20話 愛をもう一度 中

「ミレーユさんの話だと屋上に行ったらしいけど……」


 エメリを見舞う積もりで訪れた基地の医務室を俺は後にする。

 血液と消毒液が混ざった部屋の臭いは何度嗅いでも慣れない。

 巣から撤退する時に気を失っていた「ディヴォーション」のミレーユさんとベルサちゃんは2人とも意識は回復していた。

 ミレーユさんの方はもうほとんど回復しているらしく、俺に華やかな笑みを向けてくれた。

 ベルサちゃんの方は未だに元気が無く、怯え隠れる様に貰った毛布にくるまっていた。

 彼女の保護者達である35小隊の生き残った4人の隊員達が最初は何とか励まそうとしていたのだが――


「あ、お前何時の間にトランプを使った手品出来る様になってんだ!? 独りだけベルサちゃんに好印象を稼ぐつもりか!? 抜け駆けとかずりいぞ!!」

「……ふ、マルセルのやつが逝き、隊長も居ない。ライバルが減ってる今こそがチャンスよ! 死んだ仲間を裏切ってでもベルサちゃんの心は俺が頂く!!」

「くっ、血涙を流すほどの覚悟か! だが貴様は一つ勘違いをしている! 俺達には心の傷を負っている子供とまともに話せるコミュニケーション能力など無い!!」

「ぐあああぁぁ、貴様! 元も子もない事を!? てゆーかベルサちゃん本当にお布団から出てこないぞ、どうすればいいんだあああ!? あ、アティさんどうしました?」

「アンタ達うるさいから外出てなさい」


 人手不足の中、応急看護を手伝っていたアティさんの手により目の前の廊下の床で4人仲良く沈黙している。

 俺は巻き込まれないように注意を払いながら、ミレーユさんに見当たらなかったエメリが何処にいるか尋ねると何でも気分転換に屋上へ行ったらしい。

 意外にアクティブだが単に1人になりたかっただけかも知れない。

 エメリは今回が始めての戦場だ。

 あの華奢な体で戦場の様々な恐怖を身を持って知ってしまったのだ、悩まない方が珍しいだろう。


「うーん……だとしたらそっとしていてやるべきか? でも、エメリは溜め込む方だしなあ」

「おーい、コウタロウ。お前ジャケットも羽織らないで何徘徊してんだ?」


 背中の方からベニーに声をかけられる。


「お前こそ、誰かの見舞いか?」

「ユーリー隊長に伝言を頼まれたんだよ」

「それなら、マリーに頼んだ方が早いだろうに――って、もしかして内密な話か?」

「お前にしては頭の回転が良いな。当りだよ」


 ベニーが意外そうな顔をする。

 失礼な、状況を見てある程度の予測くらい俺でも出来る――調子が良ければ。


「それで内容って? もしかして実は帰れませんとかじゃないだろうな?」

「帰れるぞ、今修理中の救命艇が完成したらな。俺達は一番最後だとよ――で、その理由が内密に絡む」

「もったいぶんなよー早く教えろよーこっちもエメリに用があるんだよー」


 面倒くさいのを隠さずに顔に出す。

 細かい話は性に合わないのはスクールと訓練兵時代に経験済みだ。


「こらえ性無いなあ、お前。……簡単に言うとだな、マリーがとんでもないお宝発掘したんだがそれが15年も前の破損データを無理矢理復元したものだから、今の機材に合わせて吸出そうとすると時間がかかるんだよ」


 15年前、と言うキーワードに思わず複雑な気持になる。あまり嬉しいお宝ではないようだ。

 15年前の破損データ。

 ああ、字面が既に十分きな臭いなこれは。


「15年前かぁ……少なくとも、俺とエメリにとって見たいものじゃないなあ」

「安心しろ、俺達にも流石に見せられないくらいには危険なものらしいからな。知ってるのは各小隊長と35小隊と28小隊の隊員達だけだとよ。――おい、そこで伸びてる4人も聴いてるな!」


