19話 愛をもう一度 上

夕焼けで紅に染まる故郷の瓦礫の中で、俺は着慣れた軍服で突っ立っていた。

 意識がハッキリとしない浮遊感に包まれ、体は動かない。

 目の前には両手を後ろで組みながら微笑んでいる見知った少女がいる。

 ――ああ、これは夢だな。

 そうでなければ、今俺の目の前にエミリが当時の姿で居るわけないだろ。


「大きくなったね、本当に」


 まあな、苦労はしたけど何とか五体満足でやってるよ。


「そっか、体は資本だもんね。健康が一番だよ」


 俺の場合、仕事は体どころか命そのものを賭けてるからなあ。


「軍人になったのは、やっぱりおじ様の影響?」


 ――切っ掛けはそうかも知れない。と言うか、最初は凄い引きずってた。


「今は違うんだね?」


 ああ、そうだよ。故郷を取り戻したいし、仲間も死なせたくない。そんでもって、自分と家族の為に戦いたい。


「ふふふ、故郷を取り戻したら出来ればエメリも一緒に――。なんて考えてるでしょ?」


 ――――夢の中だからか、お前に隠し事を出来る気はしないな。

 やっぱり、身分違いかな?


「あら、珍しく弱気なのね? 大丈夫、大丈夫。 いざとなったら、駆け落ちしちゃいなさい! 姉である私が許すわ!!」


 た、頼もしいな。でもその場合、どこに逃げれば?

 下手したら2人でスラム生活とかになりそうなんだが。


「へ? あんた自分で言ったじゃん。故郷を取り戻すって。安心しなさい、アンタはやればできる子よ!」 


 お前は俺の母ちゃんか。


「姉ではあった積りよ? 可愛い弟と妹が心配で、こうして夢に出て来るくらいにはね」


 ……エミリ。


「そんな子供みたいに泣きそうな顔しないの。 私の事はいいから、コウタロウはさっさとエメリを口説いて押し倒しなさい!」


 ハアァ!? 何言ってんだ急に!? 今、戦場にいるんだぞ!?

 それに姉が妹を襲っちまえとか言うか、普通?


