11話 胸に秘めたるは 下

 俺はエメリを背負ったまま、自分に割り当てられた部屋まで戻って来た。

 決して邪な意味は無い。ただ、エメリの部屋の場所を知らなかったのだ。


「事前に聞けば良かったなあ……よいしょっと、俺のベットで悪いけどここで休んでてくれ」


 背負っていたエメリをベットへと降ろす。

 しかし、体に力が入ってない人間って言うのは結構重くなるもんなんだな。

 倒れて最初に受け止めた時はとても軽かったので、まだ完全に意識を失っていなかったのだろう。

 つまり、俺が運んでいる間にこれでもかと押し付けられた重量感のある体の各感触

 は決してわざとと言う訳ではない。ないのだ。


「……って、何思い出してるんだ俺は……水でも用意しておくか」


 そう言いながら眠っているエメリの方へ視線を向ける。

 ヘンリー教授はああ言っていたが本当に大丈夫なのか心配になってくる。


「大丈夫……だよな?」


 心配になり顔を覗き込む様に近づく。


「うーん……顔色は良くなってるの……か?」


 よく観察してみると運び始めた時とは違い、呼吸する時の胸の動きや表情が穏かになっている……と思う。

 すると、エメリの瞼が開き虚ろな視線で俺を見つめた。


「う、ん……コウ、タロウ君?」

「あ、大丈夫か、エメリ」

「うん、だいじょ……ぶじゃないかも、頭が凄くイタイ……内側からジンジンする……」

「無理しないで寝とけ、いま、水持ってくるよ」

「あ、待って……」


 離れようとするとエメリが俺の服を弱々しい力で掴んだ。

 顔は下に向けており、表情を見る事が出来ない。


「話……聞いてくれる? 覚悟、決めたからコウタロウ君には話したいんだ……」




 エメリ・ミールにはエミリ・ミールと言う双子の数十秒先に生まれた姉がいた。

 一卵性双生児である2人は、お互いに合わせ鏡の様に瓜二つの容姿であったが、性格は正反対であった。

 姉のエミリは外交的で外に出て遊ぶのを好む性格であったのに対して、エメリは内向的で室内の遊びを好んだ。

 遊びの趣味が正反対の二人であったが仲は良く、常にお互いが離れる様な事はしなかった。

 エメリが室内で遊ぶ時はエミリは付き合い、エミリが外で遊ぶ時はエメリも付いていった。

 双子の両親は社会的エリートで、父親は町の警備隊隊長でありホープでは町の町長とも兼任していた。

 父親は企業上層部と民間人の間に立ち、宇宙船内での農業を営む食品生産系企業の令嬢であった妻の手伝いを受けながら、町の発展に尽力していた。

 甘い理想化であると企業上層部には揶揄される事も多々あった両親だが、コウタロウの父親であるフジムラ・サトシを含め、部下と町の入植者である民間人からは信頼されていた。

 両親も町の人々と部下を信頼して娘達が普通の子供達と遊び、時には家へ招くのを受け入れていた。

 そして友人付き合いは外交的で外で遊ぶ事を好む、エミリの方が得意だった。

 エミリだけの友達はいても、エメリだけの友達は一人しかいなかった。

 ある日の公園での出来事だった。


「はあ? 俺とエミリが仲が良い? ないない、あいつとはー……こう、あれだ! 宿敵!!」


 エミリと友人達が楽しく鬼ごっこで燥はしゃいでいる公園の脇にあるベンチ、ちょうど木陰になる場所で座っているエメリに対して、頬に絆創膏を張り付けたコウタロウがそう宣言した。

 話の流れとしてはこうだ、何時もの様にみんなより先に体力が尽きてしまったエメリがベンチで休んで寂しそうにしていると、それを見かねたコウタロウがエメリの所までやって来たのだ。

