番外編 路地裏から見る夢
――またこれか。
アークの居住区域の外れ、工業区域の更に奥、そこには軍と企業が設けた身分を証明出来れば簡単に出入り可能な境界線があり、超えた先にはならず者と浮浪者が巣食っていた。
通路の至る所に廃材で出来た粗末な建物が無秩序に並び立ち、貧相なボロを纏った者や、自分の体に穴を開けて金属を埋め込んでいる変わり者達の人波がウィルを飲み込む。
彼らの格好と比べるとウィルの軍用ジャケットを羽織っている姿は返って不釣合いな程に浮いていた。
しかし、ウィルに目をくれる者は誰もいない。
ウィルも誰を見るでもなく、様々な汚れが染み付いた通路を目的も無くさ迷い歩く。普段のひょうきんな表情はどこかに消え、代わりに浮かべるのは罪に苛まれる悲痛な男の顔だった。
――どうせ今まで通りあの場所に辿り着く。
諦めと恐れ、そこに飽きを混ぜた足取りで自分達の巣だったボロ小屋に辿り着く。
――ここからでも死臭がする。
セキュリティも充たせない壊れたドアノブを何時も通りに回した。
小屋の室内は不思議なほどに何も見渡せない暗闇に染まっている。
ウィル自身が開けたドアノブから辛うじて、玄関口周辺に光りが差し込む。
光が玄関口に血溜まりと壁に飛散した血痕を照らす。差し込む光が照らす血溜まりの中央には鮮血に塗れながらも突っ立つ子供達の裸足が見えた。
「はらへったよ、ウィル兄ちゃん」
――気がつけば何時も通り、兵舎内の自分のベッドから跳ね上がる様に起きていた。
汗と動悸の止まない自分とは正反対に、深夜になっている駐屯地は正しく真夜中の静寂に包まれている。
「……久しぶりに見たな」
このままもう一度寝れる気分には、とてもではないがなれない。
タンクトップと下着だけの格好からカーゴパンツを履いて、ベッドを降りる。
部屋の同居人であるベニーが下のベッドで意外にも行儀良く熟睡していた。
「……こう言う所で、育ちが出るのかね?」
取り敢えず、悪夢から現実に戻った事を実感しなくては。
ウィルは部屋を抜け出し、真夜中の兵舎を散歩する事にした。
消灯時間を過ぎた廊下には最低限の灯りのみで誰一人として居ない。
虚ろく足取りでウィルは自販機が置かれている休憩所のリビングチェアに腰掛ける。
数時間前までは人で賑わっていたのか、向きが不揃いになっている椅子とテーブルが今は孤独を掻き立てる。
陰る闇が先程の悪夢を連想させた。
鼓動の音が再びウィルの耳に聞こえ始める。
自分の両手を見つめると、当の昔に洗い流した筈の血の痕が浮かんでくる。
背筋に悪寒が走り、瞬きをすると両手から血の痕が消えた。気の迷いだ。
幻惑だった事を自覚してウィルは安堵の溜め息を深く吐く。
額から溢れる脂汗を拭った。
「……シャワー、浴びてくるか」
スラムにいた時と違い、今は安心して簡単に気持ち良く体を洗える。
その事がとても在り難く、少しだけ行き場の無い怒りを覚えた。
ウィルは夜勤の為に開かれていた脱衣所の明かりに人心地つくと、早速衣服を脱ぎ始める。
勢い良く全裸になり、時間帯によって男女の仕切りが無くなった空間を勢い良く押し進む。
ウィルが手をかけるより速く、シャワールームの戸が開いた。
「な」
「お」
シャワールームから湯気を纏いながら出て来たのはウィルが知っている女性だった。
何時もとは違う、火照った肌と濡れたボブヘアーの髪が男の根を刺激してくる。
これだけ華奢な体をしているのに機械弄りが趣味なのだから意外だ。
それにエメリやアティと比べると控えめだが綺麗な容をしている。
「な、なな」
「ああ、えーと、その」