「アンタじゃなきゃ言わないわよ。それにエメリって何て言うか、こう、隙が多いでしょ? 姉としても犬に嚙まれる前にアンタに貰って欲しいわけよ」


 あー……心当たりがあるのが何とも言えない。

 エメリのやつ、何かに没頭すると周り見えなくなる時があるよなあ。


「そうそう。だから、エメリの事お願いね? あの子、我慢強いけど、その分抱え込んじゃうから」


 エミリを含んだ夕焼け色の世界が、歪み白んで霞の様に消えて行く。

 意識が夢から覚めようとしていた。

 まだ返事を返していない事に慌てるが、文字通り何も出来ない。

 せめて伝えたい。あの時気づく事が出来なかった後悔を、無力であった事の不甲斐なさを。


「――大丈夫だよ、解ってるから」




 ――目が覚めた。

 纏まらない思考のまま、目に溜まっていた涙を手で拭き取ろうとしてインナースーツに覆われている事に気づく。

 そうだ、前哨基地に戻った後、休憩をとったんだ。

 俺が今寝ている場所が前哨基地のグラウンドにある兵舎代わりのテントの中だと思い出す。

 テントの出入り口からは黄昏色に染まった地面が見える。


「……何だっけか、逢魔が時ってやつだったのかな」


 パイプとマットレスで作られた簡易ベッドから退きながら見ていた不思議な夢を思い出す。

 太古から人は夕焼けと言う狭間の時間に、現実と不確かな世界の交わりを伝承として伝えて来た。

 オカルトはあんまり信じていないのだが、本当に奇妙な夢だった。


「……たんに俺の罪悪感が都合の良い妄想で自分を慰めようとしただけかも知れん……」


 ベッドから立ち上がり、体を伸ばす。

 体が調子を取り戻していく様なこの感覚は好きだ。

 寝ぼけてしまった頭を働かせる為に、前哨基地に帰還した後の事を順を追って思い出す。

 防衛戦の傷跡に息を飲みながらも、マリーがここにいた事とその活躍ぶりを聞いた時は俄かには信じられない気持だった。

 だが、こうして前哨基地を守ってくれた上に俺達が脱出する為に今も働いてくれている彼女には一兵士として感謝の念が絶えない。

 事が落ち着いたら改めてお礼を言はなければ。

 それで結局は脱出の準備が終わるまでの間、一先ず休む事にしたんだ。

 このテントにはユーリー隊長以外の48小隊の男衆みんなで寝ていた筈だが、気づけば俺だけだ。

 皆は起きて手伝いとかをしているのだろうか。

 俺も肉体労働だけなら出来るだろうし、何かしに行くべきか。


「あ、そうだ手伝いに行く前に……」


 テントを抜け出し、先に心配事を解消する為に動く事にする。


「エメリ達、大丈夫かなあ」


 内心には夢で幼馴染だった少女に言われた言葉がチラついていた。




「おーい! 爺さん!! パワードスーツの整備はバッテリー交換と簡単な補修でいいんだよな」

「それでOKだ! 今は急いで壊れちまった救命艇を解体してまだ飛ばせるやつにパーツ回すぞ!!」

「あ、待って下さい、武器のチェックと弾薬の補給とかまだでした」

「んなもん、あそこで「ちょっと手伝える事もないから」とか言って飛行型の死骸燃やして狂ったキャンプファイヤーしてる兵隊連中にやらせとけ!! たっく、アイツらに命救われて感じてた恩が馬鹿らしくなるわい」

「あー、あのメイク凄いですよね。熱狂的に踊り過ぎてて凄い話しかけづらいんですけど」

「んじゃあ、無視してこっち来い」


 前哨基地の滑走路、飛行型の強襲を受けた際に「チャップリン」から降ろされた救命艇を、キャピタル駐屯地所属の特務ラボの面々が総力を挙げて修理をしていた。

 防衛隊が命を賭した結果は5艇中、無傷が2艇、損傷したが応急修理を施せば飛ばせるものが1艇、大破した2艇は修理不可と判断し使える部品を回収して修理出来る救命艇へ回す事にした。

 今度は守って貰った自分たちの番だと整備士達が息巻く中、同じ整備士のトランはB5サイズの薄型端末を両手に持って、マリーと共に救命艇のソフトウェア方面のチェックを行っていた。

 トランの背後には頭部に大きめのたんこぶを作ったウィルが黙々と押し付けられた武器整備と言う名の雑用を行っている。

 インナースーツの上に防寒用のジャケットを羽織ってるウィルの背中には男女の駆け引きが読めなかった男の哀愁が漂っているが、トランは意に介していない。


『トラン、全ての救命艇をアークまで送るためのシステムチェックが終わりました。自動操縦プログラムを含めて無傷の救命艇は直ぐに出せますよ』

「了解よ、マリー。急いでみんなに伝えなきゃね。修理中の救命艇の方はどうかしら?」

『こちらもソフトウェアに問題はありません。ご心配でしたら宇宙までの遠隔操作を私が行いましょうか?』

「本当にマリーがいて大助かりね。ここにいるみんなの命の恩人よ」

『私の父の1人であるプロフェッサー・ヘンリーの株も上がりますか?』

「そうね、株が1μは上がったんじゃないかしら」

『普段の皆様からの評価を判断しますと、大幅に上昇しましたね。ではその吉報を後で伝えておきます』




 前哨基地の司令室内部。

 室内は椅子が無作為に置かれて倒れ、書類も吹き飛び舞い無数に床に散っている。

 その中央にはユーリー隊長を始め、各小隊長達と残っていたコマンドポストの通信士が感度の悪い荒れた巨大なホログラムを見つめていた。

 前哨基地の通信設備は幸運にも無傷であったのだが、各小隊長の面々は今回の原因としてとてもではないが、企業上層部の監視下に置かれている一般的な通信をとる気にはなれなかった。

 なのでトランに教えて貰った指示通りに秘匿回線を使ってロックフェラー司令官に直接コンタクトを取ることにしたのだ。


『なるほどな……話を聞かせてもらった限り、私1人の首を飛ばす為に君たちを巻き込んでしまった様だな』


 ホログラムにはロックフェラー司令官と彼の執務室が映し出されている。

 機能性と気品を兼ねた執務机に腰掛けている表情は普段と同じ感情を読ませないものだが、目には僅かに感情の色が見えた。

 ユーリー隊長は今までの付き合いからその事に気づいていたが、触れる事ではないと割り切る。

 デスクの上に腰掛けていたエイブラム隊長がラテン系の血を引く顔立ちで、自分の整えた顎鬚を片手で撫でる。


「まあ、上の権力争いには散々付き合わされた身ですが、今回の件はなんなんです? まさかロックフェラー司令官に損害の責任を押し付けて、貴方1人の首を飛ばす為にやったんですか?」

『それも計画の内だろうな。企業上層部は軍を完全なコントロール下に置いて、今回得られる情報で安全な所からゆっくりと時間をかけて蟻の巣を攻略したいのだろう。私が主導で進める事がよほど気に食わなかったらしい』