 ベニーが後ろで伸びてる35小隊の4人の方へ語りかける。

 伸びてた彼らはハッとした表情で気づくと。


「ああ、俺らもその話に入ってんのね!? てっきり、丸聞こえだからこのまま伸びてるふりしなきゃいけないものかと」

「変なところで律儀だな、あんたら。んじゃ、要件は伝えたからな。エメリの嬢ちゃんにはお前が伝えろよ」


 伝えるべき事を言い終わるとベニーは背を向けて去ろうとする。どうやらエメリが一つ年上なのを知らないらしい。黙っとこう。

 俺の方も特に聞きたい事もなく、早くエメリを探しに行きたいので屋上を目指そうとして、思わず立ち止まった。

 大した事ではない。医務室で毛布に包まったままの妹より幼い子の事を思い出したのだ。

 知り合って間もない少女の心の傷を癒す事は無理だろう。だが、その苦痛を誤魔化す事くらいは出来るかもしれない。

 丁度、それが出来そうなやつが目の前に居るし。


「待ってくれ、ベニー」


 離れていく金髪男の背に声をかけると、チンピラじみた目が振り向く。


「いやなに、思い出し事があってな。お前、この後は手が空いてるのか?」

「あ? 急になんだよ、後はそこの医務室に居るアティの姐さんに伝えたら手は空くけどよ」

「丁度いいな。ヒナが言ってたんだ「ベニーさんはお兄ちゃんよりよっぽど、傷ついた乙女心が解る」って」


 ベニー・オールドリッチ。

 女子供に優しい古典的なチンピラである。




 屋上への扉を開けると、冷たい風が一気に流れ込み思わず身を震わせた。

 空間が限定されていた室内から屋外へと出る開放感を夕焼けの広い空で感じ取る。

 アークには夕焼けが無い。空も人間が自分達の気を紛らわせる為に作った、映像で作られた誤魔化しでしかない。

 誤魔化しでは無く本物の現象である夕焼け空の下、エメリはインナースーツの上に毛布を羽織いながら屋上の錆び付いたフェンス越しに故郷の廃墟を見つめていた。

 風は弱々しいが常に絶える事無く、エメリの腰まである長髪をそよいでいく。

 エメリはそれを少し困った表情で自分の金色の髪を手櫛で纏めようと視線をこちらの方へと向けた。


「――あ、コウタロウ君」

「よ、よう!」


 自然に柔らかく反応するエメリに対して俺は思わず上擦った声を上げてしまった。

 ええ、勿論目の前にいる黄昏ている女性に見惚れていましたとも。美人は何しても絵になると言ったのは誰だったか。

 俺のその反応が可笑しかったのだろう。エメリは表情を綻ばせる。戦場とは別の感覚で鼓動が高鳴る。

 久しく忘れていた、自分には縁遠いと割り切っていた積りの感情に言うべき言葉を塗り潰されていく。


「ジャケットも羽織らないでどうしたの? 風邪引いちゃうよ」

「ああ、エメリが心配で探してたんだ――ぷしゅっ……」

「…………」


 俺の意思とは裏腹に体は寒さに正直だ。鼻水こそ出さなかったが、エメリと話してる最中に思いっきりくしゃみをしてしまった。

 いかん、これは爆笑される。少なくともエミリなら腹を抱えて笑う。

 気まずさにエメリから顔を背けようとすると、エメリが引き留める様に先に動いた。

 羽織っている毛布を片手で肩より上へ持ち上げると、インナースーツに包まれた体が顕わになり、誰かを隣に招く様に空間を作る。

 えと、これってつまり――。


「と、ととと隣に入る? 軍人さんが風邪引いちゃだ、ダメでしょ?」


 今度はエメリが先程の俺の様に上擦った声色で毛布の中へと招いてくれる。

 その頬は夕焼けを言い訳にするには赤すぎた。

 俺の中で理性がエメリを屋内に連れ戻せと言いかけると、本能が理性を背後から鈍器で殴りつけた。


「じゃあその……お邪魔しようかな……は、入るな?」

「う、うん。どうぞどうぞ……って、いたいいたいスットプ……キツくて入りきらないね」

「えとじゃあ、俺が後ろに回って……んで、そのまま腰降ろしちまうか」

「え、コウタロウ君大丈夫? 痛くない?」

「女性の方が体冷やしちゃいかんだろ。それにほら……こうすれば俺も温かいし」

「わ、わわ…………」


 2人で身を寄せ合ったまま試行錯誤をし、最終的には俺が地面に胡坐で座り込みその膝上にエメリが座る形になった。

 この体勢ならば毛布一枚でも何とか2人分として使える。

 エメリは遠慮する様に重心を俺の方にかけて来ないが、これだけでも大分温かい。

 ――なんか凄くこそばゆいな。

 頬を赤く染めたまま、エメリはおずおずと手を上げる。


「コウタロウ上等兵殿、コウタロウ上等兵殿!」

「な、なんでしょうか、エメリ特別准尉殿?」


 照れ隠しなのか新兵のモノマネ口調でエメリが話しかけ、俺も照れ隠しでそれに応じる。