 コウタロウが自分を気にかけてくれたことを察したエメリはその事を嬉しく思いながらも悪いと感じ、やんわりと断ろうとした。

 だがコウタロウの方も中々引かず押し問答になってしまい、ついこう言ってしまった。


「コウちゃんは私よりエミリと仲がいいでしょ? エミリと一緒の方が楽しいよ」


 どこか自虐の意味を込めて告げたエメリに対してコウタロウの返事はエメリの想像をある意味で超えた。

 コウタロウは人の機微に何かを察する事は出来ても、具体的には自分で理解出来ていない残念な子だったのである。

 コウタロウとエメリ達双子の関係は他の友人達とは違い、物心がついた時には既に家族ぐるみでの付き合いがあった。

 そんな幼馴染の姉に対する宿敵宣言にエメリは目を丸くした。


「えっ、宿敵……なの?」

「そう宿敵だ! 生まれた時から俺とアイツはどちらかが死ぬまで戦い合う運命にあるのさ……」


 どこか遠い目をするコウタロウのセリフがエメリが先日貸した電子コミック、『仮面戦士:素面』のものである事をエメリは一つ年上の包容力でスルーしておく。

 エミリが友人でないならば自分との関係は何なのか、不意に沸き上がった疑問にエメリは尋ねる。


「じゃ、じゃあ、私とコウちゃんの関係は?」

「うん? そりゃあ、友達……は何か違う、な?」


 自分で言い掛けながらコウタロウは首をかしげた。


「そ、そうなの?」


 割と衝撃的な事実を告げられエメリの表情から血の気が引く。


「うーん……俺にもよく解んないや。ただ、エメリは何かほっとけない」

「へっ」


 コウタロウが口にした言葉にエメリは思わず声が上ずった。完全に不意打ちだ。


「なんだろうな~、こう、何か、割といるのが当たり前なんだけど、傍にいるとホッとすると言うかー……。後、作ったお菓子美味しいし!」

「最後のが本音じゃないよね?」

「取りあえず、俺はエメリはなるべく傍にいて欲しい! 赤の他人じゃない! そんな感じだ!」


 コウタロウは屈託のない笑顔でエメリに自分の気持ちを伝える。


「そっか……そんな感じなんだ……」

「よし、十分休んだし、鬼ごっこに戻ろう、エメリ」

「あ、待って!」


 コウタロウがみんなの輪へ戻ろうとエメリの手を引くのを他所に、エメリは気分が高揚するのを自覚しながらコウタロウの言った想いを胸の中で反芻する。

 この日以降、エメリにとってコウタロウが少し特別な存在になった。





 フジムラ家とミール家の交友関係は入植を始め、町づくりを行う最初期、それまで現場を知らなかったエメリ達の父親を支えながら民間人との仲介を巧く手助けしてくれたのがコウタロウの父、フジムラ・サトシであったのが縁の始まりだ。

 父親同士の仲は一緒に町づくりの苦楽を共にしてきた友人兼部下と上司と言う確固なものがあった。

 しかし、男同士の友情話は息子娘、具体的にはエミリとコウタロウには関係なかった。

 単に馬が合わないだけなのか、それとも子供にありがちな不器用な愛情表現なのかは両者とも理解出来ていなかったのだろう。

 お互い常にケンカ腰と言う訳ではないのだが、


「最後のカステラ、お前とエメリに譲るよ」

「私はいいわよ、またお母さんに作ってもらえればいいんだし、コウタロウとエメリで食べちゃってよ」

「いや、俺はいいよ、食べ過ぎると腹がでてくるし」

「む、何よ、私とエメリが太ってもいい見たいじゃない」

「別にそんな積りじゃないよ、あと「エメリは」太ってない」

「へえ…………コウタロウ、今の言葉は乙女に向かっての宣戦布告と見なすわよ」

「俺も男だ、ケンカを売るなら買うぞ」


 この調子ですぐお互いに突っかかってしまう。


「二人ともぉ、もう止めなよ……ほら、三等分にしよ?」

「……エメリがそう言うなら……」

「むう、解ったわよ。三人で公正に分けましょう」


 エメリが間に入って仲裁するのも日常であった。

 心地良い陽だまりの様な場所。

 温かいが退屈で、ほぼ同じリズムを繰り返す日々。

 特別な行事がなければ些細な変化を積み重ねていくだけの時間。

 あの日までは。




 あの日、エメリとエミリはコウタロウが遊びに来るのを家で待っていた。

 暇潰しとして当時の遊びとして流行っていた、惑星を育成する携帯ゲームの対戦中での事だった。


「くっ、エメリ、あんた他の惑星に責めないで自分の星で技術発展ばかりにターンを費やしてたと思ったら……ステルス技術ふんだんに使った宇宙艦隊で、しかも歩兵全員にパワードスーツの装備が行き届いてるとかどう言う状況よ!」


 携帯機のゲーム画面、戦況を示すゲージはエミリが優位であるにも関わらずその顔を苦悶の表情を浮かべている。


「それだけじゃないよ、農作物とか福祉にもちゃんとターンかけたもん」


 エメリは涼しい顔をしながら感慨気もなく、コマンドを操作してエミリが支配している惑星の一つを自国の最新鋭ステルス艦隊で包囲、潤沢な装備を惜しげもなく使い歩兵を惑星の地表へと侵攻させると、今度は潤沢な資源を元に懐柔を始める。


