを使う際には手首を意識するのだ! こうだ、こう!!」

了解ヤー!」

「そして利き腕、利き脚ばかりに頼ってはいかん、己の全身を余す事無く使い、制御し、初めてパワードスーツを使いこなせるのだ!! この様に! この様に!!」

了解ヤー!」


 窓越しにある何時も通りの訓練風景を気にするでもなく、コウタロウは回転式の丸椅子に腰掛けながら、細長い老人と相対していた。


「700匹の兵隊蟻の中で独り残って、よく五体満足で帰って来たよねえ、君」

「本当に生き残る事で無我夢中でしたよ、『オーガ』の性能に助けられた様なもんです」

「そう言ってくれると、開発者冥利に尽きるねえ」



 イマイチ用途が解らない実験器具と筆立て程のパワードスーツの模型が、部屋主の脳内同様に混沌としている。

 そんな手狭な室内のすみ、趣味と実益を兼ねたお手製パソコンが置いてあるデスクに居座る老人こと、ヘンリー教授は置いてあるポットからコーヒーを300mlビーカー2つに注ぎ、1つをコウタロウへと手渡す。

 コウタロウは軽く礼を言うとコーヒーに満たされた300mlビーカーを受け取り、口に軽く含んだ。

 旨味が混じった苦味に伴って冴える香りが鼻腔を満たす。

 ――美味しい。

 苦さと旨味って共存できるものなんだな。

 コウタロウは心地よい熱を伴った飲み心地に一息吐いた頭でそんな事を思う。

 まだ療養中の身である己が「ちょっと血液欲しいから来て」と呼び出された時はどんな目に遭うかと胆を冷やして、人間が抜かれても平気な血の量を調べたりもしたが、杞憂だったらしい。

 ユーリー隊長から貰った小型の緊急警報装置を鳴らす必要は無いようだ。

 ヘンリー教授のデスクには、コウタロウから抜き取られた血が入っている採血管が一本、試験管立てに収まっている。


「美味しそうに飲むねえ」

「いや、本当に美味しいですよ、これ。やっぱり、値打ち物なんですか?」

「まあ、ほどほどにはね。君の献血分の報酬さ」


 だとしたら今日は本当に得をした。

 少しくらいヘンリー教授を褒めてもバチは当たるまい。

 コウタロウはコーヒーの香りを楽しみながら、再び『オーガ』を褒める事にした。


「『オーガ』を量産しちまえばアイツらなんか目じゃないですよ」

「うーん……みんな君並みのバランス感覚が無いと無理かな。『オーガ』って実はデータ収集も兼ねてワザと操作性を極端にしてるんだよね。現に『ファイター』より装着してて疲れるでしょ?」

「――確かに」


 ヘンリー教授に言われて反撃の狼煙作戦終盤で気絶した己をコウタロウは思い出す。

 コウタロウの反応にヘンリー教授は苦みを含みながら口の端を僅かに釣り上げた。


「兵器って言うのは使い勝手の良さも大切な要素だしね。そう言う意味では、『モノノフ』がトータルバランスとして個人的にはいい出来だと思うんだよねえ。本格的な量産化に早く漕ぎ着けたいんだけど――」