「このままだと隙間風が寒いので、もっと……奥に腰かけてもいいでしょうか」

「……もちろん、いいですとも」


 エメリが探り探りに体を密着させて来る。

 色々と柔らかかったり肌の匂いに少し戸惑う。

 背が俺の胸にくっついてしばらくすると、エメリの鼓動が伝わってきた。

 それはつまり、向こうにも俺の鼓動が伝わってる訳で――


「……緊張してる?」

「正直、こんだけ異性にアピールしたのは俺の人生初だな」

「……っアハハ、それ言っちゃうの?」

「らしくないとは思ってるんだけどなー……いや、本当にこれが俺の限界だわ」

「大丈夫、大丈夫! コウタロウ君はやればできる子だから」

「これ以上どうしろと」


 無邪気に笑うエメリに白旗を上げる。

 いや、もう、本当に余裕が無い。なんなんだこれ。

 今までどれだけ命のやり取りをしてもここまで激しく心が乱れた事はなかった。

 それは多分、迫る命の危機に対して冷静に対処しようする事で恐怖に飲まれない様に理性が働いているからだろう。

 これはベクトルが全然違う。命の危機でもないのに、意識をしている相手にいかに親しくなろうとするか、想いを伝えようとするか、どうすれば受け入れて貰えるか。

 攻略法が丸で解らない。

 なので、半ば焼け気味にエメリのお腹に弱々しく両腕を回して抱きしめてみた。

 一瞬、エメリが体を硬直させるがそのまま受け入れてくれる。エメリが俺の両手に自分の手を重ねた。

 エメリの手から来る柔肌の感触に恥が混じった幸福感を嚙み締めつつ、2人でそのまま佇んだ。

 何か話題はないかと考えようとして、エメリを訪ねた本来の目的を思い出す。


「体の方、大丈夫か?」

「うん、お昼寝したから全然平気だよ……私が一番能力ヘッポコだったから影響も一番小さかったんだと思うの……」

「まだ引きずってんのか、3人の内誰が欠けても今回の潜入は出来なかったよ。エメリは自己評価もう少し高くしてもいいだろ」

「そんな事ないよ、適正だよ…………私、今回の戦場で一度も撃てなかったんだよ」

「撃つだけが戦う事じゃないさ」


 それに3人ともトム軍曹を運ばなきゃいけない関係上、装備は減らしてたしな。あの数の暴力でそれほど力になれたかと言うと怪しい。

 エメリがそれでも、と呟きながら重ねる手の力を強めた。


「それでも、思うんだ。あの時、ちゃんと動けていたら犠牲者は出なかったかも知れないって……結局、恐さに負けちゃったけど……15年前と何も変わらないね」

「初陣であんなトラブルに遭っても取り乱したり呆けてなかっただけ、大したもんだよ。俺とか初陣の時は興奮し過ぎでフレンドリー・ファイヤーしかけたし。――辛いし悔しいよな、自分が無力だって思い知らされる時は」

「うん、凄く……悔しかった」

「なら大丈夫だ」

「え?」

「エメリ自身がその悔しさを忘れなければ大丈夫だ」

「……どうして?」

「うーん……なんと言うかさ、俺はエメリと再会出来るまで諦めてたんだよ」

「何を?」


 恥を隠すように自分の頭を掻く。

 そういやそうっだったと、気持ちの中を整理しながらエメリに不甲斐ない己について語る事にした。


「あー……生きる事諸々だと思う。自分のやりたい事とか夢とか、そう言うの。今思えば横にいる戦友の為、お袋とヒナの為って言い訳して、目を背けてたわ」

「……私と同じだったんだ」

「そんな所。で、エメリに会って、ロックフェラー司令官に発破かけられてやる気になった」

「――私?」


 キョトンとエメリが不思議そうに俺を見た。その表情は本当に俺より一つ年上には見えない。

 そんなに予想外だったのか。

 俺はここで少し深呼吸をする。あーー、言うの恐いな。


「そりゃ、別れたっきりだった惚れてた女の子がべらぼうに美人になって、しかも戦場に出るなんて急に言うんだ。――男なら、命賭けても守りたくなるもんさ」

「――……っ! あの、えと、その」


 エメリが視線をあっちこっちに向け、最後に俯いてしまう。頬まで染まってた朱が耳の裏までいっている。

 どうしたもんか。


「あのー……エメリ――」


 様子を訪ねようと顔を近づけると同時、エメリが伏せていた顔を急に上げると何かが俺の唇に一瞬だけ当たる。

 不意打ちに俺は呆けると、エメリがゆだった顔をしていた。翠の瞳には涙が溜まっている。頭から湯気でも出そうな勢いだ。

 どうやら完全にパニックになってるらしい。しかしさっきの行為が返答であるならば――

 今度は俺の方から唇を重ねた。先程よりは少し長めに。

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