「あ゛」


 エミリが声を上げると同時にエミリが占領していた惑星がエメリの方へあっさりと寝返った。


「なんであっさり買収されちゃってるのよ! ゲームだからって無血で惑星取れるとかありなの!?」

「エミリが恐怖政治過ぎるんだよ……技術使わないで肉体一つで惑星取れてるとか世紀末も真っ青だよ……生身の人間が宇宙空間で動き回って、低出力でも光線撃ってくるのは幾ら何でも可笑しいよ」

「えー、私、面倒なの嫌いだし……シンプルでいい方法だと思うんだけど……」


 エメリが技術とモラル、内政を気にして惑星を発展させたのに対して、エミリは一つの種族の肉体を徹底的に育て上げていき、拳一つで惑星を取り、赤が真っ青になるレベルでの絶対君主の国家体制を作り上げ、近隣の惑星を次々と占領していた。因みに装備は必要最低限レベルのカプセル型宇宙船と釘バット、鉄パイプ、塹壕スコップに斧、AK-48と火炎放射器、最後に拳である。


「むー……こっちがステルス艦隊索敵してる間にドンドン国が取られていくなんてツマンナーイ」

「一応、同盟してるんだよ? 相手に後ろから銃を突き付けて、同じテーブルに座らせてサイン貰ってるの」

「あんたも相当暴君じゃない……こうなったら奥の手よ、私の支配している星々の生物全員から命をそれなりに削ってエネルギーを一人の戦闘民族に注ぐわ! そのエネルギー玉をアンタの本拠点に直接ぶつけてあげる!!」