 自虐と軽蔑を含みながらロックフェラー司令官の口端がつり上がる。


 ダビット隊長が歯を剥き出しにしなが舌打ちをする。


「その『安全』な範囲に自分たちの事しか入ってないってのがあからさま過ぎて反吐がでるぜ!」

「ギリギリ上層居住区域の民間人達も入っているだろう?」

「そうかよ」


 通信士がダビット隊長に補足するが彼はそっぽを向く。

 ユーリー隊長は両腕を組んで鼻息を吐く。


「逆に言うと、そこまでの安全が保障されているなら他はどれだけ犠牲を払っても構わないか……」

『それが顕著に出たのが15年前だな……人類が人類を間引くか……』


 それが15年前の時、襲撃の際に援軍を出さなかった理由の一つなのだと言う事はこの場にいる人間達は大なり小なり察しっていた。

 あの時、ホープから逃げ延びた人間達を再びアークに迎え入れたのが企業上層部からすれば最大限の人道的配慮だったのだろう。

 ユーリー隊長は改めて思う。やはりあの宇宙船アークの中は狭すぎると。

 現在のパワードスーツや超能力者の開発技術も土台の発想は、増えすぎた人口を如何に上手く労働力として使うかと言う発想から来ている。

 法律も、社会も、軍隊も、宇宙船内のあらゆる所で人口問題が深く根となって絡み付いて離れない。

 ――このままでは人間が人間を飼う様になってしまうのではないか?

 ユーリー隊長は大きくなる不安の影にそんな飛躍した言葉が脳裏に浮かび上がった。

 なにを馬鹿な、と胸中で否定する。次に愛娘の健やかな寝顔が浮かんだ。

 ――そうだとも娘にそんな馬鹿な未来を歩ませてたまるか。

 あの若者は諦めずに希望を前に見ている。

 大人である己が諦めてどうする。

 あんな狭い世界を歩ませて堪るか、あんな息がつまる様な生活をさせて堪るか。

 日の光を沢山浴びさせてやりたい。広大で自由な世界を歩ませてやりたい。

 幸せな未来を創るのが子供の役割なら、大人は道中にある障害を少しでも片付けなければ。


「――やりましょう。マーキス船長とフミ特別現場監督官の会話が録音データとして残っています。企業相手に勝てる材料では無いかもしれませんが何も無いよりかはマシです」


 暗く静寂に沈む室内にユーリー隊長の言葉だけが力強く響いた。

 ホログラムの中にいるロックフェラー司令官を含む周りの人間全てがユーリー隊長を見つめる。

 ロックフェラー司令官が再び口端を釣り上げる。

 そうだ、この男もそのまま黙って首を飛ばされるだけの人間ではないのだ。

 ユーリー隊長は己とロックフェラーが共犯者である事を再認識する。


『本当に見掛けによらず熱量がある男だな君は。若者に触発されたか?』

「否定はしません」


 熱が燻り始めた室内の中、見知ったホログラム表示が割って入る。


『反体制的な会話の最中に申し訳ありませんが、失礼します』


 ダビット隊長が心底驚いた形相で体をバタバタと動かす。


「うおお、マリーか!? これはアレだぞ? 決して悪巧みをしている訳ではなく……」

『私はあくまで人類を手助けする存在なので、特定の派閥に肩入れは出来ませんししません。また、この様な場面に遭遇した際には管理者に報告する義務があるのですが、今現在ここにいる「私」は前哨基地のシステム中枢を乗っ取る際にアークにいる「私達」から物理的に独立してしまっています。人類である皆様を守る為に仕方ない事だったのですが』

「……その割にはノリが良かった気はするぞ」

『私はまだそこまでの感情は学んでいません。気のせいです。それよりロックフェラー司令官、これも貴方の計算の内なのですか?』

『何の事かな?』

『私は今独立しており、管理者もいません。なので見つけたこのデータは現場にいる階級の高い人間に見せる必要があります。つまり、この場にいる方達全員です』


 マリーはそう言うとあるデータを室内の全員に見せつけた。

 それは15年前のある映像記録だった。

 映像の中身にその場にいる男達が絶句し息を呑む。ホログラムに浮かぶ1人のカエル顔の男を除いて。


「これは……まさかロックフェラー司令官、貴方はここまで読んでいたのか!?」


 碧色の目を驚愕に揺らしながらユーリー隊長は感度の悪いホログラムに移る男を見つめる。


『いや、保険の積もりだったのだがな、マリーの件も含めて。……思わぬ掘り出し物だな』


 ユーリー隊長は企業上層部がロックフェラー司令官を排除したがっている理由を垣間見た。

 しかし今はこの男の腹黒いまでの計算高さが同時にとても心強かった。

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