「――共同開発だから、権利関係とかが結構複雑なんですか?」

「まあ、お約束だけどね……トゥレー島の奪還作戦には間に合わないなあ……あーあー、いっその事!! 五つ葉の兵器部門がPBCに吸収されれば良いのに!」

「まーたこの人は過激な事を」

『必要ならば、私が情報を秘密裏に取って来ましょうか? ――冗談ですけど』


 突然の感情の色が無い女性の声にコウタロウが慣れた様子で周囲を探る。

 声の方向をした方へと振り返ると、乱雑に置かれている実験器具の陰に機械仕掛けのクモが立体ホログラムの電子書籍を読み漁っていた。


「マリー、ヘンリー教授の部屋で何してんだ、危険だぞ?」

『興味のあった書籍をヘンリー教授にお願いして、購入していただいたんです。コウタロウも読みますか?』

「うーん……俺、図鑑とか絵本以外の本読んでると眠くなるんだよなあ」

「コウタロウ君、大丈夫かい? 君、近々軍曹になるんだろ」

「ふふふ、そこは秘密の特訓中なのですよ」


 コウタロウは不敵に返事を返しながらマリーから電子書籍の端末を受け取る。

 ――AIの興味が惹かれる本ってなんだろうか。

 収録されている本の題名に目を通してみる。どうやら実用書の類らしい。


『幼馴染の幻想』

『略奪愛のすゝめ ~~愛は終わりなき闘争~~』

『真・光源氏計画 ―if―』

『ハウッ!?=痛』


「……マリー、一体何を読んでるんだ……」

「人間の恋愛感情と人工生命に対する考えについての勉強を。他意はありませんよ。――今は」

「自由を満喫してやがる……」

『私は嘘を吐きません――コウタロウ、今後のエメリとの参考にこれを』


 マリーはコウタロウが手首に巻いている端末に一冊の電子書籍を転送する。

 転送が完了するとコウタロウは早速、本の内容へと目を通し、固まった。


『男女の肉体を通じてのスキンシップ技術について解説を含んだ漫画です。これならば貴方も読み易いでしょう』

「うん……いやまあ……参考には、なるかな……」


 コウタロウは貰った電子書籍にパスワードかけて端末の記憶領域に収めた。念の為フォルダ名を「物理化学」にしておく。

 そしてエメリの名が出た事に、ヘンリー教授に一度聞いて見たい事があったのを思い出す。

 エメリの様子からして大した事ではないのかもしれないが、コウタロウ個人としてはどうしても気になっていた事だ。

 再びヘンリー教授の方へ向き直ると、球体になったマリーがヘンリー教授が腰かける椅子の下へと転がる。

 自分の元へと戻って来た幼い子供を抱きかかえる様な仕草でヘンリー教授はマリーをゆっくりと拾い上げた。


「――ヘンリー教授、教えて欲しい事があるんですけど」

「うん、何かな?」

「『ディヴォーション』って、どうやって超能力開発してるんですか?」

「へ、超能力開発について知りたいのかい?」

「今更な話ではあるんですが、気になっちゃいまして」

「――ふむ」


 コウタロウから突如投げかけられた疑問にヘンリー教授は手で顎を弄りながら考え込む。

 ――やはり、機密なのだろうか。


「よし、それじゃあ、みんなより少し先になるけどコウタロウ君には先に教えちゃおうか!」

「軽!?」

「実は君たちが近々入る、ロックフェラー君の私兵ぶ……じゃなくて、新設部隊は『ディヴォーション』と以前より関係が深くなる事が決まってね。それに合わせて話す積りだったのさ」

「なるほど……」

「知りたいのはやっぱり、エメリ君の事で?」

「――はい」

「若いっていいよねえ」


 ヘンリー教授はそう呟きながら、机の引き出しから掌に収まる大きさの小瓶を取り出して、コウタロウに手渡した。

 コウタロウが受け取った小瓶を注意深く観察すると、透明なピンク色に満たされた液体の中、米粒サイズに動く白い糸を見つけた。

 その何かは不規則に小瓶の中を泳ぎ回っている――生きているのだ。

 唾を飲み込む音がコウタロウの喉から鳴る。

 己が生存競争を繰り広げている巨大な蟻とは違う。人間の本能としての嫌悪感が体に走る。


「これって……虫、なんですか?」

「それがエメリ君達を超能力者にした正体だよ。私達が地球時代の遺産として残っていた技術から完成させた――『シンチュウ』って私たちは名付けた」

「こんな物を、エメリ達の体の中に!?」


 コウタロウの声色が荒げるのを他所に、ヘンリー教授は落ち着いている。

 自身の頭に血が上りそうになるのを自覚しつつ、コウタロウはヘンリー教授の目を見つめた。

 奇人と呼ばれる研究者の目は若者の義憤を正面から受け止める。コウタロウはそこに確かに理性の色がある事を感じ取った。


「コウタロウ君、君の怒りはもっともだ、だからこそ、ちゃんと説明させてくれないか」

「――お願いします。納得させて下さい」

「ありがとう、まず、先に説明させて欲しいのはこの『シンチュウ』はその小瓶の中の液体か若い女性の体内でしか生きていけない脆弱な生物である事だ。寿命はきっかり3年間。死を迎えると宿主の体内で朽ちて分解する。軍の任期に合わせて私達がそう調節した」

「体への悪影響は無いんですか?」

「無い。正確には安全性を確かにするまで私達が実験を行った。ただ、それでも現状の限界としてエメリ君の様な若い女性にしか寄生出来ず、発言する能力が完全にランダムなんだ」

「つまり、技術としての安全性は最優先にしていると?」

「ああ、その為に私なりに心血を注いだよ」


 ヘンリー教授が確信を持ってコウタロウに答える。


「――科学者、取り分け生命に携わる者は大なり小なり、倫理と向き合わなければならなくなる。真正面から向き合う者、目を逸らして騙し騙しでやり過ごす者、開き直り倫理を捨て去ってしまう者もいる」

「……ヘンリー教授はどれなんですか?」


 自分の膝に乗せていた球状のマリーを慈しむ様に撫でた。


「私の場合は、目を逸らそうとしたら結果的に大切なものを失ってね。嫌でも向き合わなくちゃならなくなったよ」


 寂しさを隠す為にヘンリー教授が微笑を浮かべた。




 コウタロウが部屋から退出したのを見届けると、マリーが球状のまま床へと転がり落ち、クモ型に形態を変えるとヘンリー教授を見上げた。


『何故、超能力開発が企業上層部からの強い依頼であった事を言わなかったのですか?』

「――そんな事を言っても、私がした事は変わらないからさ」

『環境及び背景を言い訳と断じてしまえば、結果論による暴論を許す事になります。――それは倫理に外れる事ではないのですか?』


 マリーが何気なく尋ねるとヘンリー教授が虚を突かれた様に呆け、口を閉じ、徐々に笑い始めた。

 ヘンリー教授が急にマリーを両手で抱え上げ、持ち上げた。年齢的に厳しいのか少し腕が震えている。


「ハハハハハ、君に諭されてしまったか! 凄いな! 凄いよマリー!! 君はちゃんと成長しているんだ!!」

『ヘンリー教授を筆頭にアーク内の優秀な頭脳を集結して出来たのが私ですから――そう言う意味では、ヘンリー教授は私のパパと言えるでしょう』

「――パパ?」

『はい、パパです。ヘンリー教授。今の貴方からは喜びと感動が混じった脳波を観測出来ます。それこそ、親が子の成長に驚き、喜ぶ様な』

「……そうかい」


 ヘンリー教授はマリーをゆっくりと床へ卸すと、自分が羽織っている白衣のポケットから目薬を取り出し、眼鏡を外した両目へ複数回点眼する。


「あーー……さし過ぎて目がヒリヒリするね」

『そんなに点眼するからです』

「本当だね……涙が出て来てしまったよ……」



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