 画面内でエミリが支配している星々の生物達が阿鼻叫喚の表情で一人の戦闘民族に注がれていく。


「これで終わりよ、エメリ!!」

「うわあ、ゲルニカとかムンクの叫び見たい。じゃあ、私も奥の手使おうっと」


 エメリがカチカチとコマンドを入力する。すると、エミリの支配地域である各星に独りだけのスパイ反応が表示された。


「ふふん、星ごとにスパイ独りだけなんて、何が出来るって言うのよ!」


 エミリは勝ち誇った表情を崩さない。


「自爆が出来るの。えい、グレイ・グー発動」

「は? ……嘘ぉっ!?」


 エメリが決定キーを押すと同時に、各スパイが所持品の一つである無制限増殖型生物系ナノマシンを暴走させた。

 暴走したナノマシンは無制限に増殖し、有機物生物と無機物を差別なく分解、再構成を始める。

 即座にゲーム機のプログラムが所持者の年齢を考慮した倫理システムを展開、ゲーム画面がモザイクに覆われた。


「あああー……負けたー……と言うか……惨い」

「わーい、勝ったあ!」


 モザイクまみれになった携帯機のゲーム画面で互いに対になる反応を双子は示す。

 ほぼ無傷で快勝したエメリが無邪気に微笑むのに対し、自分の星をモザイク一色にされたエミリは口をへの字に曲げた。


「むう~……ねえ、エメリ」


 しかしエミリの不機嫌は長く続かず、何かを思いつくとエメリに提言した。


「うん、なに?」


 エメリは上機嫌なまま聞き返す。


「そろそろコウタロウが来る時間だけどさ、そろそろアイツに告白して見ない?」

「なっ――何言ってるの! もう!!」


 エミリの言葉にエメリが素直な反応を返す。

 今度は先ほどと打って変わり、困惑しているエメリをエミリがにやついた表情で眺め始める。


「いや、流石に解るわよ、お姉ちゃんだし。エメリってば少し前からコウタロウに対する仕草変わってるもん」

「うええぇ、そうかなあ」

「そうそう、前より少ーし距離近づいてるし、そのくせにコウタロウに触れられると緊張する様になってるし」

「ぬぐぐ、流石は双子の姉……」

「まあね、極めつけはその瞳よ!」

「ひ、瞳?」

「そう、その瞳!! コウタロウを見る時の目が以前より優しくかつ切なくなってるわ! まさに恋する乙女の視線!!」


 エミリはエメリに近づき、自分と瓜二つであるふっくらとした頬を指でつつく。


「告白しちゃいなさいよ、コウタロウも少なからずアンタの事は好きな筈よ、自覚はしてないでしょうけど」

「うう、でも……エミリはいいの?」

「なにが?」


 エメリからの予想外の返しにエミリは頬をつつくのを止めた。


「エミリだって、コウちゃんの事好きでしょ? 同じ双子だもん、私だってそれくらい解るよ」


 エメリは真剣な面持ちでエミリの瞳をジッと見つめる。

 エミリも笑うの止めその視線を受け止めると、再び表情を綻ばせ、今度は寂しそうな笑みを浮かべた。


「そうね……私も、コウタロウの事はたぶん……いいえ、きっと好きだと思うわ」

「じゃあ……っ!」

「でもね、きっと私の気持はエメリ程ハッキリしたものじゃないの、私のコウタロウへの好意は家族とか、弟とかの延長線にあるものなのよ。それに、私の好みはサトシおじ様見たいな、渋くて頼れる大人の男性だし」

「そう……なの?」


 エメリの疑問をエミリは頷きで肯定する。

 そしてエミリは優しく微笑む。


「そうよ、だからコウタロウは私にとっては可愛い弟、子分、舎弟よ。でもエメリの場合は男の子として意識してるでしょ?」

「う、うん……」

「だったら、他の子に取られちゃう前にやる事やらないとね! 恋はルール無用、先手必勝の情け容赦なしのデスマッチなんだから!」

「そ、そんなに恋愛って厳しいの!?」

「ええ、ママが録画してたお昼番組ではそう言ってたわ! と言うわけでエメリ、有限実行よ!! 昔の言葉で善は急げとも言うわ」

「え、今日告白するの!?」

「むふふ、そこは姉である私に任せなさい。大丈夫、きっと上手く行くわ」


 コウタロウがエメリ達の家に到着しチャイムを鳴らした時、玄関から出て来たのはエメリだけだった。

 何時もなら姉妹揃って迎えてくれていたので、コウタロウは少し違和感を感じた。


「あれ、エミリって今は家にいないのか?」

「あ、えーとね、エミリは今体調崩ししちゃってて部屋で寝てるの」

「そうなのか? じゃあ俺、今日は帰った方がいい?」

「ううん、私と一緒に遊びに行こう。えと……たまには教会で遊びたいなーなんて」

「教会? あそこって普段は鍵がかかってなかったけ? 入れないんじゃないの?」

「実はね、こっそり入れる裏技があるの。どう、かな?」


 エメリが緊張を含む声でコウタロウに提案した。

 町には敬虔な人々の為に作られた教会があるのだが、普段は閉じられており特定の日にのみ、人々に解放され各々の信仰する存在に対して祈る事を許されていた。

 町外れにあるのもあって、本来なら子供が遊ぶ様な場所ではないのだが、子供にとって普段は立ち入れず、誰もいない特別な空間と言うものは冒険心をくすぐる誘惑がある。

 特にわんぱく小僧をそのまま体現したコウタロウにとって魅力的な提案であった。


「いくいく! 教会の奥とか探検して見たかったんだ! ぜってー奥に何かおもしろいものあるって!!」

「よかった! ……よーし、頑張れ私」




 エミリの提案は単純なものだ、誰もいない教会で2人っきりにして告白させると言う子供らしい発想である。

 教会の鍵は物理的な鍵ではなくパスコードを入力するもので、肝心のコードは父の執務室から簡単に調べる事が出来た。

 元々治安も良く、外敵への危機意識も無かった町なのもあって、身内に対するセキュリティは甘かった。

 エミリは先回りしてエメリがコウタロウに告白する為の舞台を用意していた。

 時間は昼過ぎ、エミリは教会にあった原始的な着火道具を使用して内装である柱の蝋燭に予め火をつけていた。

 正面扉を開ければ、日に照らされたステンドグラスと左右一列に祭壇へ誘う様に灯された柱に備え付けられた蝋燭の火は、地球時代の中世を意識した教会内部の神秘と厳格を更に確かなものにする。