ウィルは突然起こったアクシデントにこの後の展開を予想しつつも、前回の教訓を活かそうと目の前にいる全裸の女性――トランから視線を逸らして言葉を捜す。
「――価値的にスパナ三回分くらいだと思うんだけど、どう?」
「取引成立よ!」
どこからか取り出した、本気のスパナ一回分で許してもらえた。
脳天に直撃した衝撃に気を失いつつも、ウィルはある疑問を抱いた。
来たの、俺じゃなかったらどうなってたんだろうか。
トランが落ち着きを取り戻した後、ウィルは脱衣所のベンチで横たわって介抱されていた。
腫れた頭部と腰にタオル一枚のウィルをトランが崩した軍服姿で隣のベンチから見下ろす。
「ふーん……ウィルでも昔の事でうなされる事ってあるんだ」
「意外だろ? こう見えてもスラム育ちなんだよ」
「やっぱり結構ハードなトラウマなの?」
「……まあ……聴かない方が良いと思うなあ」
「そっか、じゃあ聞かない」
「そうしてくれ――ありがとう」
「お礼言われる様な事じゃないよ」
スラムに居る人間達はアークを切り盛りしている企業から見たら脛を噛り付いて来る害虫と同義だ。
それでも存在が許されているのは民間では公に出来ない行為をする為には絶好の隠れ蓑に最適な場所だからだ。
しかし、それは場所が必要なだけであって人間は必要では無い。だから定期的に娯楽混じりで減らされる。
悪趣味な金持ちの射的ゲーム、物資を景品にしてスラムの人間同士で争わされた事もある。
そんな狂った遊びが無くても、スラムの人間同士は何かと理由をつけて互いに殺し合う。食料の奪い合いからちょっとして気分転換、あそこでは人を殺すのに大した理由はいらないのだ。
トランにはそんな血生臭いスラムの話など聞かせたくない。
――兄弟達と一緒に、毎日腹を空かせていたなあ。
今では簡単に手に入るエグイくらいに甘い飴が最高のスイーツだった。
「やっぱり定期的にうなされちゃうの?」
「いやあ、本当に久しぶりにだった。だから、狼狽えたんだけどさ」
「そっか……じゃあさ、一つ提案あるんだけどいいかな」
トランがウィルの顔を覗き込む様に近づく。
突然の行動にウィルはたじろいだ。
「私、趣味でしょっちゅう夜中にガラクタ弄りしてるんだけどさ、手伝ってくれる人欲しかったんだよね。報酬はこれで」
そう言ってトランがウィルの顔に小さな包装紙を落とす。
手に取って確認してみると、飴の包み紙だった。
ウィルは包みから飴を取り出すと口に直ぐに放り込んだ。
「ん、取引成立だ」
しつこいくらいに甘ったるいベリーの味がウィルの口に満ちた。
駐屯地での休日、エメリとアティがコウタロウの復帰祝いを兼ねて「リップオフ」で食事に行こうと48小隊の面々を探し回っていた時だった。
グラウンド外れのガレージ隅で珍しい2人組を見つけた。
あまりの意外さに思わず、身を隠して様子を伺う。
「トランさんとウィルさん、一緒に何やってるんでしょうね?」
「むふふ、完璧に落ちたわね」
「どっちがですか?」
「それは勿論――」
「2人とも何して――もあ」
状況を知らないコウタロウをエメリが慌てて口を塞ぎ、アティが羽交い絞めにする。
「はーい、馬に蹴られたくなかったら大人しく出て行きましょうねー」
「コウちゃんの好きなミノア牛の煮込み食べに行こうねー」
「もるあ!?」
――聴こえてるんだけどなあ。
背後から遠くなって行く声に背中が痒くなるウィルに反して、トランは作業に没頭している。
夢中になっているその顔を何時までも見ていたいと思うのは惚れこみ過ぎか。
「ウィル、そこのボルトとって」
「あいよ」
上機嫌で口内の飴玉を転がした。
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