 舞台の出来に満足したエミリは教会の内装で壁に垂らされていた幕の内側に隠れて、エメリとコウタロウが来るのを待つ事にした。

 待つ間にエミリは考えを巡らす。

 エメリはちゃんと告白が出来るだろうか、コウタロウはどう反応するだろうか。

 コウタロウを、人に告白されたら返事もせずに逃げ出す様なヘタレにエミリは育てた覚えは無い。

 受け入れるにしろ、拒否するにしろ、自分の気持は伝えるはずだ。

 エミリは信用していた、コウタロウとエメリの両方を。

 そして鍵をかけた扉が再び開かれ、コウタロウとエメリがやって来た。

 どんな結果になっても、2人のフォローを後でしっかりとやらなくては。

 そう心に決めながらエミリは2人の様子を黙って見守る事にする。

 好奇心で目を輝かせているコウタロウに対して、エメリはこれから自分が行う事を考えて酷く緊張していた。

 手が冷えながらも汗ばみ、どうやってコウタロウに切り出そうか頭の中で考えあぐねる。


「エメリ、祭壇の前まで行ってみようぜ! 祭壇の裏に何かあるかも」

「う、うん! 私もステンドグラス、間近で見たいな」


 2人で祭壇の前まで近づいていく。

 コウタロウが何時もの癖でエメリの手を繋いで一緒に歩いていくが、エメリには意識せずにはいられない行為だった。

 エメリはエミリがこの教会内のどこかで見ているのは知っているが、どこに居るのかまでは知らないがきっと今の自分達を見ている筈だ。

 エミリはああ言っていたが、エメリはどう思っているのか気になった。

 2人で祭壇の目の前に辿り着くと、コウタロウは直ぐに祭壇の裏側へと潜り込んでしまう。

 祭壇の裏側はコウタロウの好奇心を満たす様な秘密の仕掛けも地下への階段もなかった。

 ただ一冊の紙で出来た本が手袋と一緒に置かれているだけだ。

 紙で出来た本は今となっては高級品なので、丁寧に扱う為の手袋なのだろうが、そんな事はコウタロウが知るよしも無い。

 コウタロウは本を直接掴んでエメリの前まで戻ってくる。


「うーん……紙媒体の本が一冊あるだけだった……残念」

「ああ、多分それ聖書だよ。神父さんが、結婚式の時に読んでるやつ」

「へええ、これが……あ、そう言えばさ」


 コウタロウが何かに気づいた様子でエミリの手を握った。


「コウちゃん?」

「何か、こうやってると新郎と新婦見たいじゃね?」

「っ……うん」

「何で赤くなって……あっ、ごめん」


 コウタロウは考えもせずに思いついた事をそのまま口にしたが、エメリの反応で自分が言った事の意味を理解した。

 2人は急に赤くなった顔をお互いに背けるが、手を離さずにそのまま立ち尽くす。


「……ないで」


 エメリが震える声でコウタロウに何か呟く。

 コウタロウは聞き返すようにエメリの方へと顔を向けなおした。

 エメリは今にも泣き出しそうな赤裸々な表情で一生懸命に言葉を紡ごうとする。


「謝らないで、私」


 突如、教会内部が激しい破壊の音と衝撃に襲われた。

 コウタロウとエメリの2人は衝撃に堪え切れずに、床で転んでしまう。

 2人の視界が外部から破砕された瓦礫の破片と砂埃で覆われてしまう。

 コウタロウはとっさに両手で顔を守ろうとするが、意味のある結果にはならない。

 エメリが咳き込みながら立ち上がり破壊の行われた壁へと視線を寄せる。

 砂埃は僅かに晴れ始め、奥に不可思議な強大な影がある事が解る。

 ――交通事故? 車? 大型車? いや、違う乗り物にしては形が変だ。

 エメリは理解が追いつかない頭の中で自分の知っている物を当てはめ様とするが、それが何であるか解らないままだ。

 影はその場から動かず、先頭についてる箇所を頻繁に動かし何かを探している様だ。

 丸で生きている様だ、エメリはそう思いながら訳も解らず影に近づく。

 驚きのあまり呆然としながら影へと近づくエメリを見て、コウタロウは自分の背中にとても嫌な感覚が走るのを自覚すると同時にエメリの方へと走り出そうとするが足に力が入らない。

 自分の体に渇を入れる為に己の足を力一杯叩きながらコウタロウは叫んだ


「くそ、エメリ!! 近づいちゃ駄目だ!!」

「――あ」

「――キィ」


 そしてエメリは破壊の原因と対面した。

 それは蟻を禍々しくした生き物だった。

 車ほどの体格に赤錆を思わせる様な体色、その巨大な体を支える六つの足はエメリとコウタロウと同じ位の太さがあった。足の関節には体毛らしきものが生えている。

 円筒状の体の最先端、頭部らしき器官から生えている触角とぶつぶつと盛り上がった複眼がエメリの方へと固定される。


「――ギギ――ガァァ」


 体に在るであろう消化器の最先端、口が大顎ごとエメリへ向けて開かれた。


「危ない!!」

「きゃあ!?」


 直後に激しい金属同士を正面からぶつけ合った音が響いた。

 体の自由を取り戻したコウタロウがエメリごと、蟻の大顎の真下へと間一髪で回避した。


「エメリ、立って!! 逃げなきゃ!!」

「あ……うん」


 まだ事態を把握しきれていないエメリを半ば無理矢理引っ張りながら、コウタロウは教会の扉を目指して走り出す。


「キキキキィィ」


 蟻は逃すまいと2人を追いかけ様と、教会の内装を破壊しながら追いかける。

 破壊に伴い宙に舞い上がった幕が蟻の体を覆い、蟻が自ら崩した柱が蟻を押しつぶす。


「ギギ」


 柱に飾られていた蝋燭の火が蟻の体にかかっていた幕に引火する。


「キイイィィィイ」


 蟻の金切り声が教会内部に木霊した。

 その金切り声を振り切る様にコウタロウはエメリを連れて外へ脱出し、足の勢いを衰えさせる事無く逃げ様とする。


「早く、早く誰か大人の人に……っ!?」


 コウタロウとエメリが教会から道の通りへ出ようとすると、先程の蟻と同じ生き物が7匹、十字路の道をその巨体で遮っていた。

 冷静に見れば蟻ごとに体の大きさに違いがあるが、その視点で状況を俯瞰出来る者はこの場にいない。

 コウタロウは後ろを確認するがあるのは崩壊した教会だけだ。

 そこから這いつくばるように先程の蟻が体を燃やしながら出てきた。


「キキ」

「ギ」

「ガギ」


 蟻が鳴きながらコウタロウとエメリへと徐々に迫ってきた。

 エメリは声も上げる事が出来ずに、ただコウタロウに体を寄せる。

 コウタロウは思わず目を閉じてエメリを抱きしめた。

 先程、エメリがされた事をなぞる様に集団の先頭にいる蟻が2人に目掛けて大顎を開いた。


『させるかよおおぉ!!』


 十字路を塞いでいた蟻の集団、一番左にいた蟻の体が銃撃音と共に体に風穴を空けられていく。

 蟻の集団が攻撃された方向へ一斉に体の向きを変え、そちらへ向かっていく。

 コウタロウは自分達の眼前の危機が回避されたのを理解すると、射撃が行われた方向へと視線を向けた。


「……パワードスーツだ……」


 不意打ちを受け、迎え撃つ様に近づいてくる六匹の蟻に対して迫る大きな人影があった。

 当時の最新鋭機である軍用パワードスーツの『ファイター』だ。

 機体の至る所に損壊を伴いながらも雄叫びを上げ、ホバー移動で高速に蟻の群れへと肉薄していく。

『ファイター』は両手に持っていたパーワードスーツ用大口径アサルトライフルREC-18を蟻の群れへと弾丸のシャワーを浴びせる様に乱射する。

 集団の先頭とその近くにいた蟻達が頭部を激しく損壊させられ、道路に突っ伏していく。

 蟻の数が残り二匹まで減るが、『ファイター』が両手に手にしていたREC-18の弾丸を尽きてしまう。

 予備の弾が無いのか『ファイター』は両手の銃を手放すと腰を落した姿勢で残りの蟻へと突撃していく。


「キ、キキキ」

『何言ってるか解んねえよ、ボケ!』


 蟻が大顎を『ファイター』へ向けると同時に『ファイター』は太股に格納していたハンドガン――ギガント・ガバメントを抜き出すと同時に射撃、蟻が複眼ごと頭部を弾丸で抉られ殺虫される。

 最後の一匹となった蟻が横から奇襲するかの様に閉じたままの顎を突き出す。

 それを『ファイター』が流す様にかわすと右腕部に格納されていた、刀身が厚く片刃のマチェットを取り出し蟻の頭―左右の複眼の間へと突き立てた。

 最後の一匹を始末すると『ファイター』はコウタロウとエメリの方角へとギガント・ガバメントの銃口を向けた。


『伏せとけ!!』


『ファイター』からの指示にコウタロウとエメリはすぐさま、地面に向かって丸くなる。

 直後に乾いた銃撃音が響き、2人の後ろにいた体を燃やしたまま這いずっていた蟻に止めを刺す。


『ふー……無事か、ガ――じゃなかった、坊や達』

「は、はい」


 コウタロウは立ち上がり助けてもらった『ファイター』へと向き合うと同時に言葉を失った。

『ファイター』がある程度破損しているのは遠くから見ても解ったが、近くで見るとオイル漏れだと勘違いしていた箇所が内部からの出血が滲み出ていたものだと解ってしまったのだ。


「血が……」

『ああ、やつらと森でやりあってる時にこう、後ろから顎でグサーっとな……おっと』


『ファイター』の装着者は軽口を叩きながらも、その場で膝を突く。

 パワードスーツの破損した箇所から垂れた血液が道路に点々と落ちていく。


「大丈夫……ですか?」


 エメリが『ファイター』の装着者へ心配そうに声をかける。

 装着者は力なく笑うと


『ゴメンなあ……家まで送ってやりたかったんだが……スーツももう、ボロボロでな、動けそうに無いんだ』

「おっちゃん! 待ってて、俺達すぐに誰か読んでくるから!!」


 コウタロウはそう言うと町の様子がおかしい事に気づいた。

 教会に来る時にはあった人の気配が丸で無いのだ。

 そして、遠くから銃声が至る所から鳴り響いている


『クソ!! ……本当にわらわらと湧きやがって……』


 満身創痍の『ファイター』が立ち上がり、よろよろとした足取りで通りの右へと向かっていく。


「動いちゃ……あ」


 エメリが静止させようとすると通りの奥から蟻の群れが再びこちらへと迫っていた。

 先程とは比べる事が出来ない大群だ。

 大群は建築物を強引に横切り、時には破壊を行いながら3人へと向かってくる。


『ふー……』


『ファイター』の装着者は残っていたギガント・ガバメント最後のマガジンを交換し、腰に取り付けられていた焼夷手榴弾を取り出す。


『いいか、坊や達? 一度しか言う余裕が無いからちゃんと聴いてくれ、アイツら虫だからなのか、本能だからか知らんが火に極端に怯える。んでこれは、焼夷手榴弾、ものっそい熱い火柱が上がる。この道具とおっちゃんが時間を稼ぐから、2人はさっさと死ぬ気で走って非難する様に』

 言い終わると『ファイター』は最後の突撃をしかける為にホバー移動に切り替える。

 コウタロウとエメリが何か言いかける前に『ファイター』は蟻の大群へと向かってしまう。

『ファイター』は蟻の大群の先頭に焼夷手榴弾を投げ込むと、そこから一気に業火を伴う爆発が起こり、先頭の蟻達が焼き焦がされていく。

 この世のものとは思えない金切り声が響く。


『行け!! GO!! GO!! GO!!』


『ファイター』の叫びに促され、コウタロウはエメリの手を引き走り出す。


「ま、待って! コウちゃん!!」

「エメリ、早く逃げないと!!」


 エメリは自分達と同じ教会にいた筈のエミリがまだ教会にいるかもしれない事を思い出す。

 足を止め、教会の方を見やるが火が回り始め、炎に包まれていく教会と蟻の死骸だけだ。

 エメリは回復して来た思考で逡巡する。

 このまま自分だけでも残るべきか? 非力な子供である自分に何が出来る? コウタロウに言えば彼は間違い無くエミリを探しに行くだろう。子供だけで蟻と火の海に囲まれて生還が出来るのか。ここは命をかけてまで自分を逃してくれようとしている人の為にも先に避難して、大人を頼るべきでは無いのか。しかし、町中がこの有様ではそもそも救助が来れるのか、この惨事から自分達が無事に逃げ切れる保障は? エミリの為にコウタロウを危険に晒すのか。 

 ――そして何より。

 ――エミリ姉はまだ生きているのか?


「――行こう、コウちゃん」


 エメリは今にも泣きじゃくりそうな表情でコウタロウの手を強く握り締めると無力感に打ちのめされた悔しさで唇を噛み締めた。


「ああ、早く逃げよう!!」


 2人が振り返らずに逃げ始めると同時、蟻の大群が一機の『ファイター』を強靭な顎で切断していた。




「それで……家に帰れた時にママに話して、パパにも連絡してくれたらしいんだけど……パパも最後まで残っちゃって……パパの方は体が見つかったんだけどね、結局エミリは見つからなくて」


 エメリは普段とは打って変わり、表情の無い顔のまま淡々と、あの日に俺の知らない所で何があったのか話してくれた。

 エミリがあの日あの場にいた。

 俺は急に現実感が無くなる様な感覚に陥るが、エミリがもうこの世にいないと言う事には対してショックを受けていなかった。

 俺が薄情なのか、この船の中に15年いたのに全く出会えない事から心のどこかでは既にエミリは死んでいると思っていたのかもしれない。

 俺が押し黙っているままでいると、エメリがベットから立ち上がりそのまま部屋を出ようとする。


「あ、おい」

「ごめんね、凄く嫌な話しちゃって……私の事、酷い女だと思ったでしょ? 姉を見

 捨てた薄情者だって」


 エメリが無理に笑おうとするがその反応があまりも痛々しすぎる。


「そんなことないさ……姉を見捨てるような薄情者が、苦労してまで超能力開発や危険な軍に身を置く訳無いだろ」

「そ、それは……お金が欲しくて」

「解りやすい嘘つくなよ……ずっと引きずって来たんだろ? 軍に入る様な事したのも、エミリを探すためなのか?」


 エメリは言い返さずに顔を伏せてしまう。

 俺はどうにかしてやりたい一心でエメリの肩に触れようとするが、エメリはそのまま後ろに一歩さがり、部屋から出てしまう。


「ごめんね……今、優しくされちゃうとそのままズルズル依存しちゃいそうだから……」

「エメリ……」

「じゃあね、お休み!」


 エメリはそのまま走り去ってしまった。

 俺は無理に引き止める事も出来ずにそのまま部屋に戻り壁にもたれ掛かりながらその場に座り込んでしまう。

 エメリはあの日結果的に姉を見捨てた自分を、何も出来なかった自分が許せなかったのだろう。


「俺も同じだな……何も出来ないでいるのは、悔しいよなあ」


 一日でも早く『オーガ』を乗りこなしたい。

 俺はまず、手の届くところからやる事を改めて誓った。




 部屋の明かりが消えた執務室でロック・フェラー司令官が机の上に複数人と対話するための通話を立ち上げていた。

 暗い室内に音声マイクだけの状態を示すホログラムがロック・フェラーを囲む様に展開されている。


『何だね、こんな時間に? 営業時間外での通話はなるべく慎んでもらいたい』


 中央にあるホログラムが周りの意見を代弁した。

 ロック・フェラーは表情と感情を読ませない口調で返答する。


「夜分遅くに大変申し訳ございません、えー実はこれの事で確認が」


 ロック・フェラーはそう言いながら手元にある電子化されたある物品のリストを見せ付けた。


『おお、無事に届いた様だね、どうだい? 今回の作戦はそれだけあれば十分だろ?』


 ロック・フェラーが言おうとしていた事を音声マイクが先回りする。


「ええ、歩兵の装備に関しては……ただ、当初の予定であった戦艦と戦闘機、及び航空戦力が全く載っていませんでしたので、あと、知らない名前が船のクルーに幾つかあったのでその確認を」

『ハハハ、そんな事か。航空戦力は必要無いから削ったに決まっているだろ?

 蟻の相手なんて、旧型の戦闘ヘリ5機あれば十分さ。 それに、あれは予定ではなく君の要望したリストアップであって、軍事行動に必要な兵器と装備を選ぶのは私達が決める事だしね。人事は……君が個人的に有能な人材を集めているように、我々の方でも優秀な人物を用意させてもらったのさ』


 今度は別の音声マイクがロック・フェラーを非難するかの様な声を上げる。


『そもそも、蟻どもは空を飛ばないんだから船は普通の大型輸送船で十分だろうに、情報収集様の高価な装備、弾薬と歩兵様の武器はたっぷり用意してやったんだから、後は君達の努力でしょ!』


 ロック・フェラーは何も言い返さずにカエル顔の表情を崩さずに音声マイクのホログラムを見つめ続ける。

 その様子を不気味に思ったのか、音声マイクの向こう側にいる相手は忌々しげに会話を切り上げ様とする。


『兎に角、君の能力は買っているんだから、今回の成果を期待しているよ。最悪、『赤字』になっても例のデータをちゃんと採って来てもらえれば十分だから。それじゃあ、お休み』


 一方的に音声マイクのホログラムが次々と消えて行き、執務室は再び暗闇に包まれてしまう。

 ロック・フェラーは執務椅子に腰掛けると同時に深い溜め息を吐き出した。


「軍と名乗っていはいるが……所詮は企業上層部の便利屋か……」


 装備は航空戦力がだいぶ削られてしまった。しかし、それでも作戦を遂行させなくてはならない。

 例え、どんな犠牲を払ってでも目的を成功させる。

 そう決めたのだから。

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